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太陽風 松岡永子
 マンションの一室。ホワイトボードや無機的な机、椅子の並んだ殺風景なその部屋は集会室であり、さまざまな人が出入りする。
 不倫カップルの密会の場所であり、居住者の自治会総会に向けての会議の場でもある。
 大きな窓からはマンション前庭にある池が見下ろせる。

 都心部から外れた郊外の住宅地。山を崩し、池を埋め、建てられた分譲マンション。
 広さのわりに割安感があるということで一時期大量に作られたよくある建築物。日本中どこへ行っても見られる風景だ。

 管理組合の役員は年ごとの回り持ちで、皆、しかたなく務めている。ふだんはあまり近所づきあいもなく、住人全員の顔などもちろん知らない。関係ない人間が混じっていても気づかないだろう。

 役員会議では清掃の日程ひとつ決まらない。平日の方が都合のいい者と日曜でなければ出られない者がいるのは当然で、全員の意見が一致することなどありえない。それでもすべての人が同じように義務を果たし、権利を行使することを自明のこととして議事は進む。
 管理費を子ども向きのイベントのために出資するのは、子どものいる世帯といない世帯で不平等になるから好ましくない。
 個別の事情を考慮の外において平等、公正を求める話し合いは混沌とし、抜き差しならない。
 窓から前庭の池を見ていた男が、雨が降り出したようだ水面が波立っている、と見に降りてゆく。

 池の水面が揺れている。それはアメンボのせいだ。
 大量発生したアメンボが跳ねて水面を激しく揺らしていたのだという。
 アメンボは水面を滑るものだ。跳ねるものではない。だが過密な状態に置かれると生き物は「狂う」のだろう。有名なレミングの集団自殺も、過密さが引き金になるという。
 生物としての許容範囲を越える集団を作ってしまった人間が、それでもなんとか生きのびようとするとき、どんな方法があるのか。

 当然のことながら役員たちの家庭は一様に、個別の問題を抱えている。
 バブル時代流行画家だった男は離婚し、今は若い女と暮らしている、らしい。ややヒステリックな女は教師でひとり娘が家出中、らしい。互いに打ち明け話をすることも相談することもない。それはただ噂話として広がっている。
 教師だという女は、他人は何を考えているか分からないから怖いという。だからすべて知りたいし、すべて知ってほしい、という。不倫している主婦は、とにかく淋しいという。

 街で暮らすこと、集合住宅で暮らすことは息苦しい。
 もともと人間は淋しいから、安心するために集まって暮らすことにしたのではなかったか。集落では足音や生活音に、近くに人がいる気配にほっとしたはずだ。
 だが現在、マンションでは近隣の生活音は騒音だ。

 住民からの苦情処理も役員の仕事だ。
 騒音、ゴミの投棄などの苦情に交じって、最近よく路上駐車している自動車の問題が議題にあがる。マンション住民の車なのか外部からの車なのかもはっきりしない。はっきりしないものは恐い。
「駐車していることにどんな意味があるんでしょう」という疑問に対する「意味なんかないんじゃないですか。ただ誰かに会いたくて来てるだけで」という答えはうまく届かない。
 意味なんかないただ在るだけ、ということを人間はうまくのみこめなくなった。

 管理会社の社員だという男が会議に加わる。彼は合理的に議題をさばき、秩序を与える。彼は誰の意見も否定しない。穏やかに耳を傾け、意味づけ整然と配置していく。彼の合理性は徹底していて、必要ならば不合理の存在も認める。それが住民の意識統一のために役立つあいだは、たとえば幽霊のような集団幻覚も醒ます必要はないという。

 彼の登場にほっとする自分が、確かにいる。彼がいるとものごとがくっきり見える。彼のもたらす明るさはまったく影を持たない。

「皆さんが自分の手で管理できるようになるようにバックアップすることが仕事です」と、彼は総会には出席しない。人目に立つ表には出てこない。
 姿を現さず、どこか深いところで人々の暮らしを支える、それはたとえばざしきわらしと呼ばれるモノ、ではなかったか。
 だが彼はモノノケではない。自ら明言するとおり、システムだ。

 会議の途中、ふと、「役員ってもうひとりいたんじゃなかったっけ?」と言い出す者がいる。はじめからある種不可解なムードをたたえていた男はいつの間にか姿が見えなくなった。
「いいえ、ここにいる方だけです」と管理会社の男は明快に答える。

 総会は「成功裡に」終わる。喜ぶ役員たちの中で画家だけは不満だ。形式的に整えられただけのシャンシャン総会では何も話し合ったことにならないと思っている。彼の苛立ちは健全なものだろう。しかしそれを論理的に説明することは難しい。彼は席を立つ。

 管理会社の男は次の仕事に取りかかる。彼は役員のうちふたりに退去するよう要請する。あいかわらず穏やかで強制ではない。だがその通りになるしかないと皆わかっている。よりよい管理のためには全体性を乱す異分子は排除されなくてはならない。そうして「より快適な生活」へと管理は強化されていく。

 夜半の集会室。姿の見えなくなった男と画家、彼と同居している少女。少女には男が見えているが、画家にはもう見えない。画家は男に語りかける。
「あなたが出ていった家は滅びると聞いています」
 男は昔、ざしきわらしとかぬしと呼ばれていたモノだ。生活の周縁の薄暗がりに棲む、曖昧な時間、空間の住人だ。彼はもう名を持たない。まもなくいなくなる存在だ。
 自然とのあわい、言葉にならない曖昧さと共生していくことを、人間は放棄した。

 劇中、身元の分からない闖入者がもう一人いる。
 家出した娘は元気だと母親の教師に告げに来た男だ。恋人かと聞かれるとパートナーだと答え、彼女の描くパステル画はとてもきれいだと嬉しそうに語る。
 母親は彼の訪問には感謝しながらも、彼らの在り方を理解できない(理解できるほど詳しく語られもしない)。
 このマンションを出ていった者は別のコミュニティの在り方を探り当てただろうか。まだ何も見えてこない。

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