log osaka web magazine index

「横浜トリエンナーレ2005」で中華街の東屋をホテル「ヴィラ會芳亭」に変容させ、銀座エルメスのシンボルの騎馬像"花火師"を「天上のシェリー」で作品化して話題をさらったドイツ在住のアーティスト西野 達氏。
約30年ぶりに来阪されたことを記念して、これまでの活動と共に大阪でのアートプロジェクトの構想を語って頂きました。

text:木ノ下智恵子

西野逹(にしの たつ) 
別名、西野達郎、西野竜郎、Tatzu Nishi, Tazro Niscino, Tatsurou Bashi)アーティスト
1960年愛知県生まれ。ケルン在住。ミュンスター美術アカデミー(ドイツ)を卒業後、1997年より、大聖堂の風向計を取り込んで部屋を創ったり、コンテナをクレーン車でつり上げた部屋をカフェとして営業したり、屋外の公共物を取込んで大掛かりなインスタレーションを手がける。海外でのプロジェクトが多数。

木ノ下智恵子(きのしたちえこ)
アートプロデューサー、大阪大学CSCD特任教員
1971年大分県生まれ。1996年から2005年まで神戸アートビレッジセンターに勤務。(2006年より非常勤)。現在、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任講師、京都の芸術系大学の非常勤講師、『NAMURA ART MEETING '04-'34』実行委員等を務める。


木ノ下:大阪へ、ようこそ!関西の来訪は何年ぶりですか?

西野:2002年の水戸芸術館の展覧会で帰国した時、京都で石庭を見たり寺巡りをしたのだけれど、そのときたこ焼きを食べるためだけに一度大阪へ寄ったのが最後。それ以前はずっとさかのぼって1970年の大阪万博だけど、その時も千里の親戚の家と万博会場しか行ってないから、今回のような長期滞在は初めてだよ。

木ノ下:大阪の印象はどうですか?

西野:よく聞く大阪のイメージのハデなおばちゃんはあまり見かけなかったけど、毎晩飲みに出かけていたので、食い倒れ呑み倒れのイメージは強く残っているよね。
それと御堂筋だっけ?シャネルとかある通りは平凡で格別な印象はないけれど、その一本入った心斎橋通りっていう商店街は大阪的なパワーがあってすごく好きだね。
心斎橋通りは1人でも4,5回は往復したよ。混雑していて異常な熱気が渦巻いている。大阪人の服の好みとか、大阪の若い人はどんなものに敏感だとか、あるいは大阪人全般の雰囲気とかあそこへ行けばすぐわかるような気がするよ。心斎橋通りで大阪の全てを理解できるかもね?それって大阪人にはいやがられる?(笑)

木ノ下:関西は商店街が街の中心にあって栄えている、ということの凄さは、西野さんに言われて、改めて気付きました。

西野:世界で一番長い天神橋筋商店街や、大阪じゃないんだけれど京都の錦市場にも感激したよ。関西はそういう商店街がまだ残っていて、そして未だにすごく活気があるよね。
東京はどこにでもあるようなチェーン店が集まっているだけのショッピングセンターが郊外にあるばかり。中央に吹き抜けがあって天井はガラス張り、真ん中に小さな噴水。ヨーロッパのショッピングセンターもみんな同じだよ。よくみんな退屈しないね。少しは大阪を見習って欲しいよ!

木ノ下:子どもの頃からアーティストになろうと思っていましたか?

西野:いつ頃からアーティストになろうと思ったかわからないんだけど、3歳ぐらいの時に母親に絵を習いたいとねだってお絵かき教室へ通ったよ。自分から言い出した唯一の習い事だね。オバQばかり描いていたな。

木ノ下:そういえば、作品のプロジェクトのスケッチも、いわゆるデッサン調で描くよりも、あえてマンガ風に描いてますよね。

西野:日本人の誰もが漫画の影響を受けたことを否定できないと思うけど、俺の作品も幼いときから読んでいた漫画の独特の想像力に関係していると思っているんだ。漫画に敬意を表しているわけ。

木ノ下:どうして、海外(ドイツ)に行かれたんですか?

