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水・風・土 松岡永子
 この舞はどこにも属していない。
 何ものにも似ていない、というわけではない。たとえばタイにベトナムに倭に琉球に、似ている。
 東南アジア—モンスーン気候帯に確かに属しているのだと思う。けれど決して、カンボジアでも中国でも韓国でも倭でもない。ではどこの舞なのかといえば、やはり日本ということになるのだろう。西洋を含め、あらゆる地域の文化が流れ込んだ現代日本。地面に降った水の流れを貪欲につぎつぎと呑み込み、あらゆる岸辺の土を抱え込んで、もともとそんな色をしていたかのように流れている川。そんな文化。その中での舞。

 百貨店内の多目的ホール。夏向けの衣服、雑貨等の展示販売をおこなっている。今年は「風水土のしつらい展」として、アジア・モンスーン地帯の暮らしを感じさせるものを集めていた。期間中いくつかのワークショップ、パフォーマンスが行われる。このイベントはその中の一つ。

 展示会場入り口に広場のような場所が作られている。そこをステージに使う。広場中央には、木の根や野草で飾られた方形の台(方形ということは大地を象徴する装飾なのだろう)が据えられている。その脇に茅の輪。その他に、竹藪がいくつか置かれている。七夕飾りのように土鈴(これも出展品)が下がっているものもある。テーマ通りに土や水を感じさせる装飾。それを見ていると、モンスーンは多くの雨と風をもたらし、稲と、そして竹や草木の文化を育むのだなと改めて思う。

 古代の音を思わせるパーカッションに合わせて、二方向から出てきた男女の舞手が一緒に茅の輪をくぐるところから踊りは始まる。二人ともタイの山岳民族衣装(あるいはそれに着想を得た服 やはり出展品)をまとっている。着る人の所作にそって動き揺れる、風をはらむ布。
 まずゆっくりと、たおやかな水の動きから始まる。
 ステップの決まったダンスと違ってペアでそろって踊るのではない。二人の動きは速度も振りも違っている。しかし、どこかで共鳴している。水が、空から雨、川、海、また空へとつづいているように、どこかでつづいているのだと感じさせる動き。
 やがて動きは速さと高さを持ちはじめる。笹の一枝を手に取り、振る。
 それはどこか巫女舞に似ている。わたしは薄や稲穂を連想して、夏よりも秋を思ってしまったが。
 舞手は最初から最後まで一言も発しない。けれど無音ではない。耳に聞こえる息の音。風を意識しているのだろう。
 そして、足裏全体で地を踏む音。
 イサドラ・ダンカンが裸足で踊ったとき地を踏みしめるさまに観客が驚いた、と聞いたことがある。わたしは東洋人なのでそのことに意外性を感じたりはしない。それでも現代では、踏みしめる動作を見ることは少なくなった気がする。
 これは足音を立てる踊り。土を意識した舞。
 しかし、四股や神楽舞のような土との密着度はない。伝統芸能での所作の重心の低さは、腰を屈め土を耕す、日常の労働の中から発生したものだろう。現在の生活ではそんな動作は少ない。だから現代のダンスでは重心は低くない。日常生活が変われば人の所作も変わる。舞は生活動作と無関係なものではない。
 この舞はモンスーン気候帯—しめった土、風、くっきりと変化する季節—に暮らすことを強く意識したものだったと思う。それは催し全体のテーマでもある。美術、音、舞の調和した舞台だった。
 現代のわたしたちもアジアに、そして伝統文化に確かにつながっている。そして昔と同じ形をそのまま保ってもいない。現在の生活の中から出てくるのはどんな所作、舞だろうか。

 演奏は波紋音(はもおん)というオリジナル楽器を中心に、太鼓、ベルなどによる即興。波紋音は中空の鉄のかたまりで、ばちで打つ表面部にいくつかの亀裂が入っている。スティールパンに似ているが、もっとくぐもったような、深いところで響くような音がする。若い彫刻家(斉藤鉄平)の作品だそうだ。一つづつ作られるため、まったく同じ音色のものはできない。
 ライヴ演奏でまったく同じものを繰り返し聞くことはできない。それは舞も同じ。
 水も風も季節も、めぐる。季節と同じく、音も人の動きも何度も繰り返されながら、それぞれは一回きりのできごとなのだ。

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