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魂をゆさぶるやわらかな剛速球 西尾雅
昨年12月に寺田夢酔プロデュースでクラシック・ルネサンスに参加、大正期に海外で夭折した郡虎彦の幻の作品「義朝記」を総勢25人の役者陣でスペクタクル上演。第1回精華演劇祭のオープニングを飾る今回は、よろずやとして一転劇団員のみ6人で本来のしみじみとした味わいを見せる。寺田の魅力は今どき保守的なほどの真摯な取り組み。剛腕直球の作品は奇をてらわず、淡々と進行して新劇を思わすが、抑えた想いがやがて噴出す。

もともと小学校だった劇場の床に、田舎の離れを抽象化した美術装置が能舞台のように据えられている。ひな段の観客席最前列直近もアクティングエリア、同じ高さの床を離れを出入りする役者が通る。離れの隅、三隅に柱を模した木片が立つ。アフタートークの説明では、実際に古い民家で使われていた素材とのこと。末妹(栗原)が結婚して実家を継ぎ、使われない離れを取り壊すべく片付け中だが、はかどらない。そこに盆と祖母の一周忌を兼ね、里帰りした姉2人が揃う。

姉妹3人の機微を、妹の夫と幼なじみの男2人をからめて描く。都会育ちの夫(清水)に田舎暮らしの術や農作業を教える遠縁(寺田)と故郷に残り寺を継いだ若い僧(川村)。いっぽう、姉2人は末妹に実家をまかせきり、去年亡くなった祖母の看病も十分手伝わず。一家の出世頭、会社ではやり手の長姉(竹田)は、のんびりした妹が歯がゆく帰郷の度に意見するが、故郷を離れた彼女の忠告は空しい。次女(高松)は報われない自分の失恋を癒すのに精一杯。田舎になじもうと努力する夫と仲はいいが、若い三女夫婦にも隙間風が吹く。

両親が早くに交通事故死して祖父母に育てられた彼女たち。故郷を離れた姉に代わり家を維持する妹にひとり負担がかかる。交通事故の際、後部座席にいて助かった彼女は生き延びた罪悪感を背負う。体調を崩し早産させた子供の無念も消えない。自責と姉への反発が交錯し、片付かない離れの荷物のように澱んでいる。

彼女は言いかけて、口をつぐむ夫をなじるが、姉たちに言いたいことを言わず黙っていたのは自分も同じ。妹の抑圧と、こちらも休暇帰郷中なのに仕事のトラブルに巻き込まれた姉の鬱屈がぶつかる。後味悪い姉妹喧嘩、その日は村祭の晩。気分害し祭に来ないはずの浴衣姿の姉と出会う。母の好きなその柄の浴衣は母の棺に入れたはず。母そっくりに育った姉、姉に似た姿は母の魂と気づく。娘が助かり生きていることを喜ぶ母。久々に甘え、許されることで妹は生きる元気をもらう。

「盆がえり」は、ただの里帰りでなく、本当に死者の魂が戻ると知る。あるいは「覆水盆に返らず」という。壊れかけた姉妹の関係が、ことわざとは逆に元に戻ればいいと作者は願う。死者の登場は演劇ではありがちなトリックだが、母親にとって娘はみな愛しいもの。その母の姿に託し、姉妹仲良くと訴える心根に打たれる。いっけん一本気で無骨と見える寺田の意外なやさしさ。豪放な直球を受けとめるや意外とやわらか、ふわふわ綿毛の玉のよう。

器用でも美形でもない劇団員が戯曲を支える。魅力の源泉は気持ちを台詞を乗せる気合にある。感情の依代となるが役者の務めなら、とりわけ妹を演じる栗原の余人を許さぬ高揚は現代の巫女といえる。

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