第3章 きんじょのはてのワークショップ
個展『きんじょのはて』は、ワークショップがたくさん、用意されています。毎日かならず何かがありますね。今日は、そのワークショップのことをお聞きできればと思います。
伊藤存:ワークショップでは、とにかく外にいきたいというのがありました。「お月見したいな」とか、「写生しようか」とか、ほんとは釣りができればなあというのがあったんだけど、まあそれはもっとあたためて(笑)。それで、屋形船をさがしたり(『はんぶん
月見の会』)、「こういうのをしたいんですけど」って「ぬり絵」(『ブタのぬり絵プロジェクト』)をいっしょにやってもらう場所をたずねていったりしていました。
喫茶店とか美容院、オン・サンデーズなどのショップとかにも「ブタのぬり絵」を設置して、描いてもらうようにしてるんですが、小学生くらいの年齢の子は絶対少なくなるでしょう。いろんな層を集めたい。図画工作協会という図工の先生の集まりがあるんですが、そこで小学校の図工の時間にできないかたのんでみよう、と。そしたら反応してくれた先生が2人いて、「やってほしい」ということになって、授業にいくことになったんです。「ブタのぬり絵」と「あぶり出し」(『あぶり出し「どうつぶ図鑑」』)をやってんけど、「あぶり出し」が燃えた子がいた(笑)。
青木陵子:理科室だったし、さすが先生で、すぐにサッて消したけど(笑)。
小学校は何年生のところにいったんですか。
伊藤:1年生と3年生と6年生。たとえば1年生だと、「どうぶつって知ってますか」っていうと、「知ってる!」っていう。「じゃあ、どうつぶ、は知ってますか」っていうと、「どうつぶ?」「いれかえた!」とか、〈たきぬ〉なら「たきぬ?!」「たきぬ!!」って一個一個に大きな反応があって(笑)。
この『あぶり出し「どうつぶ図鑑」』のワークショップは、僕の絵は見せずに、字だけの印象で描いてもらうんです。ゴリラとかカエルということは、とりあえずどうでもいいから、〈ごらり〉とか〈かるえ〉のひびきからどういういきものかを考えて絵を描いてもらう。ふだんちゃんと絵を描ける子は、とまどっとって、自分のできに納得いってなかったり、いろいろでしたね。〈かるへ〉って書く子もいたり(笑)。
その時点でちがってる(笑)。
伊藤:3年生とか6年生になったら、〈かるえ〉だったら、「かるいもの」というダジャレがきいてきたりする。〈かるえ〉というのはそのままだと意味ないひびきやけど、そのなかから別の言葉をむすびつけてくるんです。
「ブタのぬり絵」に関してはちょっと決めごとをつくってやってもらったクラスもありました。「ブタが1匹おるから、そのブタに、最近たのしかったこと、気になっていることなんかを絵で教えてください」っていって。「ブタは言葉がしゃべれへんから」って。でも、あんまりいいすぎると、説明的な絵になってしまうからむずかしいなあって思いましたね。
伊藤さん自身はワークショップを体験されたことってあるんですか。
伊藤:それがないんです(笑)。ワークショップをしたのも今回が初めてで、したことないのに、なぜか毎日やっている(笑)。ワタリウム美術館も、僕が何をいいだしても対応してくれる感じです。たとえば『ウラ展覧会ツアー』というのもあるんですが、これは僕じゃなくてもできるかなと思うんで、こうやって京都に戻っているときにスタッフの方にやってもらってます。
今のところ、施設でまわったのは、老人ケアセンターに1回と、渋谷心身障害者センターは幼児と、小中学生、それと大人の3回。小学校は、ひとつの小学校で1年生と3年生を1日で2回。もうひとつの小学校で6年生をやりました。次また、東京に行ったら、3年生が待ち受けている(笑)。あと、「置いてください」ってお願いにいったのは、喫茶店とか美容院とかです。
けっこうな数ですね。ひとつひとつに時間もかかりそうですし、大変じゃないですか。
伊藤:小学校はめちゃめちゃつかれました。プロジェクターも使うから、そういうのをだしたら、もうたいへんですし、質問をしてくるのはうれしいけど、口々にいってくるから(笑)。だから「じゃあ手を挙げていってください」って(笑)。
僕がここでいわなければいけないのは、ものをいいたいときには文章という方法もあるけど、もうひとつ、絵という方法もある、ということ。それを「わかるかな」と思いつつ、できるだけわかりやすい言葉で伝えるように心掛けはしました。そういう流れをまずつくって、言葉の意味をなくしたものとして「どうつぶ」をやってもらう。そして次に、完全に言葉から離してみる「ブタのぬり絵」にいったんです。
なるほど。そこらへんを子供たちが理解をしているとかって伝わってくるものなんですか。
伊藤:全員が理解したかはわからんけど、できるだけまわってたしかめました。ワンテンポずれながらでもついてきてくれる子とか(笑)、そういうのもおもろかったし、夏休みをちょうどはさんでいましたから、「夏休みにあったことをこのブタにおしえて」と、少しいいかたをかえてみたりしました。あと、「ブタとしゃべれる人おる?」と聞いたり。するとみんな「しゃべれない!」っていう(笑)。「でもブタはものを見ることはできるよな」というと「できる!」。そんなふうに確認をとりながらすすんでいったんですね。けっきょく、何をかいてもいいねんでってことなんだけど。
『近所の果て』という作品を見せて、「頭のうえって見えないでしょう」って、近いところにも見えないところがあるという話をすると、子供たちは頭くるくる回してやってみてる(笑)。「なんでここにトラがいるの」と聞いてきたりもするから、「意味はないです」と答える(笑)。「別に理由はなくてもいいんです」という話をしましたね。
おもしろかったんは、ワークショップの最後に、僕が「これは、何?」と、描いてくれた絵の説明を子供たちにしてもらおうとしたら「なんでもない」という答えがかえってきた(笑)。
先生の反応っていうのはどうでした?
