log osaka web magazine index
text
+ 徳山由香

国立国際美術館非常勤学芸員などをへて、コンテンポラリーアートの研究、企画、運営に携わる。 2005年10月より文化庁在外研修によって、フランスにて研究・研修に励む。

+ 田尻麻里子

アーティスト。
ホームページ

+ ピエール・ジネール

アーティスト。
ホームページ

PROFILE
タブラ ラサ

タブラ ラサは、岡山で文化や街づくりを通してアートに関わるNPOである。何も描かれていない「タブラ ラサ白紙の状態—」から彼らが街につくろうとしているものは何か。理事を務める北川あえとアーティストの真部剛一に話を聞いた。

西川緑道公園

タブラ ラサの事務所は、マンションの一室、これ以外の特定のスペースを持っていないが、岡山の「街をつくる」ために継続的に関わっている地域がある。
タブラ ラサが2003年に活動を始めて以来、既に通算4回のオープンカフェや音楽、アートのインスタレーションなどの野外イベントを開催しているのが、岡山市内を流れる川と川縁の広場を利用した西川緑道公園である。西川は、岡山駅から徒歩10分ほどの距離にあり、緑道として整備されてはいるものの、休日に地元の人が散歩に集うというほどの活気にはやや乏しい。

西川緑道公園

タブラ ラサは、身近な自然、街の環境にすら関心を向けることのない市民と、仲間内の関係に閉じこもりがちな地元のアーティスト志望の若者達との狭間で、この街中の自然を舞台に、意識的にコミュニティの内と外をつなぐ活動を展開する。

資金と環境、流通/循環

まずタブラ ラサが一貫して取り組んでいるのが、イベントとともに開くカフェを通じて幅広い層のボランティア、スタッフの育成、そして環境問題に真摯に向き合うことである。
昨今の交流や対話を目的としたアートイベントの代名詞ともなっている「カフェ」であるが、タブラ ラサの開催するイベントで開かれるカフェでは、美術系の学生だけでなく、主婦や一般の会社員といった、ある一定の帰属集団に閉じこもりがちな層をボランティアスタッフとして勧誘することによって、彼らのコミュニティへの参加を促す。

RASA CAFE 西川アーツフェスティバル、2004/07-08

そしてこのボランティア行為に対しては、むろん報酬ではないにせよ、有償とすることによって、一過性のイベント的な参加に陥りがちなスタッフの継続を可能にするための条件を整える。またそれは、イベントを開催するにはそれなりの予算と人手が必要であること、その予算は西川周辺の地域団体やこれを支援する地元企業や自治体である岡山市から支払われるものであることを認識することによって、市民の消費活動や納税行為がイベントを通して自分たちに還元されるというお金の流通・還元の仕組みを意識化することでもある。

RASA CAFE 西川アーツフェスティバル、2004/07-08

さらにこのカフェでは、参加者の誰にとっても身近な環境問題について考えることも意図として盛り込まれる。日常の家庭生活ではささいなことと見過ごしがちなことであるが、イベントで大量にゴミがでると、誰もがそれは大きな問題であることに気付くだろう。そこで飲物用のマイカップの持ち込みやカップのリユースシステムを導入する。このように、例えば環境問題を考えるに際して様々な工夫を自ら研究し編み出していくなかで、「ひょっとしてこれもアートかもしれない」という実践を共有するのだという。

こうしてタブラ ラサの開くカフェでは、家庭や住居と職場の往復に限られる孤立した生活圏に閉じこもりがちな普通の市民を、自らが属する社会、環境の流通・循環の中に組み込むことによって、自らの生活と地域に対する鋭敏な感性を養うことが意図されている。

ネットワーク、社会への浸透

また、幅広い層をスタッフとしてイベントに巻き込むことは、観客層を増やすという意図だけでなく、異分野の人材を育成し組織化することによって、NPOとしての活動範囲の拡大へとつなげ、より柔軟に広く社会に浸透していくことを目論むものである。実際、NPO法人タブラ ラサの会員には、アート関係だけでなく、福祉関係者、音楽関係者、銀行員、放送、あるいは自治体職員等も加入しており、これらのメンバー達が共通する指向、問題意識をもちながら独立した活動を展開する。そのことによって岡山におけるネットワークが点と点で繋がるだけでなく、面として地域の中で広がっていくことが望まれている。
実際、西川でもアートのイベントだけでなく、メンバーがそれぞれの専門領域に特化することによって、盆踊りやジャズフェスティバルも同時開催され、活動が地域により広く確実に定着するための貴重な足がかりとなっているという。

