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古典を覆す音楽の力 西尾雅
「ハムレット」(昨年12月)に続くHEP HALLプロデュース第2弾。Theater 14と銘打たれ、小劇場では珍しい2週間のロングランに挑む(休演2日を挟む14日間公演)。通常公演は週末のみ、好評の噂にも見逃すしかない観客にロングランは朗報。ウイングフィールドでは見逃した客のため再演博を企画するが、再演よりロングランが演じる側と客双方によりありがたいシステムではある。むろん劇場プロデューサー(丸山啓吾)が企画を優先すればこそ。必ずしもメリットだけではない事情もそこに浮き上がる。

むろんメリットは圧倒的に多く、FM局とコラボして番組内で情宣し、イープラスと連動してのチケット販売など豊富な情報告知で演劇になじみ薄い客を誘致する。千秋楽近くの公演は完売、追加公演決定も喜ばしい。それは観覧車に乗るフリの客が飛び込みで観劇の楽しみを知る当初の目論見からすれば誤算、うれしい悲鳴といえる。

初回「ハムレット」に続く関西小劇場総出演の豪華メンバー。今回はスカポップを前面に押し出して観客に参加を呼びかけ、音楽で会場を包むライブのノリが集客増に結びつく(惜しむらくは生演奏でない)。「ハムレット」でもオリジナル音楽が使用されたが、今回は座席数減もいとわず舞台を凸型に客席に突き出し、客席通路を多用して場内の一体化を図る。狂言回しを務める妖精パック(羽賀友紀子)が今公演を象徴。本来イタズラ道化のスパイス役が、オーディエンスを挑発して堂々主役を張る。ライブで鍛えたGOGO!マグネグflowerモモンガの羽賀の抜擢は確かに成功の要因だろう。

ただ舞台に音楽とダンスがあり、観客を包むライブ感がありさえすればミュージカルかと問われれば否といわざるを得ない。石原正一ショーで全員一丸のダンスが披露され、転球劇場がミュージカル舞台裏をパロディ化してもミュージカルとは呼ばない。維新派に内橋和久の音楽は欠かせず、作曲・岡崎司は演出・いのうえひでのりの右腕なれどあの新感線ですら「SHIROH」まではミュージカルを名のらない。

ミュージカルか音楽劇か、あるいはストレートプレーかのジャンル分けを問題にしているのではなく、違和感の根源は問い詰めれば作品の求心力に行き当たる。ダンスやコーラスで振付や和音が乱れる居心地悪さは練習以前の技術、寄せ集めプロデュースの弱点といえる。キャスティングこそ完璧だが、キャスト全員が歌えて踊れるには準備不足。当然、歌は羽賀に、ダンスは振付もこなす宮村陽子に負担がかかり、全体のバランスを失なう。ダンススペシャリストの妖精陣はさすがにクラブっぽいライブ感でHEP HALLを沸かせてはいるが。

台詞のある花の妖精たちは可憐、前回「ハムレット」でアンサンブルを務めたヘレナ役の丹羽実真子とオーディション合格のハーミア役・榎園実穂(身長低いが原作どおり。童顔で子供っぽいのが難点)の姉妹のごとき親友の仲たがいが新鮮、なにより劇中劇で演じられる職人たちの小劇場パロディが大笑いさせる。シェイクスピアの訴えるテーマ、心移ろう人間の悲しさと美しさが演出を兼ねる大塚雅史の照明に映える。個々のシーンはそれぞれ美しくキマるが、賑やかな演出は表面をなぞるだけで、深層をえぐりきれてはいない。

衣裳はぜいたくにデザイナー2人を起用、人間と妖精を色分けする(カップル2組や職人らを担当する中崎佑一の、カラフルかつグランジなパッチワークがアート!!)などスタッフに関西屈指の才能を結集するが、逆に総花的で散漫な印象も受ける。維新派の松本雄吉や新感線のいのうえひでのりのような強力なオルガナイザーがいてこそ作品はまとまる。アンサンブルの演出に定評のある大塚だが身内の劇団員ではなく、プロデュース公演の多人数が相手となれば目の届かぬ部分も出よう。エネルギッシュな音楽は若々しいが、キャッチーなメロディが少ないのも痛い。

小劇場では主宰する作・演出家が作品の色を決定するが、プロデュース企画では演出もスタッフの1部門に過ぎない。プロデューサーが人事と予算を決定し(たぶん)、アートディレクションの黒田武志がビジュアルに関わる今公演では音響や映像(開演前に流れる海外ミュージカルのアニメーションロゴは先達への敬意が込められていて秀逸)スタッフも力を発揮、役者も魅力を発散するが全体を統合し得ていない。皆がいい仕事をこなしているのに、責任者の不在が訴求力の弱い、求心力のないままに終わらせる。

けれども、演出の締め付けのゆるさが役者ひとりひとりを際立たせる。26人もの大人数が群像劇の趣で個性を競う。オベロン/シーシウスとタイテーニア/ヒポリタは通常1人2役で演じられるが、今回はひとりずつ配役。オベロンとタイテーニアが取り合う美少年が実際登場する翻訳(中井由梨子)・演出や、原作でも会話に上るだけのアマゾネス時代のタイテーニアとオベロンの戦いがオープニングに無言劇で演じられたのも驚き。争いと結婚、痴話喧嘩と純愛を同列に論じ、妖精の王オベロン/タイテーニアとアテネの支配者シーシウス(西田政彦)/ヒポリタ(宮村陽子)そして市民2組のカップルの階層差や男女差に愛憎の違いはないと訴える。3層のカップルが等しいのはシェイクスピアの意図どおり、初めての若い観客にもわかりやすいシェイクスピアといえる。難をいえば役者全員の年齢が近いので王と支配者、市民役の軽重がつきにくいことか。それもまた痴呆賢人、貴賎を問わず人間みな同じと説くシェイクスピアに似合うのが、瓢箪から駒の儲けもの。

「ハムレット」からの連続登場は丹羽以外にデミトリアス役の赤星マサノリとオベロン役の小松利昌の熱い2人。アドリブぶっ放す小松には負けてはいない美津乃あわをタイテーニア役で拮抗させ、汗びっしょりの赤星には若い丹羽や榎園、これまたオーディション選抜のライサンダー役・鈴木将浩をぶつける。鈴木は初見、所属の伽羅倶梨も未見だが、しなやかな細身でダンスのキレも良い。

劇中劇もシェイクスピアの常、職人の素人芝居を完全な小劇場パロディに仕立てるイマドキ感が今回一番の収穫。ボトム橋田雄一郎、フルート金替康博、スナウト上田一軒、スナッグ藤元英樹、スターヴリング坂口修一、クインス石原正一はまさに看板役者のそろい踏み、今後2度とお目にかかることはない絶妙の布陣。大団円の後で演じられるこの劇中劇は、いわばおまけ。が、今公演はこのパートだけにチケット代を払っても惜しくない。素人(を演じる小劇場役者)の演じる馬鹿馬鹿しい悲喜劇が人間のはかなさを暗示、悲しさを通り越して安らぎに昇華する。人生はしょせんひと夜の夢、今メンバーもまたあり得ないわずか14夜のドリーム(!!)チームなのだ。

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