西野:武蔵野美術大学卒業後に袋小路にはいっちゃったんだ。俺、学生の時からドナルド・ジャッドが好きだったけれども、ミニマルアートって最終の芸術というか、帰結したようなアートだから、あれを発展させるのはかなり至難の業なんだよね。
気分転換にとりあえず日本を出て、芸術っていう価値観が生まれたヨーロッパへ行こうと思ったわけ。
「現代芸術の本場をみたい。」という理由ももちろん大きかった。

木ノ下:今だったら芸術大学でも第一目的は就職という意識の学生が多いと思うのですが、ホントに「芸術」が中心ですね。

西野:芸術大学に入って就職しようなんて思ってる奴がいるかどうかは知らないけれど、少なくとも俺について言えば就職なんて今まで一度も考えたことはなかった。どうやって芸術を続けていくことができるかわからなかったけれど、とりあえず芸術家として今何をしたらいいか考えること。
ドイツに決まったのは本当に偶然。 渋谷の『モネ』っていう美容室が駅ビルの中にあって、そこの美容師さんに髪切ってもらってたんだ。それで世間話で「卒業したみたいだけど、どうするの?」って聞かれて「今、日本から出たくて。」って話したら、美容師さんがドイツのデュッセルドルフという街のお寿司屋さんが人を募集しているっていう情報を知っていたんだ。そこの人買いに翌日電話をして一度会って決めてすぐにドイツへ発ったよ。「今ドイツで働いています。」と俺の両親にはドイツから電話して事後承諾。親父に言えば必ず反対されると思ったからね。
俺としてはヨーロッパへ出られれば条件はどうでもよかったわけだけど、ちゃんと寮もあって、給料もらえて、夏休みもあるっていう、行ってのたれ死にすることはない条件だった。一日12時間以上働いて、給料も夏休みも微々たるものだったけどね。お寿司屋さんの手伝いとしてドイツへ行って、働きながら暇をみつけて美術館を巡るっていう計画だったわけ。契約が1年半だったから、その間に見聞広めようって思ってた。その時はドイツで制作するつもりはまったく頭になかった。それから20年。自分でも信じられないよ。(笑)

木ノ下:ドイツ行きは留学が目的では無かったのに、美術大学に行ったのはなぜですか?

西野:デュッセルドルフは、ドイツで日本の植民地と呼ばれているほど日本人が多い都市なんだ。半年も住んでいるとデュッセルドルフの日本人美大生や卒業生と知り合ったりして、いろいろな情報が入ってくるわけ。「デュッセルドルフの美術大学はすばらしい作家を輩出していて、世界的な現役作家の教授陣が教え、各国からの留学生が切磋琢磨して学んでいる。」とか聞いて、日本の美術大学と違った魅力にひかれたんだ。

木ノ下:入学に必要なポートフォリオを作るための、当時の作品というのはどんなモノだったんですか?

西野:インスタレーション。もともと日本で作品に行き詰ってヨーロッパへ来たわけだし、日本の美大と同じくまた絵を描くことを繰り返したくなかったんだ。ドイツに行ってからインスタレーション作家の作品を見たのも影響しているはず。
金がなかったから、すし屋の倉庫ですし屋から出てくるごみを使って作品を作り、たとえば巨大なマグロの頭を使ったりね、それをポートフォリオにしてデュッセルドルフの美術大学を受験したけど、補欠合格とかでドイツ語がしゃべれないから諦めた。でも、それってやっぱり悔しいじゃない?それで、翌年デュッセルドルフとフランクフルトとミュンスターの3つの美術大学を受けて、デュッセルドルフはまた補欠だったんでミュンスターに行ったんだ。
その当時ドイツで一番新しいミュンスター美術大学は、ドイツ人以外はほとんどいない上に、新しい大学独特の自由な雰囲気が良かったからね。


木ノ下:ミュンスターの大学ではどんな作品を?いわゆるアトリエで制作して、ギャラリーで発表もされていたんですか?

