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僕が刺激を受けたのは、赤坂に草月会館というのがあってね、アートやデザインやパフォーマンスなど領域をまたいで様々なものをやっているところだったんですね。今は、自由だ、自由だなんていいながら、表現の領域の区分けっていうのがはっきりしているよね。
「アメリカ」に刺激をうけながら60年代より活動を続ける田名網敬一。そのジャンルを大きくクロスオーバーさせる仕事は、現在も若い層から常に強く支持され、新たな田名網ワールドを拡げている。グラフメディア・ジーエムで6月5日より7月19日まで開催される田名網敬一『Ascension Furniture: 昇天する家具』展にあわせてインタビューを行った。
僕はそのころ博報堂の制作部のデザイナーとして何年か勤めていて、草月会館のそばに僕の家があったんです。で、草月会館にしょっちゅう出入りしていたことがきっかけで博報堂を辞めたんです。もっと他にもいろんなことがあるんだなっていうことが、そこでわかって。それからは勤めないでずっとフリーなんです。 1960年の後半にニューヨークに行ったんですよ。当時のニューヨークというのはまだドラッグなんかも解禁されている時代で、ロサンゼルスでもアシッド・ミュージックっていうのをどんどんやっていた。その他にも、ベトナム戦争やキング牧師の公民権運動、ゲイの人たちの解放運動や、ウッドストックっていう音楽のお祭りがあったりして、アートだけじゃなくて、政治や経済も含めていろんな運動がアメリカの社会の中で渦巻いていた時代だった。アメリカ自体がものすごく若い時代だった。そんなときにアメリカに行ったわけだから、その衝撃力はもの凄かったんです。それまでは、デザイナーやって給料もらえればいいかなっていう人生だったんだけど、それを境に180°変わったわけです。
今回の展覧会では、グラフとのコラボレーションで家具を含めたインテリアを制作した。平面やイメージの世界として存在する田名網の世界を現実のものとして表出させるものだ。そして、現実となったイメージの世界は、固定されることなくまたあらたなイメージを紡ぎだしてゆく。
僕の中には、60年代から続く「身体性」みたいなものが残ってる。要するに身体で何かを考えてつくっていくっていう感覚。今回の家具なんかにしても、無用の要素がたくさんくっついている。シンプルにしていけば何にもいらなくなっていくんだけど、そこにいろんないらないものがくっついてる。そういうもののおもしろさっていうのは、シンプルなものとはまた別にあると思う。 |
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radio graf guest : 田名網敬一 |
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