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緊張感なきダンスの「マコト」 栂井理依
 夜、眠りについたあと、ふと目が覚める。
ヨルとアサの間。睡眠と覚醒の間。意識と無意識の間。まどろみながら、つらつらとものを思い浮かべていると、今まで思いもよらぬことを考えたりする。どきっ。それは、天使の一言だったり、悪魔の一言だったり、おとなの戯言だったり、子どもの叫びだったり、はたまた、なんでもないことだったりする。きっとそれは、日常から解き放たれた自由なココロの為せる技なのだと思う。

 「今宵も素知らぬふりして夜な夜なふけます、いきます、したらこぼれ落ちたんでした、きっと。」———康本雅子が、パンフレットに寄せた言葉である。『夜泣き指ゅ』は、そんな涙のように、フツーの夜の隙間からこぼれ落ちた意識の「ひととき」を描いた作品だ。

 服が散らかっている。よれよれになったトレーナーとジャージで、ぐっすり眠っていた康本雅子は、急に目を覚まし、むずがり始める。客席に逆さの顔を向けるように頭を床についたり、手をぱたぱたさせたり…頭、顔、首、上半身と動きの最小単位がじわじわと少しずつ広がっていく。

 そして、立ち上がる。トレーナーをかぶって顔を隠す。そして、丸だしになった臍から、何やら糸のようなものが出てくる。つっつーと糸をひっぱって、一番前に座っている客に持たせる。最初は糸にひっぱられるかのように、慎重に身体を動かす。『こんにちは赤ちゃん』に合わせてラジオ体操。いちにいちに。今度は、フラダンス。しまいには、駄々っ子のように足を踏み鳴らす。

 長い手足と驚くほどの柔軟性を持った康本の身体が、まるでアメーバのように、次から次へとなめらかに様々に形を変えていく。身体を動かす範囲が大きくなり、速度が速くなる。動いているうちに、康本の感知する意識の世界が広がっていくように感じる。身体が、空間を広げていく。

 康本は、松尾スズキの『キレイ』『業音』などで、美しいダンスを披露し、舞台ファンには一躍知られるところとなったが、ダンサーとしての大阪での個人公演は、今回の「踊りに行くぜ!! Vol.4」(※)への参加が初めてとなる。
 そのため、残念ながら、私は他の舞台を観ていないため、比較ができないのだが、今回の『夜泣き指ゅ』で観るかぎりでは、康本のダンスというのは、わたしにとって、言うならば、良い意味での「緊張感」なき動きだった。

 ダンスを観ていると、舞台に立つダンサーたちの「今、しなければいけないのはこの動きである」とでも言うような、激しい動きへの欲求を感じて、その緊張感に息が詰まりそうになることがある。
 もちろん、ダンスが個々の身体性と向き合って生まれるものである以上、自身の動きへの欲求からは逃れられないものなのだが、その激しい緊張感が、自慰的に感じられ、観ている方としてはわずらわしくなってしまうことがある。否応なく、そのダンサーの表現行為につきあわされる束縛感がある。(コンテンポラリーダンスが、なかなか一般受けしないのは、そのせいではないかと思うことがある)

 康本は、日常生活に端を発した微細な動きにも、既成の堅い動きにも、気負いなくふんわりと意識と身体を委ねる。そして、動きから動きへの細かいつなぎ方、それぞれの動きのテンポの取り方など、自由に選択していく。臍から出た糸で引っ張られているはずなのに、それだって、ものともしなくなっちゃう。生まれるべき緊張感は、一連のなめらかで自由な動きを見せる身体によって自然とまきとられ、康本の飄々としたキャラクターによって軽快なユーモアへと組みかえられる。観客を面白がらせる、楽しませる演劇の舞台に立った経験が、康本をそう変えたのかもしれないが、そのダンスは観る者にも心地よい。

 眠りへ戻っていく彼女。眠りと眠りの合間。ほんの束の間しか存在しない「ひととき」、ほんの束の間しか存在しない「身体」、それは、緊張感はなくったって、わたしたちの生そのものを映し出している。切実な生の時間を。


※ JCDN(Japan Contemporary Dance Network)の主催公演。
選抜されたアーティストたちによる全国ツアーを行う。

キーワード
■コンテンポラリーダンス
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