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小粒のメセナ?個人の趣味?アートを支える多層なアクターに突撃


#5:(株)レイコフ×奥山泰徳

T−
それは、商店街や住民の方と街おこし系のアートイベントを行ったことがあるということでしょうか。

O−
急激な不景気で、昔ながらの船場のいとへん業界に携わる商店街や組合の有志の方々が、空き店舗が並ぶ商店街を再生しようと動かれたのです。
お店の経営者の中でも、比較的若いといわれる50歳代、3代目さんの方々が、僕にも声を掛けてくれたんですよ。なんかいいアイデアないか、若い人の話も聞いてみようとなったんでしょうね。

T−
やっぱり船場で異質だったから?

O−
コンテンツで映画の上映会や音楽ライブなんかを行うと、ずらっと若い人たちが店の前に並ぶわけですよ。普段、船場ではみかけないような。船場は一時シャッター通りといわれたこともあるぐらい閑散としていたから、そうするとみなさん「なんだ、なんだ。あそこは何をしているんや」と気になるわけですよ。
それで、結局街に人を呼ぶようなイベントをやろうということになり、僕も定例会に参加して企画に関わっていくことになったんです。
でも、新しいことをしようといっても、ぼくの感覚と他のだんな衆にDNAとして備わっている感覚にはどうしてもズレがあります。僕からみれば「古くからの」と感じるような発想や気の使い方もとても大事にされている。そのジレンマから、自分の感覚を何度も再確認する機会となりました。

T−
昔からのブランドがある地域だから、ひとつのイベントのためだけに価値観をリセットするのは難しいでしょうね。

O−
そこまでを望まないとしても、基本的な問題として僕が感じたのは「〜しよう」と言い出した人間が全ての責任をかぶらなくてはならないという状況でした。

T−
それは、地域にかぎらず組織の中でよくある状況だと思いますが。奥山さんにどんどん負担が増えていったということですか?

O−
僕じゃなくて、僕を誘ってイベントを立ち上げようとされた方々ですね。
「街に人をよぶ」という目的は一緒なんだけれど、いざ実行に移すとなるとそれまで見えていなかった小さなズレが大きな違いとなってくるんですよね。
他の方も、協力はしようとしておられるのだけれど、イベントのためにお商売をおろそかにする訳にはいかないから、イベントの優先順位がどんどん低くなってしまう。

T−
ボランティアの責任って、与えられる義務ではなく、個人がもつ能力や責任感、楽しむ技術をどれだけ発揮することができるかを自分で問えるかとい責任という気がします。

O−
イベントを行う、手伝うことへの姿勢をそれぞれが変えれば、金銭的なこと以外にも「儲けた」と思えることが本当はあるはずなんです。今の船場にいるだけではできない経験とか人との出会いとかささいなことですけど、継続するためにはそれが大切。でも、明確な目的が共有されないとそれは難しいですよね。
僕自身もボランティアという言葉に甘えてしまっていることが、やっぱりありましたもん。
それに、企画の主体(この場合は街の人全員)が責任や負担を負うことなく、個人や街以外から手伝ってくれる人に重荷を負わせていってはその活動が長続きしないと思うんですよね。

T−
私はこれだけやっているのに、あの人はしていないというように、比較するだけの場になっていってしまう。

O−
ボランティアがゆえの難しさってあるのだと、自分でも再確認したましたね。もし本当に街や商売の利益にしたいと本腰を入れて考えるなら、有志であってもなくてもお店同士が少しずつでも予算を持ち寄り、明確な目的をもって動く方がいいのだろうなと僕自身も考えをいろいろと巡らす機会でした。

T−
実際に明確な目的を設定し、予算を持ち寄るまでには長い時間と労力を必要とするでしょうが、そうやって身を削ることがポジティブに捉えられるようになれば大きな変化ですよね。

O−
こんな経緯もあって結局は、以降はこうしたイベントに関わることをあえてしてきませんでした。もちろん個々のご近所さんとしてのつきあいはありますし、それはイベントに関わる以前よりも大事だと思っています。コンテンツをここでやり続けることが、ゆっくりと何かにつながるのではないかと思うようにもなれました。
それで、南船場プロジェクトに誘われた時にもいざ実際に形にする時に、プロジェクトの主旨と僕の考えの間で大きなズレが出てくるのではないかと思い、冷静に判断しようと一呼吸おいたんです。

T−
なるほど。でも、引き受けられたということはどこかに魅力を感じたのですよね。

O−
一つには、エリア自体に魅力を出したいという思いは持ち続けていたから。やっぱりここで9年間お世話になっているという気持ちがあります。

T−
当初、桑原さんからは順慶ビルでコンテンツの2号店をださないかとの誘いであったと伺いましたが、そうはされなかったのはなぜでしょう。

O−
お店を広げるというのは、いろいろと難しいものです。人や設備をそろえるのにはまとまった時間とお金がかかります。
実は、コンテンツの姉妹店はすでに『グリニッジ』という名前で2003年から南森町でも開いていました。しかしなかなか周りに定着せず、2004年にお店を閉めたんですね。1年あまりで止めてしまうことに、僕なりにかなり悩みましたよ。スタッフも集めてしまったし、見栄もある。でも考えてみたら、最初に南森町に出店した動機は単に初期条件がよく、タイミングが合っていたように感じたからだけだったんです。それに、続けたところでグリニッジに来たスタッフもただ暇な店にいることになってしまい、コンテンツのような面白さは出てこないだろうと。何よりも、グリニッジの方に一生懸命になってしまってコンテンツがおざなりになっては意味がないなと、スタッフにも相談して。

T−
2号店であっても、お店をたたむのはお商売をされている方にとっては相当な覚悟ですよね。

O−
周りにどれだけ相談しても、最終的には僕が決定しなくてはいけません。いろいろな責任もありますから。でも、この時のスタッフと今もいい関係でいられているのは、決定するタイミングを間違えなかったからだと思っています。
それまでは、やめるということに対してかっこ悪いとか消極的な考えをもっていましたが、この時「引き際」の大切さを知りましたね。上手くいっている時もいかない時も「もうちょっと」と欲を出すとあまりいいことがないと思いませんか。

T−
なんかまずいことをしてしまう時って、その前になんとなく違和感やちょっとおかしいなと思うタイミングに事前に出会っているのですよね。

O−
そう。金銭的なことに限らず、全体の計算が成り立たない、つまり自分で十分にいいイメージが湧かない時は上手くいかないんですよ。僕はこの時のこともあって、改めてコンテンツでしてきたことの意味を考えることができました。だから、今回桑原さんは以前からコンテンツを知っていてくれていて、評価してくださったのは嬉しかったんですけれど、まだコンテンツとして動く時ではないなと判断したのです。

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