西野:さっきも言ったように武蔵美とは違ったコンセプトで制作したかったから、ミュンスターの美大に入ってインスタレーションや彫刻、アクションとか色々試したんだ。結局、7年間ミュンスターの美術大学にいた訳だけど、その間美術大学が企画する展覧会とか、ケルンの有名なギャラリーでグループ展をやったりして作品を発表していた。つまり日本の美大生の作品発表の仕方と最初はなんら変わりないよ。
どこも似たような状況だと思うけど、オープニングはその画廊の関係者とか、俺の友達とかめいっぱい来て、お酒飲んでにぎやかになるけど、翌日からは人が来なくなる。当然のことながらその数少ない見学者は美術業界関係者やコレクターや現代美術ファンだけ。彼らのために作品作ってるわけでないし、そんな閉じられた世界でやってるのがばかばかしくなって外へ出たんだ。それが屋外で作品を発表しはじめた一つのきっかけだね。

木ノ下:一番最初に外でやったプロジェクトっていうのは、いつ頃ですか?

西野:卒業間際から直後にかけて進めていた作品で、1997年のケルンでした「obdach」。
でも、そのアイディアに行き着くまでに、けっこうな段階を経てるんだ。美術館の中世絵画の展示室に50cmから1mぐらいの高さの手すり付きの壇みたいなのを作って観客を上らせ、普段と違った高さから絵画を鑑賞するという作品が、今の作品のかたちになるきっかけかな。
このアイディアは、ミュンスターの町や美術の制度といった背景があるんだ。ミュンスターは歴史的にカトリックの町として有名で、ドイツの中でももっとも保守的だといわれている。と同時に世界的な現代彫刻の展覧会、Skulptur Projekt でも有名な街だから、街の中心に建っている美術館が最先端の現代美術と中世のキリスト教美術を隣り合わせに展示している。でも美術館内の見学者は中世の美術を見ようが現代の美術を見ようが作品を見る態度に変化がないことに気づいたんだ。それは絵画や彫刻の出現から面々と続いてる鑑賞者の態度に違いない。
芸術家は常に新しいものを作り出そうと努力しているわけだけど、そして時には鑑賞者を驚かそうとたくらんでいるわけだけれど、鑑賞者は常に生真面目に見学しそのことをクールにとらえている。芸術家とその鑑賞者の間にある溝に笑ってしまったんだ。
それを変えてやろう、まずは観客自ら動かなければならない作品。そして観客がクールでいる必要もない作品、つまり外で日常生活に深くかかわる作品を作ろうと思ったわけ。


木ノ下:それは単なる態度だけではなくて、意識の問題ですよね。

西野:美術館やギャラリーに来る人っていうのは、そこにある作品は芸術だという前提でやって来る。でも鑑賞者が作品を見て芽生える感情からしか芸術的な感動は生まれてこないから、自分の気持ちを抑えて美術館やギャラリーにある作品イコール芸術作品と思ってるのは大間違い。美術作品は観客がいて初めて芸術作品となるんだ。だからピカソは確かに天才だけど、ピカソの絵に動かされない人がいても不思議ではないよ。美術教育は美術的な自分の好みを見つけるために最初は必要だけど、芸術的な作品の良し悪しの判断は自分にまかされて当然。
美術館やギャラリ−ではなく屋外で作品を発表することで、そのようなホワイトキューブの権威から遠ざかっていられる。だから通りすがりの人は作品かどうかなんて関係なくて、「変なものがあるな」と感じたり「わー、面白いね、何これ」とダイレクトな反応を見せるんだ。
マジで建築現場に怒鳴り込んでくる人もいる。美術館内では何をしようがいくらお金を使おうがほとんど関心を持たれないけれど、自分の日常生活に直接かかわる道端ではリアルだよ。「こんなものに許可を出しやがって!」とか、「税金かえせ!」って役所に電話してくる人もいる。
ギャラリーや美術館での観客のそういう反応は久しくなくなってしまったのじゃない?
その裸の感情こそ、俺の作品がその人にとっての芸術作品になるかどうかのきっかけなんだ。

木ノ下:本質的な意味で芸術作品に不可欠な作者(作品)と鑑賞者の双方向性を重視した、"観る""体験する"ということを問われているんですね。元々、ミニマルアートのドナルド・ジャッド好きだった人が、すごい飛躍ですよね。

西野:俺の今やっている、彫像のまわりに部屋を作る作品は、実はジャッドの影響があるのじゃないかと自分では思っているんだ。作品に使う銅像はもともとそこにあるもので俺のオリジナルではないし、それを取り込んで作る部屋もごく普通の内装をしていて無個性。
俺の部屋に入ったときの衝撃と、ジャッドの箱への感動とは趣が違うけれど、見方を変えると俺のこの部屋ってジャッドの箱と底辺で通じてない?