アート/ここでしかできないこと

一方、アートにおけるアプローチでは、地域の外へ向けて新しい交流の機会を目論む。
例えば04年夏に開催された「西川アーツフェスティバル」では、岡山のアーティストを紹介するとともに、地元以外の地域とのネットワークも意識的に広げており、大阪アーツアポリアの協力によってアーティスト市居啓子の参加や、あるいは関連イベントとして愛知のN-markによるヴィデオ・プログラム、カフェラインが開催された。結果、内容的にも多角的な広がりを持つことになったという。

N-mark、カフェライン

出品作品の多くはヴィデオ作品で、川縁や川底に広がる仮設スクリーンに映し出された。
岐阜の池田朗子は、両岸を渡す橋に掲げられたスクリーンに移動を続けるアーティストの日常に張り付く車窓を映し、またその旅の友とも証ともいえる飛行機を飛ばす。大阪からのしばたゆりは、川の水をその源泉の涌く山へ汲み返すという美しい所作を端的に水辺に映し出す。コンピューターに溢れる情報を流れる川底に映したのは、岡山と東京のユニットdoubleK、そして岡山出身の映画監督本田孝義は、西川にまつわる記憶を丹念に集めたドキュメントを静かに流した。そして唯一パフォーマンスを披露した市居啓子は、記憶を語る映像を映したノートパソコンを川に流すことによって個人の記憶とテクノロジーの鎮魂を図った。

池田朗子、「サイト・サイト・サイト」プロジェクト
しばたゆり、Material Work Warter — 2004 OKAYAMA
市居啓子、
Floating Memories

いずれの作品も、当たり前の風景として普段見過ごしがちな川の流れや緑道を意識化するための装置であり、またそれぞれの作品は、水辺と街の風景、風、人や車の往来の中で再び新たな生を得る。そしてもちろん、普段は足早に通り過ぎる街の人々も、足を止めて作品に見入り、興味を引かれて川辺をそぞろ歩く。
いうなればこのイベント自体が、サイトスペシフィックなインスタレーションとも捉えられる。それは、人と街、場所の使い方だけでなく、映像というメディアのポテンシャルにも着目し、そうした様々な要素を繋ぐことによって表現の可能性を広げる行為であり、企画者である真部剛一の「ここでしかできないことをする」という、自らのアーティスト/キュレーターとしての証明であったともいえるだろう。

doubleK、Histream
本田孝義

アート/名付けようのないもの/日常における文脈化

そもそも、タブラ ラサにとってアートとは、「名付けようのないもの」であるという。それは、既にどこかで認められた価値よりむしろ、新しい価値を創りだすための柔軟な態度であり、そのような心がけの中から生じるものともいえるかもしれない。
それがゆえに彼らは、敢えてアートを目標として表には掲げずに、むしろ自分達の暮らす地域をより豊かにするための活動の中で、結果的に展開するものと捉える。いいかえればそれは、見る側にコンテクストの理解を前提として要求するという現代美術の性格を深く了解した上で、そのコンテクスト=文脈を、街の中で地域の人々と共有していくための実践である。
ここでいう文脈化とは、日常の些細な営為に潜む社会性に気付き、真摯に向き合い、行動を起こすこと、それは行政のサービスの対象としての受動的な市民ではなく、自らの生活を自分の意思と責任でより良く生きることを実践する、能動的な市民として生きることを意味する。そしてそれは、ヨーゼフ・ボイスを引くまでもなく、表現者、鑑賞者、媒介する者の分け隔てなく、企図せずして芸術的行為を個人としてまた集団として内在化することであるだろう。

西川アーツフェスティバル、2004

タブラ ラサの西川での試みは、街の自然を舞台にしたアートイベントとして、非日常的な経験をもたらすとともに、そこから彼らの、我々の日常をも照らし出す。
川辺を慈しみ、街の往来を楽しむこと、そしてそこで出会うちょっとした出来事に足を止めることは、異国の旅先での特異な経験としてだけではなく、我々の日常にも起こりうるものであること—それが「白紙の状態」からのタブラ ラサのアートの実践だといえるだろう。

( 徳山由香 取材:23/12/03、08/08/04、27/11/04)

タブラ ラサのメンバー
(西川沿いの教会でのイベント「原田宗典バレンタインアワー」/主催:NPO法人タブララサ)

TOP > art plan _美術(計画)地図- > タブラ ラサ

Copyright (c) log All Rights Reserved.