伊藤:ふだんの授業でも、たとえば指を使って絵を描くとか、教科書にのっていることだけではない、そういうことをされているみたいで、がんばっているというか、ちょっとちがった空気を入れたいというのがあったようです。
でも、「ブタのぬり絵」というその「ぬり絵」という言葉がね、授業にならないかも、という反応はありました。内容はちゃんと説明してあるんやけど、名前に「ぬり絵」ってついてたりしたら、「どうだろう」となるみたい。僕はまあ小学校にいけて、おもしろかったです。
展覧会だと伊藤存展を観客は意識して見にいくわけだけど、小学校とかでのワークショップはまったく逆に、作者が自らが乗り込んでくるわけですね(笑)。
伊藤:そうそう。きっと「この人だれやろ」って思っている(笑)。
「絵を描く仕事をしてます」と自己紹介したり、「こういう作品です」って見せても、「なんやったんやろ、あの人は」ということにけっきょく、なるんやろうけど、ちょっとでも、「ヘンなことさせられたな」とか「言葉を使わないで描いてっていわれたな」ってのが残ればいいかなあって思っているんです。
そうやって外で集めた『ブタの塗り絵』が美術館の2階の展示室に貼られていくわけですね。
伊藤:2階の展示は、「ぬり絵」と刺繍の作品がありますが、「ぬり絵」は自分だけのものではないし、ユニットとして壁をおおうように構成しながら、同じ壁にある刺繍の展示と完全にあうものでもない。1枚1枚の「ぬり絵」が主張してくるもののなかに、自分のつくった刺繍の絵を一緒に置く緊張感というのは、ものすごいものです。
純粋な個展というか、僕の作品だけでその空間を埋めていく、場をつくっていくというのとくらべたら、この場所にはあきらかにふだんとはちがうお客さんがくるわけですね。まったく僕のことに思い入れはなく、ワークショップに参加したし、見にいこうかという人がくるわけです。空間を自分の作品だけで構成するのは、たぶん簡単なことなんです。簡単というか、ヘンになったら自分がミスっただけですむけど、「ぬり絵」にはみんなの視線がある。
3階に展示されている『BBQ』も、ワークショップ、『モンタージュ写生&名所メイキング』というワークショップと近い作業かもしれない。ラクダ岩ってあるじゃないですか。ラクダっていわれたら、ただの岩やったのが、急にラクダっぽく見えてくる。それと認識の仕方が似ているかもしれません。
『モンタージュ写生&名所メイキング』というワークショップは、まず、ワタリウム美術館で、ある場所に関するかたよった意見をテープで聞いてもらって、絵を描いてもらう。そして今度は実際にその場所に足を運んで名所をつくるというものです。
たとえば道順を聞いたときに、目印を教えてくれたとして、でもその目印よりもっと目立つのがある。「なんでこれをいわへんねん」ということがあるでしょう(笑)。その教えてくれた人にとっては、僕が思った「これ」は「これ」じゃないんですね。「かたよった意見」というのはそういうものに近くて、自分の見え方を確認してもらうというのものです。だから「写生」といっても、いって描くものじゃなく、いく前に描いてもらうというものなんです(笑)。
『BBQ』は、なんてことない地面を写真に撮って、それを描いたものですが、写真を選ぶ段になって「なんでこれを選ぶんやろ」って気持ちになっていった。似たようなものもあるのに。でも明らかに「これ」のほうがおもしろいと思えるのはなんか理由があるんやろうなって、そう思いつつ、とりあえずトレースの作業をしていったんですね。その段階ではどう発展していくのかも、うまくいくかどうかもわからないです。作品として展示するかどうかもわかってない。
『BBQ』は地面の模様が馬とか人のかたちに見えてきますけど、写真を選ぶ作業のときに、そういうかたちはすでに見えてるんですか。
伊藤:いや、見えてない。選ぶときはただ選んでいただけです。とりあえずやってみよう、という感じです。続けていると「モンタージュ写生」と同じで、その場所に対する印象のつけかたがパッとかわる瞬間がある。トレースしていたときの印象とは別の、もうひとつのものがかたちに見えてきた。クモにみえてきた(笑)。そういった経緯がありました。
「モンタージュ写生」と『BBQ』は、なるほど、関連がありますねえ。
伊藤:そうなってしまったというのもあるけど(笑)。
「モンタージュ写生」に参加したのも、子供たちですか。
