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つくつくぼうしとカナカナ 松岡永子
「つくつくぼうしとひぐらし、どっちが好き?」
 劇中で女が男に尋ねる。男は、ふたりともひぐらしの方が好きらしい。
「男の人はロマンチストだからね」
 ひぐらしが好きだとどうしてロマンチストなのか。理由はない。理由はないけど、確かにひぐらしが好きなのはロマンチストというかセンチメンタリストだという気がする。

 停年を前に会社を辞めて、亡き妻の故郷である田舎の家に越してきた加寿之。仕事人間で他のことなど一切できない父親のいきなりの転身を心配した娘は、毎日のように手紙や小包を寄こす。息子は週末の休みごとに様子を見に来る。加寿之の身の回りの世話は、妻の遠縁の娘(小さな村なので妻とは親しかった)がしている。
 七月七日、七夕のころ。妻は、加寿之が昔贈ったゆかたを着て夫の傍にいる。加寿之にだけその姿が見え話ができる。

 なぜ急に仕事を辞め田舎に住むことにしたのか。息子の問いに加寿之はとりとめのない言葉を返す。けれどもちろん、それ相応のことはあったのだろう。休日出勤して熱心に営業をする郵便局員に対して、一生懸命やればいいってもんじゃないと咎める言葉は辛辣だ。献身に会社は報いてはくれないと知っているからだろう。
 小さな村では日々小さな事件がある。人間関係があっていさかいもある。田舎は憩いの場でも癒しの場でもない、構造的な矛盾は都会より大きいくらいだ、という主張は以前の作品にもあったが、今回は前面には出てこない。日常生活は日常らしく過ぎていく。加寿之は、たぶんこれまでにないほど妻と一緒の日々を過ごしただろう。

 九月九日、重陽の日。いっぱいに鳴くつくつくぼうしの声が、もういいよ、と聞こえると妻が言う。もう頑張らなくてもいいよと言われているみたいだ。その声に促されて、あのとき闘病をやめたのかもしれない。その年一度だけ飲んだ菊酒。長寿を願うその酒を夫に注いで、妻は去る。酌み交わしてはくれないのかい、と妻の背に尋ねる加寿之。ひとりになった加寿之をカナカナの声が包む。

 男と女の間には深い溝がある、という。溝はすべての人の間にある。親子の間にも友達同士の間にも。人間はみんなひとりひとりなのだ。一緒に過ごしていてもひとりひとり別の存在なのだ。
 相手を思いやる気持ちがほんものでも溝は埋まらない。溝は埋まらなくても気持ちはほんものなのだ。抱きしめる腕がどんなに力強く思いやりに溢れていても、それはあなたの腕であってわたしの腕にはならない。
 やるせない淋しさの秋を予告する蝉の声は、つくつくぼうしかひぐらしか。

 細部が丁寧に作り込まれている。人物も、背景になることも、物も。
 なかでもお茶目な妻の造形がいい。
 七夕には笹に短冊を、重陽には菊の花を欲しがる妻。
 登場するたびにいろんな衣装。特に、一度だけすべての人に姿が見えるときにはピンクのチャイナドレス。どうしてそんな格好をと訊かれると、「髪型や服を替えても夫はちっとも気づいてくれないから。思い切ってめいっぱい着飾ってみました」と楽しげ。母である証拠に息子のお尻が青いことを暴露して、「それは母さんが子どもの僕を落っことしたからだろ」と言われると「あら、そんなこともあったかしら。あなたが何も言わないから忘れてたわ」としれっと言う。臨終に、子どもたちをよろしくとは言わず夫をよろしくと言ったことについて、「(子どもたちの)基礎は作りました」と言い切る。
 少女っぽさと母親っぽさが同居している。少女が夢見る恋をするように、母親が男の子を気遣うように、夫を想っているのだと感じる。


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