木ノ下:確かに納得。その西野さんの美学と通じる空間として日本の茶室があるような気がします。究極に削ぎ落とされたミニマムな空間として、ミニマルアートの文脈で語るのは面白いですね。

西野:茶室と言えば、小学校の5、6年の時には建築家になろうと思っていた時期があるんだ。美術館に入る以上に街をぶらぶら歩いて建築やショップの意匠を見るのが今でも大好き。建築家やデザイナーがなぜそれをそのように作ったかを、彼らの気持ちになって想像するんだ。人間が設計したことだからそこには何らかの理由があるはずだからね。
でも出来が悪くても俺は人間が作った不完全なもののほうが美しすぎる自然より好きだよ。たとえ失敗作だとしても一生懸命考えられた人工物に愛着がある。大自然に囲まれて一日過ごすなんて俺には出来ないね。それは人間が自然の美しさに屈服する姿。芸術はもともと自然に相対してるものじゃない?芸術活動とは大自然の美に勝る美しさを人間が創造する行為でもあるのじゃない?それは自然の美のように完璧でなくいびつな形をしているかもしれないけれど、人間が自然を乗り越えるかも知れない一瞬になるのじゃない?


木ノ下:作品のコンセプト、キーワードは3つあると言ってましたね。

西野:“笑い、暴力、セクシー”っていう3つだけど、覚えやすくていいだろ?
でもその前に作品のコンセプトが単純明快かどうかを俺は常に考えてる。普段、芸術に興味のない人にも作品を見せたくて外に出たわけだから、誰にでもわかるコンセプトというのは俺の作品にとって重要なんだ。誰にもわからないから高尚、万人にわかるからレベルが低いというわけでもないだろ?
ドイツに20年間も住んでいるんだけど、この国には生活にも芸術にも笑いが異常に少ないんだ。ドイツ映画史上もっとも観客動員数が多かったドイツ映画が5年ほど前のコメディー映画だったのだけれど、そのギャグは日本だったら30年前なら何とか笑えたレベルなんだ。現在の日本の漫画のシュールな笑いを理解するのに、ドイツ人はあとまた30年は必要とするはずだよ。
笑いの文化が全然なくて、芸術作品も政治にからんだものが質が高いと評価される。例えば、ドイツ人で有名な美術家では、キーファーやボイスなどがいるけれどみんな政治がらみ。そういう作品・アートがあってもいいし否定はしないんだけれど、政治イコール高級、笑うことを低級に思う文化は画一的だよね。俺がこういった作品を作り始めたのはドイツに住んでいることもきっかけになっているんだ。
「笑い」そのものがそういったロウとハイの逆転にかかわってくるから重要なんだ。「暴力」とは単純明快、良い芸術は常に暴力的なものだよ。「セクシー」とは、プライベートとパブリックが混じりあうところから生まれるものじゃない?芸術は土足で他人のプライバシーに踏み込んでくるもの。芸術作品は本来美術品のようにリビングにかけて鑑賞するものじゃないんだ。俺の作品で言えば公共の場にある彫像とかが、いきなり部屋やホテルといった個人的な空間に入り込んでくること。制作はものすごくプライベートなところから来ているけど、芸術の影響力はとてもパブリックだよね。だから芸術制作はセクシーな行為なんだ。(笑)

木ノ下:プライベートとパブリックの混同と変容と言えば、ご自身の名前も自在に操っていますよね?

