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+ 山下里加
+ 小山田徹(こやまだとおる)

1961年生まれ。京都府在住。1984年、京都市立芸術大学在学中にパフォーマンス集団、ダムタイプを立ち上げる。
主に企画構成、舞台美術を担当。国内外での公演多数。
1992年、コミュニティセンター“Art-Scape”を運営。
1994〜96年、“Weekend Cafe”を運営。
1998年、コミュニティカフェ“Bazaar Cafe”の立ち上げに参加。
2000年、ダムタイプでの活動を休止。個人活動を開始。
2001年、共有アトリエ T-Room の立ち上げに参加。山口情報芸術センターのプレイベントとして、市民との協働プロジェクトを開始(現在も継続中)。
2002年、『Beautiful Life』展(水戸芸術館)出品。
2003年、『ガーデン/山荘の時間』展(アサヒビール大山崎山荘美術館)にて、連続ワークショップを開催。

4月1日(火)10:30AM from山下 猫先生は迷走する

小山田徹さま。
山下里加です。

さてさて、のんきに続けてきた「猫道交換日記その2」もそろそろ最終交換の季節です。
最後の話題をどうしようかと思っていたんですが、小山田さんの家族話を読んでいるうちに私も自分の家族を思い出しました。

一番、身近な家族、血縁者といえば、私の場合は、姉です。
その姉が3月20日に韓国から帰ってきました。
ソウル日本人学校で、小学校の先生として3年間勤めていたのです。
うちの家族は、父は高校の英語教師、母はやり手のピアノ教師、姉は小学校教師、兄は音楽のヤマハで全国のブラスバンドを指導して回っています。
見事な教師一家です。

かく言う私も、教育大なんてところに入り、教師になるのが当たり前だと思ってきたのです。
が、付属中学校の教育実習に行って「あ、こりゃあかん」とすぐにあきらめました。
「先生」、特に学校の「先生」って、一種の権力者になることを受け入れないと出来ないんですよね。
その上で、教室全体にふわんっと網をかけるようにまんべんなく配慮しなくてはいけない。
その当時の私にとっては、至難の業でした。
(ちなみに、母、兄、姉は、天性の「先生」です。ある種のリーダーシップをとって、全体を動かしていくのが上手い!父はどちらかというと一部の変わり者に好かれていたようですが。。。)

多分、その反動もあってライターになったような気もします。
上から評価するのではなく、その人自身や物事を見つめる。
一対多ではなく、一対一の関係で引き出せることを文章にしていく。
そういう、ピタリと密着する感覚だけを頼ってライター業を続けてきたように思います。

ところが!
2年前から、私も先生と呼ばれるようになってしまいました。
芸術系大学の非常勤講師を始めたのです。
1年目は物珍しくて、ワクワクしながらやってきたのですが、2年目ぐらいからハタッと気が付いてしまったのです。
私には教えるべきものが何もないことに。

たとえば、京都造形芸術大学でやっている「フィールドワーク」という授業。
これは、学生達と共に美術館やギャラリー、ワークショップなどの現場を訪れ、
学芸員やギャラリスト、アーティストなどアートの現場で実際に働いている人にお話を聞く、という授業なんです。
私は「遠足隊長」、もしくは案内人としての役をしていただけ。

1年目は、「先生」業がもの珍しく、ライターとは違う関係と視点で、美術館やギャラリーに関われることがおもしろかったんです。私が楽しんでいることが学生たちにも伝わっていたようにも思います。
でも、2年目に入るころからちょっと勢いがなくなってきたようです。

簡単に言うと、私が飽きちゃったんですね。
フィールドワークの授業では、年2回、前期と後期ごとに学生が変わっていきます。2年目の時に、「去年と同じことじゃ、おもしろくないよな」と思って、ちょっと変わったこと、新しい試みを採り入れていくと、カクンッと学生たちのテンションが下がったように感じたのです。
その時の、するすると掌から砂がこぼれていくようなむなしさは、小さなトゲになって私をチクチクと刺し続けています。

今、「先生」であることの条件は何かと考えるに、知識や技術を教えること、だけでないように思い始めています。
飽きないこと、繰り返しをいとわないこと。
これが、けっこう大事なんじゃないかと思い始めているのです。
半期が終わるごとに、学生たちはそれぞれに成長して次の段階に進むのに、「先生」はふりだしに戻る。
その“ふりだしに戻る”感をいかに新鮮に感じられるかが、「先生」の才能のように思うのです。

ところで、小山田さんがやっていることも、「教育」だったり、「学びの場」でもあるように思います。
美術館などが主催するワークショップはもちろん、喫茶店をすることや散歩も、何かを「学んでいく場」だと思うのです。

小山田さんにとって「教えること」「先生」ってなんでしょう。
小山田さん自身が「先生」と呼ばれることもあるでしょう。
小山田さんが「先生」だと思っている人もいるでしょう。

新学期を目の前に、ちょっと「先生」話をしてくれませんか?

※さて、今回の写真は、現在の高校で使われている教科書です。知人の高校教師からゆずってもらいました。最近の美術教科書は、非常によく出来ています。右は、現代美術社発行の『美術・その精神と表現1』。オーソドックスですが、図版が大きくてきれい。左上は、日本文教出版社の『美・創造へ1』。開いているページは、「壁の解放」と題し、ヨーロッパの壁画と日本のふすま絵の違いを端的に説明しています。左下は、光村図書出版株式会社の『美術1』。開いているページは、「●目の遊び ユーモアあふれる視線」として、ボッティチェリと福田美蘭、ゴッホと森村泰昌、歌川国芳とアルチンボルド、中ザワヒデキと市川義一を並べて見せています。このまま展覧会に出来そう!高校時代に美術の教科書に出合っていたら、みんな美術好きになりそうですが……あ、美術の授業そのものが選択制で選ぶ生徒が少ないんだった…とほほ。

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