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狭小な能楽堂から宇宙の豊穣を映す 西尾雅
蜷川の名を世界に知らしめたのは、マクベスを安土桃山時代に置き換え、舞台に仏壇を設えた演出によって(80年初演)。「NINAGAマクベス」と銘打たれた斬新な演出を蜷川は封印し、01年に林立する蓮の花とハーフミラーを使う新演出に切り替えたが、日本人が解釈し世界に通じるシェイクスピアとして仏壇マクベスは歴史に刻まれる。本作は日本人のアイデンティティーをさらに推し進め、能楽堂を使用して和の様式を最大限取り入れる。蜷川の新演出が彩の国さいたま芸術劇場の企画であり、本作がりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)能楽堂シェイクスピアシリーズ第1回公演(03年)の再演と地方発も共通する。

主要キャストを初演と入れ替え、マクベス市川右近、マクベス夫人市川笑也、ヘカテ藤間紫と猿之助一門が固め、ダンカン王に「NINAGAマクベス」にも出演した菅生隆之(文学座)や元シェイクスピアシアターのマクダフ中井出健、ロス星和利が加わる。歌舞伎、新劇、小劇場と出自のさまざまなキャストに花を添えるのが、りゅーとぴあ演劇スタジオ育ちの6人のアンサンブル魔女。1幕は少女らしい赤い着物、2幕は死を象徴する真っ白な着物でヘカテに導かれる彼女らは、まるでカラクリ人形。文楽を写した人形振りではなく、ゼンマイ仕掛けの動きで、マクベスを能舞台の中央に追いつめる。

カラクリ仕掛けの人形が、逆に人間を操り、翻弄する。予言にやすやすと乗せられて、自ら地獄に転がり出す人の弱さが恐ろしい。いや、魔女の予言などではなく、マクベスの内なる欲望が戦勝気分でうかうかと浮かび上がっただけなのだ。信じていたはずの自分とは何ともろい存在なのか。

いざとなると王殺害をためらう夫の尻をたたく冷酷なマクベス夫人も、2幕で夢遊病に苦しむ姿を見せる。信念は自分が思うほど強いものでも長く続くものでもない。変節と豹変こそ常に真実。いみじくも門番が「酒は助平を催させ、後で萎えさせる二枚舌」と指摘したように二枚舌が世界を統べる。二面性は魔女の特権ではなくこの世の真理、人の心の振幅そのもの。

布をたっぷり驕った衣装こそ豪華だが、小道具は笹と筆と紙それに傘だけ。夫人に手紙をしたためた筆が王を刺す短剣に変わる。マクベスが死ぬラスト近くで笹を剣に見立てた殺陣が、踊りで振付けられる。少ない人数での場面転換も鮮やか。殺されたダンカン王の上掛けを脱ぐと着物が死を象徴し、役者は門番に早替わり。同様に幼い息子と共に殺されるマクダフ夫人(山賀晴代)もマクベス夫人の侍女に替わる。マクダフ夫人の上掛けをマクダフが受け取り、その死を悼む。ちなみにマクダフ夫人の息子は、白い着物の少女たちが謡うように割り台詞でつなぐ。

ムービングが当然の現代に抗議するかのように照明もシンプル。天井の地明かり以外に正面の柱2本と橋掛かりの3基のみ。床面からあおる光で、松が描かれた奥の鏡板(羽目板)に人の影が大きくゆらぎ、はかない心と影法師のような人生を映す。けれど、本作最大の特徴は、マクベスとマクベス夫人2人が手を取って橋掛かりを渡る引っ込み。罪を覚悟の同志は、しだいに齟齬をきたし、孤独な死を迎える。2人は一切を償ってようやく再会できたたのだろうか。それまで魔女たちの差し出すボロ傘に惑わされた彼らが、今は真っ白な合い合い傘の道行。無垢な傘と正装に包まれた2人が凛として美しい。

シンプルなだけに想像をかき立てる能楽堂の豊穣を知る。わずか三間四方の本舞台と橋掛かりで世界を映す。魔女のひそむ亜空間ともなり、人の心の闇ともなる、まるで宇宙のブラックホール。その引力が異種格闘技のような歌舞伎、新劇、小劇場を和合させたのだろう。

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