西野:そうだよ。「名前交換プロジェクト」って言うんだ。これまでにもすでに数回は変化している。今は「西野 逹 にしの たつ」だけど、別名では、西野達郎、西野竜郎、Tatzu Nishi、 Tazro Niscino、英語圏では俺はTatsurou Bashi。名前は、個人を表すパブリックな存在として最も身近で重要だからね。これからも2年おきぐらいに変えていく予定。

木ノ下:作品=プロジェクトを創る時の手順は?

西野:町や美術館の人とかが 「展覧会やプロジェクトをやりませんか?」と言ってくる。そして数日間その町に滞在してぶらぶら散歩してアイディアを練る。幾つかのアイディアが浮かんだら関係者に話して、「これは面白いからやろうよ」とか、「これは値段がかかりそうだからやめてくれ」とかだんだん一つに絞られてくる。そしてキュレターや美術館の人が許可を取ったり、予算を確保したりしてプロジェクトが始まるんだ。

木ノ下:日本での発表活動はいつ頃からですか?

西野:ほんと最近だよね。一番最初は、2002年の水戸芸術館の『日常茶飯美--Beautiful Life ?』という展覧会。今はフリーだけど当時は美術館の学芸員だった窪田研二さんに呼ばれたんだ。どこの馬の骨かわからないような俺の作品を見て、自分の目で判断した窪田さんをすごく勇気のある人だと思ったのを覚えているよ。

有名な作家を呼んできただけの展覧会をすることが果たしてキュレターの仕事だろうか?それなら美術ファンでも出来ること。
キュレターの重要でそして楽しいけど勇気のいる仕事が、無名な作家を世に出すことじゃない?
横浜トリエンナーレ参加はその水戸の展覧会とつながっているんだ。
水戸でのグループショウの前が川俣正さんの個展で、その最終日に水戸に来ていた川俣さんに窪田さんが建設中の俺の作品かカタログを見せたみたい。そのあと俺がバーゼルでプロジェクトをやってた時に川俣さんも偶然滞在していて、その作品がすごく印象に残ったらしく横トリのディレクターになってすぐ「何かやんない?」って電話がかかってきたんだ。


エルメスでの展覧会は、俺がパリに1年半ぐらい住んでいた時に一度仕事をしたことのあるキュレターの説田礼子さんがいつの間にかエルメス・ジャポンにいて、どこで俺の作品を見たのか10年以上音信不通だったけどメイルが来た。

木ノ下:西野さんは作品もご本人も大阪っぽいな、と思ったんです。個人商店で成立している大阪の街や旦那文化の気質と、アートという個人性が様々な境界を飛び越えて、公共性を帯びた力を持ち得る、パブリックとプライベートを裏返しにする西野作品の指針を受け入れる懐が、この街にはあると思っています。

西野:日本では水戸と横浜と東京の三都市でやったんだけども、いずれも関東だからもし関西でやれることになれば今までのプロジェクトとは違う、俺がイメージする大阪っぽいプロジェクトが出来ればいいなと思ってる。
俺の中の大阪っぽさというのは、子供のころに連れて行ってもらった万博の時の《太陽の塔》なんだ。岡本太郎は東京出身だと思うけど、いい意味であの泥臭さは大阪っぽいのじゃないかな?
それと同じで通天閣もまた大阪らしい。通天閣はエッフェル塔を模しているにも関わらず全然似ていない。そこの手作り感というか、おうようさというか、そこが大阪みたいだなと思った。もちろん悪い意味で言っているのじゃないよ。
雑然とした展望台内部も手作り感とおうようさにあふれてる。行った人しかわからないビリケンさん!通天閣が立っている場所が飲屋街のど真ん中というのもすごいよね!もしかしたら建った頃は広場だったかもしれないけど、いずれにせよ今の通天閣は世界に誇れるシュールな場所だね。
「太陽の塔」も通天閣界隈もオリジナリティ溢れてて、俺の思う大阪っぽさがあって大好きだよ。だから「ダブル通天閣プロジェクト」のアイディアは相応しいと思うんだ。大阪で東京と同じ作品は作りたくないよ。

