この「エイト・アワー・ミュージアム」のパフォーマンスは、美術館やギャラリーのそれとはあきらかに異なった性質を持つ。一つは、アートとオーディエンスをつなぐ空間との関係において、もう一つは、時間的な感覚において。
美術館のホワイトキューブ−白い壁、明るく広い空間に置かれた作品に対しては、観客は、否応なく作品に向き合い、鑑賞することになるが、一方「エイト・アワー・ミュージアム」の雑多な要素に包まれた空間の中では、観客は、作品を自らの嗅覚でもって能動的に探し出すこと、そのプロセスを楽しむことから鑑賞行為が始まる。また、小学校の体育館という公共の空間を、突如として非日常的な空間へと変容して、しかも8時間で消え去るという「エイト・アワー・ミュージアム」のゲリラ的な態度は、空間の永続性を保証する美術館の態度とはまったく正反対のものである。
そこは、誰をも受け入れるオープンな場であると同時に、そこでアートを楽しむには、まずその情報をとらえて足を運ぶという敏速な行動力と同時に、自分自身を開かれたものとしつつ作品の世界に耳を傾けるような、高度なコミュニケーション能力が必要とされるだろう。
抵抗/オルタナティブ
このようなイベントを意図的に企画するAITの姿勢は、現代の日本における美術制度に対する批判的な姿勢を示しているが、それは「抵抗」でありながらも「アンチ」ではないという。ここにロジャー・マクドナルドの言葉を引用しよう。
このような、私たちが新しいタイプの「抵抗」型グループについて、特定の制度への「アンチ」であると考えるのは間違っているだろう。これは東京の現代美術の状況を反映して出現しているもので、流行や見かけだけのものでも、立派な制度でもない。これは現在の反映なのであり、スタンダードと見なされてきたものとは別の方法を模索する提案なのである。
AITの示すこのような態度は、抵抗でありながら気負いはなく、既存の制度や他者を排除するものでもない。つまりそれは、「作る側も観る側にとっても、現代美術とは抽象的で難解なものではなく、もっと身近に感じられるものだという感覚を見に来る人たちに投げかけてみたい」というAITからの提案であり、こんなのもいいよね、と、自らが率先してアートを楽しむことのオルタナティヴな実践といえるだろう。
NPOとして
こうしてわずか3年の間に多様に展開するAITの活動は、アート・アドミニストレーター、キュレーター、弁護士等によって構成されるスタッフ一人一人の行動力と能力とともに、NPO法人という組織体とによって可能となっている。
AITがNPO法人となったのは、2002年の5月からだが、それは、前年から開講したMADによって集まった受講料を、次の活動に投資することによって活動の幅を広げるという目的に基づいたものであったという。つまりNPO法人であることによって、こうして自己資金を循環させることができ、また企業からの協賛金や助成金の給付対象にもなり、美術館や文化機関との連携のもとに活動を行うことができる。
たとえば、03年にはかねてからの目標だったアーティスト・イン・レジデンスを実施、スウェーデンの政府文化機関IASPISの東京での拠点としてスウェーデンのアーティストを中心とした制作活動や交流を受け入れ始めた。また04年には南米コスタリカから若手ペインター、フェデリコ・エレーロを招致した。前者は文化機関との連携、後者は助成金の補助を受けての活動である。
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