伊藤:これは基本的には大人かな。テープに録音されている「かたよった意見」には、大人じゃないとわかれへん言葉があるから。とくに制限はしてないけど、展覧会にきてくれている人から募集、という感じですね。
4階の青木陵子さんとのアニメ作品『説子』は『はんぶん 月見の会』の屋形船のなかでも構成をかえて、上映されていました。ということは、ワタリウム美術館での2階、3階、4階の展示がそれぞれの度合いでいったんは外に出る、ということになりますが。
伊藤:そうですね(笑)。「月見」はワークショップではないけど、ひとつの時間を一緒にすごすという意味では似ていますし、公演みたいでした。屋形船のなかには切り紙の装飾もして、それは前の日につくったんですが、なんか途中で、僕、切り紙のなんかが宿ったようになって、手がとまらなくなってきて……。
青木:切り紙童子(笑)。
伊藤:なぜか描くより速かった(笑)。けっきょく、貼れたのはつくったうちの3分の2くらいでした。切り紙、これで全部じゃなくて、まだあるんです。
青木:つくってるのを見てて、私はひそかに「もうたりるんでは」と思ってました(笑)。でもとめることもできず(笑)。
伊藤:それで、軽いショックを受けたんは、がんばってつくったんやけど、船が動くとやっぱりみんな外を見る(笑)。
伊藤さんがギターをひいて、映像は屋形船の後方にスクリーンを設置して上映していましたが、オペレーションは青木さんがその場でやっていましたね。
青木:うん、途中でわけがわからなくなったけど……。
伊藤:リハーサルは2、3度やったんだけど(笑)。決めるとおもしろくないやろなというものあるし、決めてやっておもしろくするには時間もたらんし。でてくる映像とギターの音は、リハーサルでは決めてたんだけど、本番はなんか予想以上に映像がながい(笑)。
それで、どうしていいかわからんくなったけど、でも、なんとか、演奏とあってきて、「やっとのりきった」と思っていると、またおんなじ映像が(笑)。
青木:映像を消すタイミングとかがむずかしくて、気づいたら、もう1回流したりしてたんです(笑)。キーボードをポンって押したら、「え、何で今これがでてるの」とか。全然ちがうところを押してた(笑)。
でも、とてもよかったですよ。お二人の合作の感じがよく伝わってきました。
まだ展覧会の会期は続いていて、ということは、ワークショップもまだ続くわけですが、今の時点での伊藤さんのワークショップや作品に対する考えを、最後に聞かせていただけますか。
伊藤:たとえば「ブタの塗り絵」というのもあれだけが展開の仕方じゃないだろうとは思うんです。ワークショップという方法がいいのかどうかもわかりません。ワークショップってどうしても、ある程度のお膳立てが必要だし、それがほんとにいいのかどうか、今はわからないです。
僕が展覧会をやって、それを見てもらうというのは、1人対不特定多数でしょう。ワークショップは、そこにいた何十人かの人数とのやりとりですね。もうちょっとちがう方法、1人対1人というのも、可能性としてはあるし、ここでもらった感触で次の展開がつくれるかな、というのはありますね。
刺繍の作品にしても、『BBQ』にしても、アイデアの発展のさせ方はそれぞれ少しずつちがうけど、そのアイデアがどうなるかわからんにしても、自分がコントロールするところは同じです。
「モンタージュ写生」とかのワークショップが自分のふだんの作品とちがうのは、アイデアの発展のさせ方のあいだに、もうひとつ、要素を入れるわけです。個人的なものではない。ワークショップはそういう、刺繍の作品のかたちになる前というか、アイデアと作品の中間としてあって、その中間、まんなかでいろんな人の反応をもう一度、見せつけられるということかもしれない。つまりワークショップのつらなりは、そういった自分の中にあった初期のプロセスを、ある意味で見せつけられ続けることかもしれません。
僕がつくっているものは読み解いてもらうというものでもないし、わかるとかわからんとか、そういうたぐいのものでもないですが、それとはまったく別の視点というのもありうる、と。つまり、理解不能なものがあっても、それはないのではなくて「ある」。どこからかでてきている。それを無視したくないと思っているんです。こういった思いをワークショップの経験でつよく感じたというのはあるんです。それが自分にどんな「悪影響」をおよぼすことになるのかわからないけど(笑)。
[2003年10月8日1時−3時/京都]
|