木ノ下:以前からタワーを2つ作りたいと思っていたんですよね。

西野:タワープロジェクトの構想は、工事現場の足場を使って門をたてた2002年のアムステルダムでのプロジェクトの延長線上にあるんだ。それがエッフェル塔と同じぐらいの高さの足場の塔をエッフェル塔の横に建てるアイディアになったわけ。
東京で展覧会をやる為に帰国して、「東京タワーをもうひとつ隣に建てない?」と提案したら当たり前だけどすぐ却下された。今回、大阪に呼んでもらって通天閣を見て調べてみたら、東京タワーの3分の1ぐらいの高さしかない。実現の可能性が少しは高くなるわけだし、何よりもこのアイディア自体がとても大阪っぽいと思ったわけ。さらに二つ目の通天閣を建てたい場所がちょうど通天閣のすぐ脇にあるのだけれど、そこは戦前の初代の通天閣が建っていた所なんだ。うまい具合につながったでしょ?
「ダブルタワーのアイディアはここ通天閣でやるしかない!」とすぐ心に決めたね。


木ノ下:「ダブル通天閣」のドリームプラン!を実現させたいですね。西野さんのプロジェクトをやることによって、街の見え方が変わるというか、当たり前のものが変わると思います。

西野:芸術的なものは芸術作品の中だけにあるものじゃない。それは美術館や、舞台や、本の中で感じることだけではないんだ。受け取る側の精神の自由さがあれば、芸術的な体験はどこにでも転がっているよ。日常生活で「芸術的だな!」て感動するのはそういうこと。
芸術とはつまり芸術を受け取ることの出来る感受性があってのことだから、主役は作品でなくあなたなんだよ。あなたがあなたの芸術を見つければいいんだよ。感受性は自分で大きく育てることが出来て、それにしたがって芸術の理解の幅や深さもだんだんと広がっていく。俺の作品をきっかけにして「こんな見方も出来るんだ。」っていうふうに想像力が広がれば会社の行き帰りも楽しいものになるはず。
クレーンでカフェを吊って地上30mで旋回させた俺の作品があるけれど、クレーンを工事のためだけに使うなんてもったいないじゃない。


木ノ下:失敗は成功のもとになったプロジェクトはありますか?

西野:あるある。失敗したと思った一番大きな作品は、イギリスのリバプールで発表したホテルプロジェクト。街の中心地に立っているクイーン・ビクトリアの巨大な記念碑を取り込んで大きなホテル・レセプションを建設し、その周りに5、6個のホテル・ルームを配置するプランだったけど、予算の問題で縮小しなければならなくなったんだ。結局レセプションとして使用する予定だったクイーン・ビクトリアの銅像を取り込むでかい部屋を、唯一のホテル・ルームとして使用することにして、レセプションと、バス・ルームはそのホテル・ルームの回りにくっつけた設計にしたんだ。一室だけのホテルなんて普通に存在しないと思って悩んでいたけど、実際はそれがうまく働いたわけ。そのとき、作品を作るときは変な常識にとらわれなくてもいいとまた思ったよ。
それ以来のホテルプロジェクトは、すべてホテルルームは一つだけになってる。



木ノ下:アーティストほど失敗を恐れないチャレンジャーな存在ですよね。特に西野さんの場合も一種のお笑い的要素を含んでポップでわかりやすく、作品に強さがあるので、些細なことは気にしないって感じですけど、実は完璧主義というか、その環境つくるための大胆さと繊細さの振り幅がすごいなと思いました。

