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作品についてのどんな知識を持っていることよりも、実際にその作品を体感することが、まず大事だと語る原久子さんは、多忙な中、大小様々な展覧会やシンポジウムなどまめに足を運ぶ。アート・プログラムディレクター、ライター、編集者という複数の肩書き?を持ち、『日本経済新聞』、『AERA』、『BT』といった新聞雑誌への美術関係記事やアート系ウェブ・マガジンでの執筆などとともに、展覧会やアートイベント、ワークショップなどの企画運営を行っている。日本では数少ないインディペンデントで活躍するアートプロデューサーの一人だ。原さんの仕事全体をひとことで表現すると、アートマネージメントということになるのだろう。しかし、もともと“アートマネージメント”という職業があったわけではないのだ。

そもそもこういうお仕事をはじめたきっかけというのは?

 友人が、芸術系大学にいたり、子供の時から美術館などに行く機会はあって、興味はあったんだけど、それを仕事にしていこうというほどのモチベーションを感じていたわけではないです。大学では社会学を専攻していて、たまたま縁あって、就職先が芸術系大学だったということがこの世界に足を踏み入れるきっかけになりました。ですから学生時代に美学や美術史を学んだわけではなく、美術系大学出身でもないんですよ。 当時は出来て10年もたたない発展途上の小さな短期大学で、理事長や周りの人達がいろんなことに興味を持っていて、次々と新たなプロジェクトが立ち上がり、それらを実現させていくためのサポートをすることが自分の仕事だと考えていました。
 そしてまだ大学を卒業する前、卒論の諮問も終わっていない頃(他の友人なんかは 卒業旅行と称して海外に行ったりしているのに)、上司から連絡があって「忙しいから来い」って言われて..中国の美術大学との交流展のための準備をすることになるんです。 いきなり図録のための作品撮影の手配から、編集、輸送など、交流展のすべてに渡るコーディネート。何の経験もない私がこれらのすべてを任されたんですね。しかも誰も方法を教えてくれなかった。みんながはじめてのことだったので、誰も知らなかったんだと思うけど、仕方がないから、数々の失敗を重ねながらも(いろんな方にご迷惑をおかけしたんですが)、とにかく手探りで目の前に積み上げられた仕事をこなしていきました。プロジェクトの全貌も知らずに、ドタバタとあっちに走っては転んで、また起き上がって走るということを繰り返して。

いきなり過酷な状況になったわけですね。

今思い返してみれば、最初からこれはこうするもんだとかいうマニュアルを渡されなかったことは良かったんじゃないかと思ってるんです。もちろん決まりごとはあるんだけど、ノウハウを知っているからといっても、ケースバイケースで対応しなければいけないし、仕事にマニュアルなんてないんですよ。

この交流展がようやく終わったと思ったら、真新しい名刺をポンと渡されて「これを持って画廊に挨拶に行って来なさい」とか。全く知らない世界ではなかったのだけれど、知らない人の展覧会をしている画廊に入って行くなんてことはなかったし、奥で作家とその知り合いや画廊の人がお茶を飲みながら歓談しているので(これはこれでいろんな意味のあることだとは思うんだけど)、知らない人にはちょっと足を踏み入れにくい閉じた空気があって、画廊に行くたびに扉を開けるのに勇気が要りました。何度か通っているうちに、画廊の人の美術を愛する想いとか、作家も多くの人に見て欲しいという気持ちを持って展覧会を開いているということが分って、すぐに打ち解けて自分も仲間のようになっていくんだけれど。でも、初めて行くものにとっては疎外感 を与えるような空気があるという最初に自分が味わったこの思いは、常に忘れてはいけないことだと考えています。それは画廊というスペースについてのみ言っていることではなく、様々な場面においてなんですけどね。

このように現場へ足を運ぶことによって原さんのネットワークが広がっていくわけですね。

貸し画廊というのは基本的に毎週展示が変わっていくので、見逃すとそれは2度とその空間で見ることは出来ないもので、見逃した作品がすごく良かったらどうしよう…という強迫観念みたいなものに襲われて、ほとんど毎週見に行くようになっていました。
また、1年に1回とか2年に1回というサイクルで発表しているアーティストが多いので、年を重ねて見ていくと、漫画の続きを読むような気持ちに少し似ているのかなあと思うけど、作家の作品が次にどういう展開をしているかということを自分の眼で確かめたいという気持ちも芽生えてきたり。現代美術は難しいとかよく言われるけど、私の場合ははじめのうち、分るとか分らないとかいうよりも、自分が好きか好きじゃないか、またア−テイストと話をしてそれに共感出来るか出来ないかなど、たくさんのものを見ていくうちに、技術的な面とか、作品のいろんな側面が見えてきてどんどんはまっていったのです。

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