log osaka web magazine index
culure critical clip
探るほどに面白い、知るほど謎が深まる“大阪”という都市を楽しむ。

vol.16 市電・地下鉄(第2回)
(月刊「大阪人」2003年6月号より)

地下鉄はミュージアム
地下鉄「駅」モダニズム


今から七十年前。
「水の都の地の底までも進む文化の輝くところ」
(大大阪地下鉄行進曲)とうたわれた地下鉄御堂筋線が開通した。
人々が「豪華地下殿堂のようだ」と、目を見張った梅田や心斎橋の停留場——。
そこに込められた設計意図、デザイン思潮を読み解く。

今も天王寺駅に残る竣工時(1938)のアールデコ様式の照明器具。
1933年(昭和8年)5月20日、梅田仮駅から心斎橋間(3.1キロ)が開通する。写真は仮設梅田駅ホーム。鋲の打たれた鉄骨柱はウィーン世紀末デザインに多く用いられている。(撮影年月日 昭和8年5月20日)

建築家 安達英俊
あだち・ひでとし●1950年生まれ。安達英俊建築研究所主宰。京都工芸繊維大学建築工芸学部卒業後、渡邊節建築事務所に在籍。その後、京都工芸繊維大学大学院修了。論文に「近代建築の再構築——渡邊節の建築を通して」。住宅を中心とした設計活動とともに、1930年代の近代建築に関する執筆活動を続ける。

※モノクロ写真はいずれも大阪市交通局提供。

地下に吹いたモダニズムの風

1920年代に計画され、1930年代に開業する主要な停留場(駅舎)の竣工当時のデザインについて検証してみよう。
 1号線(御堂筋線)の駅舎のデザインは、おおまかに二つの標準様式に分けられる。一つはヴォールト天井で無柱の開放空間を作るゼツェッシオン様式で、もう一つは柱梁の直線によるインターナショナルスタイルである。ゼツェッシオンとは、1897年オットー・ワグナー、クリムトらによってウィーンで結成された、いわゆる歴史様式から分離した近代芸術運動の一つである。翌年第1回ゼツェッシオン展覧会が開かれ、オルプリッヒ、ヨセフ・ホフマンなどの建築家が参加している。20世紀モダニズムの出発となるものである。日本では遅れて1920年、堀口捨己、石本喜久治らによって分離派建築会がつくられる。梅田、淀屋橋、心斎橋駅はゼツェッシオン様式に近い。
 1920年代より欧米で始まるインターナショナルスタイルは、装飾を排除し、単純明快に構造を表現する様式で、他の駅舎はこの様式で作られている。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、モダニズム(近代主義)が成立する。大阪地下鉄には当時、欧米で近代建築様式を体験し、インテリア、橋梁、艤装(車両・船舶インテリア)を幅広く手がける建築家、武田五一(1872〜1938)が深く関与している。
武田の意図した大阪市営地下鉄(高速電気軌道)を70年前にさかのぼって見てみよう。

ゼツェッシオン様式[梅田駅]

1930年1月の建設起工式から33年5月20日の開業まで、梅田〜心斎橋間の工事はさまざまな障害に出あう。特に水の都である大阪の地下を掘ることは、容易でないと推察される。開業時、梅田駅は仮設駅であり、梅田本駅完成までは以後2年余りの月日が必要となった。35年10月開業の梅田本駅を訪れてみよう。梅田駅は、テーマカラーの黄色いタイル張り、アーチ天井から下がる直線的な行灯(あんどん)形の照明が華やかな雰囲気を演出する。エスカレーターは中階の改札口へと人々を誘う。中階から見る半月型の間仕切りには、アールデコ様式のアイアンワークが施され、タイル張りの円柱が並ぶ。ここにパリ地下鉄に見る20世紀初頭のデザインが、和風に翻訳される。当時の人々はこの外光の入らない地下空間に、輝く大阪の未来を感じ取っていただろう。その後の乗客の増加によって、2号線(谷町線)のために用意されたホームが御堂筋線利用客の混雑緩和に役立っているが、その空間デザインの差異は歴然とする。

完成時の梅田駅中央中階。金属の格子は障子を連想させるが、様々なコンポジション(線と面による構成)が見られる。(撮影年月日 1935年10月5日)
1935年(昭和10年)10月6日梅田駅が完成。ヴォールトリブ(アーチ形の装飾ライン)が天井にリズム感を与える。(撮影年月日 1935年10月5日)
1953年(昭和28年)梅田駅、朝のラッシュアワー。照明器具が直付けされている。
現在の梅田駅。左側の南行き線路は閉鎖され、ホームが拡張されている。
page 1 2 3 next >>
TOP > history
Copyright (c) log All Rights Reserved.