西野:"夢枕でのお告げ"をコンセプトに、キリスト像が女の子の部屋に現れているように見せるベルギーのプロジェクトがあったんだ。でもキリスト像が4m以上もの高さだったから、ヨーロッパの一般家庭でもありえない馬鹿でかい部屋になってしまって「失敗作だ」と思った。なぜなら部屋の大きさやインテリアがごく普通だからこそ、その中に銅像が立っているギャップに驚く面がこのシリーズにはあるからね。部屋を普通っぽく見せるために、俺はこれらの作品で部屋の形、壁の色や床の種類も含めたインテリアにはけっこう気を使うんだ。オープニングをキャンセルしようと悩んだぐらいだけど、開けてみたら見にきていた人に予想外に評判が良くてびっくりしたよ。涙ぐんでた人もいたぐらいだ。ベットの上のキリスト様に圧倒されて、観客は部屋の大きさなんか気にも留めなかったみたい。
作家本人はその製作段階からこだわりがあるから細かなところまで気になってしまうけれど、やはり大切なのは作品の根本的なコンセプトなんだよね。
確かポール・ヴェルレーヌがアルチュール・ランボーに「芸術家は大胆さと繊細さと両面持っていないとだめだ。」って言ったと本で読んだ記憶があるけれど、俺もその考えに賛成だね。むちゃくちゃな大胆さだけでは中身のないスキャンダラスなだけの作品になってしまうし、繊細さだけだと革命的な作品は作れない。

木ノ下:確信的というか、合法的に危険なことを犯すとおっしゃってたと思うんですが、究極には戦争も美術で止められると、、、。

西野:戦争とかケンカとか暴力をふるうということは、相手がどう思うとか、どのくらい犠牲者がでるとか、その犠牲者の家族がどう思うとか、この先その暴力によってどう世界が変わっていくかとか考えられない想像力の欠如から来るものじゃない?だから政治家こそより豊かな想像力を身につけるために率先して美術館や劇場などに足を運ばなくちゃあならないんだ。でもそんな政治家は残念ながらほとんどいない。戦争や暴力がなくならないのは政治家も含めて多くの人びとにそこへ足を運ばせるだけの力のない芸術があまりにも多いことにかかわっているのかもしれない。
芸術は想像力を鍛えるものだから、芸術は戦争を止めることが出来ると本当に思っているよ。
と言うと俺は聖人君子みたいだけど、俺はただの胡散臭い芸術家。でも芸術家としてやばく生きるというリスクがあるからこそ、スリルある人生を享受できるんだ。俺がきらいなのは安全な場所でその場限りのせこいスリルを求めている奴。たとえば今ドラッグをやる奴とか最低だね。今の世の中ドラッグなんか簡単に手に入るだろう?違法だけど簡単に手に入るものでハイになってスリルを楽しんでいる奴。そんなせこいスリルより、自分の一生をかけるスリルのほうがよほど危険があって面白いのにね。せこいスリルを味わうためでなく本当にドラッグをしたいなら、俺は勉強して政治家になって法律を変えてドラッグを合法化するはず。人生をかけて達成できるか怪しい可能性に挑戦する冒険的な人生のほうが楽しくない?それが俺の言う、合法的に危険を犯すスリルなんだ。
あるいは学校や先生が気に食わなくて、暴力沙汰起こして退学していく連中。学校を辞めたり変わるのも一つの手だけど、そのスリルは平凡だろう?だから学校が気に入らないなら、生徒会長になって教員連中と直談判して自分で気に入るように学校を変えていくようにすれば、もっと冒険的なスリルは味わえるはず。
俺の作品で言えば、企業や町とかが俺の一見ばかばかしいアイディアに何千万円も出してくれるんだ。ハイとロウが逆転する合法的なスリルだね。簡単な道を選んでせっかく味わえるかもしれないスリルをさけているなんてもったいなくない?一回きりの人生だから、大手を振って合法的に危険を犯すスリルを十分味わおうと俺は言いたいね。

木ノ下:アーティストってどういう存在だと思いますか?

西野:アーティストは社会の中心にいる必要のない存在だと思う。
アーティストは天使みたいに、人間と未知の世界をつなげているような、 人間社会・日常生活の上空を飛び回ってる存在じゃない?このときのアーティストという言葉は芸術という言葉にも置き換えられるよ。
芸術とは常に一般社会と違ったものの見方を提示することだと俺は考えるから、アーティストは本来社会に受けいられない立場のひねくれ者なんだ。正しい意見を言う役目なんか芸術家は請け負っていない。勝手なことを社会にぶつけていくことが芸術家の社会における位置なんだ。
例え話だけど、原爆反対とか戦争反対は正しい意見。別にだれも否定はしないだろうその意見に、芸術家として原爆賛成・戦争賛成と言ってみる。それを聞いて怒った人々が、さらに原爆や戦争について深く考え始める。
芸術の社会のかかわり方っていうのはそのようにひねくれているんだ。


