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ブリコラージュ 周辺環境 |
(III)ブリコラージュ+アートスペース・ジュウ
http://www.jimoto-navi.com/bricolage/
【立地】
大正区南恩加島の、長屋路地の一角に位置する。大正駅から、大正通りをバスで南へ向かい降り、東へ入る路地沿いにある。JRもしくは地下鉄で大正駅へ出、そしてバスを乗り継がねばならず、それゆえ来るのに難儀する。住宅区域そのものは、低層の住宅が並び閑静である。その周辺には、大規模の工場がある。たとえば西には製鉄所(大阪製鉄)。あるいは大正通りを挟んで向かい側には工場(片山ストラテック)。(写真数枚)
【出来た経緯】
もともと終戦直後以来五十年間操業していた家具工場が新工場へと移転し空きスペースとなったところをアートスペースへと転用した。ここが、アートスペースとしてオープンしたのは、2002年の4月。けれど、イベントやワークショップの企画を行い、あるいはそのための場を提供する店、すなわちブリコラージュとしての活動自体は七年前から既に、大正区内の他所(家具工場以来の伝統を受けて発展させた、建築・施行・内装等、家に関わる事柄の諸々を請け負う家業を展開する事務所に併設されているショールームが、アートイベント等のためのスペースとして活用されていた)にて展開していた。この展開過程において形成された人とのつながりが拡大し、より広いスペースを求めざるを得なくなった。そこでちょうど空いた旧家具工場の建物へと移転したのである。さらにまた、大切なこの建物が、ただの物置となるのが忍びなく、ここに家具づくりとは違った活動ではあるが、それによりひとの活気を取り戻したいという、建物およびこれの建つ場所への、スタッフたちの愛着があったというのも大きな理由である。
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ブリコラージュ 内部 |
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ブリコラージュ ショーウインドー |
【建物】
木造二階建て。一階には木のおもちゃ、雑貨、小物などがある。二階は四面白塗りのアートスペース。ライブ、パフォーマンス、染織展示等、そこにて催されるイベントは様々である。最近は、詩の朗読のパフォーマンスが続けて二回行われた。
【建物へのこだわり】
「人ともののぬくもり」を感じさせる空間。「この空間に身を置く時、すべての人が心地よくたおやかなひとときを過ごして頂けますように、との思いをこめて」創られる空間。こういった思い入れがあるとのこと(注5)。また、その転用の過程については次のように述べられる。「北面の路地側の角っこは、その両側に不自然に切り取られた三角形のハメコロシガラス面が四つ組み合わさっている。ショーウインドーの役割なんですが、この斜めの線がなかったらもっとみやすいのに・・・。ところが結構これが存在感があって面白い。(実はこの斜めの線・・・木造建築構造上重要な筋違(筋交とも書きます)なのです。)デザインって変で妙なもので、意図して創ったものが時としてつまらなく、グッとくるものがなんなんてことありますね。ところがこの例の様に面白いショーウインドーを創ろうとして古い壁を壊していったら厄介なことに太い筋違が二本もガツンと入っている。ここでハタと腕組みをしながら情景を色々と想いうかべて思案にふける。別に構造上だけのことなら筋違をとって補強する方法はいくらでも手法論としてはあります。しかし選択したのは・・・・・・そのまま、そのまま・・・・・・昭和24年に建ててくれた大工さん(上之郷村の通称大工のカズさん)の痕跡そのまま残してやってみようと・・・結果、あの力強い斜めの線を持つ角っこの表情となったわけです。ところがこの三角形の切り取りは、意図してはまず出来ないし考えられなかったものが、在来の建築物に啓示された形で出来上がっていく。形創の妙というところにデザインの面白さ、奥深さ—これはもうまさに“遊び”の極みといった感じがします」(注6)と。作り手の意図したとおりに建物を従え全面的につくりかえてしまうのではなく、むしろ、家具工場だった建物に元来備わる諸特性を活かしつつ、家具づくりとは別の、今行われようとしている活動に沿うよう転用する(この場合は、壁をショーウインドーへと転用するに際し、もとからあった筋違を残しつつ再活用し、面白くデザインされたものとして新たに出現させるというように)といった思想をここに認めることが出来る。この考えは、他の箇所の随所にも活かされている。
【運営】
スタッフの城森朋恵は次のように言う。「このスペースを使う人とは時間をかけて対話し、事務的な取り決めだけでなく無駄話のような余計と思われがちなことをも大切にし、その人柄を知りたい。表に出にくい裏舞台でのやり取りで感じた相手の魅力や感触などを見る人に感じさせる、そういうイベントづくりをしたい」と。イベントのための人選に際しては、意思疎通が深められるかどうかが重視される。すなわち、たとえその人が偶然出あった人であっても(客として偶々来た人、共通の知人を介して出会った等)、こういった、長い時間をかけての対話、遣り取りが重視される。よく知りたい、イベントにおいて魅力を引き出したいと思わせてくれる人にスペースを任せたいといった考え方がそこにある。なおこのスペース自体、営利を目的とするものではない。イベントを行うにしても、集客を見込んで行うというよりは、スタッフのモチベーションが基本となる(来ることの望まれる客も、それに共感してくれる人が主である)。だからといって、出演者の負担を減らすこと、宣伝費、光熱費、スペースの維持管理費等のため、最低限の資金は要る。けれど、イベント等の準備は原則として家族と友人で行われるため労賃を払う必要はない(友人に頼む場合は、まずその人がイベントに興味があるかということを前提にして、「交通費もバイト代もないけどイベントが楽しめてご飯がついてるから、写真撮影したり、後片付けを手伝ってね」という具合に要請する。労賃の代りに楽しみが得られる、いわばボランティアである。)また、改装時にも、電気・ガス等に関して以外のことは、家業ゆえ、ほとんど自前で可能である。このように、運営資金はなんとか、家業との連携でうまくやり繰りしているとのこと(その内実について詳述するのはプライバシーの過度な詮索となりかねないので省略)。
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アンヅギャラリー |
[これら転用例以外にも、市内には、雑居ビルの一室がそのまま転用されてギャラリーとなったものが幾つかある。たとえばアンヅギャラリー(http://www.andsshop.com/)。これは、南船場のエリアから少しだけ離れたところ、四ツ橋筋に対し東側に平行している細い通りに沿う雑居ビルの三階にある。上述のエリアとは、高架道路(阪神高速)を間に挟んで関係しており、そのせいか、同一地域内に組み入れられている感じは弱められている(実際、住所も南船場ではなく新町である)。五年前のオープンであり、つまりは最近の、南船場の興隆の傾向とは関わり無く、それ以前から独自にここに位置を定め、今に至るとのことである。「ここに定めたのは、建物の古さと、窓の大きさにひかれたのが理由。当時周囲には、店は三か四軒だけしかなかった。そもそも、地域(南船場)のブレークを見込むといったこととは関係なくこの場所を選んだ。今でも、はやりの動きに、立地上、取り残された感じがあり、それがほっとする。」と、スタッフの羽野ヨシヒロは語る。「個人として、独自路線でやっている。皆で似た視線というよりは、違う視点でやってきたし、これからもそれをつらぬくつもり。だから、とりたてて交流のあるギャラリーはない。」独自にやってきたことが、今に至って、老舗としての評判を得ることになったと考えることも出来るだろう。ほかに著名なのは、アメリカ村に位置する複眼ギャラリー(http://www3.ocn.ne.jp/~fukugan/)。] |
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