木ノ下:それはネガティブなことを言ってポジティブな考えを引き出すための、頓知の問答のようですね。

西野:芸術の位置を説明するために例え話で使ったんだけれど、俺は本来アーティストは人の役に立つなんてことを考えなくていいと思っている。逆説的に言えば、社会に役だたないということがこの社会における芸術の存在理由だと思ってるんだ。
この社会の人々は、役に立つことを、意味のあることをしたいと思ってる。すべての工業製品も、何かの役に立つから、何か意味があるから作られて、買われていくわけだよね。
その中で芸術は論理的でもなくてもいいし、社会の役に立たなくてもいい。でもその立場そのもので芸術は、すべてに意味づけされて動いているこの社会に別の視点を与え続けていけるんだ。アーティストは、社会にとって役に立ちそうにないそのことに真剣に取り組んでいる姿勢で、この社会に別の視点を与え続けているんだ。芸術とアーティストだけがこの社会の中でその特異なポジションを与えられているんじゃないかな。俺は社会における芸術のそのポジションがものすごく好きだね。もし芸術がこの矛盾したようなポジションから降りるなら、俺は芸術に興味を失うね。
だから社会を良くしようというような直接的なテーマを持った作品は、芸術だけが持っている、社会に対するその真実の価値を台無しにしているんだ。社会を良くしようと思うなら、まだるっこく成果があるかどうか疑わしい芸術を手段に使う必要はないね。芸術家としてではなく社会人としてそれをすればいいじゃない。何か目的がある芸術作品は、芸術が本来持つ自由な想像力を自己規制してしまうよ。
既に言ったように芸術は世界を変えられると思っているけど、でも世界を良くすることを目的に制作しているわけじゃない。芸術にはそのような力があるに違いないと信じてるということ。


木ノ下:ご自分のアートワークで世界が変わるかも?壮大ですよね。200歳まで生きなくちゃ!

西野:200歳までなら科学力で生きられる可能性があるんじゃないかと思うからぜひ実現したいね。「200歳まで長生きプロジェクト」って言うんだ。笑えるし、暴力的だし、セクシーなプロジェクトだろ?世界の、世の中の変化を見たいわけ。100年後の科学はどうなってるかとか、150年後の芸術はどうなってるとか、さ。

木ノ下:これからやってみたいアイディアは山ほどあると思うんですが、これからどういう風に生きていきたいですか?

西野:俺なんか無名に近いんだけれど、もっと有名になることでもっとでかいプロジェクトが出来るようになりたい。やりたいプロジェクトのアイディアにはまったく困っていないからね。
やっぱりずっとアーティスト。人生これからどう転がるかわかんないんだけれど、まぁ、今までこれで来ているから、何とかなると思うしかないね。ちなみに日本では、7月から六本木の森美術館、12月から広島市現代美術館で展覧会。そのほかは、フランスのナントでホテルプロジェクト、ラテンアメリカのコロンビア、ドイツ、イギリス、スイスでも今年プロジェクトをする予定。
でも俺の場合、招待されても半分くらいしか実現しないから、この中のいくつかはダメになる可能性はあるけどね。たとえばスイスでは予算の10倍のアイディアをふっかけてきた。
大阪での「ダブル通天閣プロジェクト」の実現も厳しそうだけど、可能性はゼロではないから何とか実現させたい!日本中がぶっ飛ぶはず!

木ノ下:世界中でプロジェクトが目白押しですね。ワクワクします!大阪でも、ぜひとも、夢のプロジェクトを叶えたいですね。

展覧会情報
MAMプロジェクト006:西野達
2007年7月11日(水)〜9月24日(月・祝)
場所 森美術館(六本木ヒルズ 森タワー53F)
問い合わせ先 03-5777-8600(ハローダイヤル) www.mori.art.museum

西野達展(仮)

2007年12月8日(土)〜2008年1月31日(木)
場所 広島市現代美術館(広島県広島市南区比治山公園1-1)
問い合わせ先:082-264-1121