古後:おふたりにとって、コンタクト・インプロヴィゼーション(以下、コンタクト)とは?
坂本:たぶん僕らがダンスに関わる上で重要なメソッドは、ダンス作品をつくるための身体技法的なものも含めていくつかあると思うんだけど、コンタクトはその中でも特別な位置を占めていると思います。というのは、身体や身体の関係性に対する考察を導きだしてくれた…というか、作家やダンサーとしての発想の根源みたいなところに繋がる何かに出会わせてくれるんです。
森:それはもちろん、コンタクトと長く取り組んできたことにもよるし、特に教えるという関わり方をしていることが大きいと思います。
坂本:うん。教えてきた経験がモロに。そこから、日常だとかいろいろな意味での身体と関わるっていうことを介して、気づくことがいろいろあります。もちろん創作の現場や、収穫祭のような活動で得たものともパラレルなんだけど、僕の中で作品づくりのモチベーションを支えている部分はそういった“気づき”なんじゃないかな。
古後:おふたりにとっては創作のインスピレーションの源泉なんですね。踊る技法として捉えたとき、具体的にどんな特徴がありますか?
坂本:まず断っておくと、僕はコンタクトをダンスのメソッドだとはほとんど思っていないんです。もちろん、ダンサーの体づくりの手段といった側面も持つのだけど、むしろ身体技法という言う方が近いかなあと思っています。
古後:ダンスを越えて共同体の中でシェアされる広がりをもち、かつ行為の繰り返しの中で身につけてゆく身体の知恵ということでしょうか。
森:そのほうが近いですね。
坂本:その上でざっくばらんに言うと、いかにムーヴメントを2人の間でつくり出して行けるかっていう、そのまさにとっかかり。それが“触れる”っていうことなり、体重を預け合うっていうことなりであって、そこで即興的にムーヴメントが生まれていくことの楽しさもあります。
古後:舞踊史的に見ても画期的な手法でした。それまでの舞踊創作は、スタイルやメソッドの確立に方向付けられた個人の作業といった傾向を持っていた。それに対してコンタクトはそういった作業の限界を物理的にとっぱらいました。
坂本:1人の作業でない点が、ひいてはダンスを成立させるときに難しい部分にも繋がるのかもしれないけど、僕らにとっては、触れていくっていうリアルな行為があって、相手があるっていうことが一番楽しいことだよね。僕自身は最近、「コンタクトとは身体を通した対話である」と端的に言い切れるようになっていて、で、カンパニーの最近のテーマが「身体と身体の対話」なんです(笑)。
森:くだけた喩えにすると、相手が知らない人なら、「どんな人だろう?」と質問していく。お友だちや知っている人なら、「最近どうよ?」って話しかける。そういったやりとりが、すごく深いところに突っ込んでゆくこともあれば、挨拶のような状態でぽんぽんと軽く進んでゆくこともある。両方の楽しさがありますね。
坂本:深く突っ込んでゆけば、他者との間で、これは理解してもらったとか、なんかそういう了解がお互いの間で成立する瞬間にも似た、すーっと胸のつかえがおりるような瞬間があるんです。お互いに納得のいく瞬間。そういうのもコンタクトをやる上での快楽の一つかとは思います。
森:エネルギーが同調するんじゃないかなあと思うんだけど。例えば体重を預け合ったりするときも、2人のエネルギーが一緒になっていれば、下の人も重いと思わないし、上の人もなんか「あれ?」っていう瞬間が、よく起こります。
坂本:漫才で言ったらさ、ボケとツッコミっていうのが、「あんた何やんけー」「さよかー」「なんとかなんとかやろー」「ほんまかー」とかって、役割分担してやりとりしている間は……。
森:まだまだ。
坂本:そう、まだまだ。そんで最終的に2人揃って同時に「あんたアホかー!」とか……。
森:……とかね、すっごい面白いことを同時に言っちゃえるみたいな。
坂本:そういうのに通じる、役割分担の垣根が取っ払われてシンクロする感じはすごく面白い。
古後:“動かす/動かされる”の境目がなくなったときは、初心者でも楽しいと感じるみたいですね。では、コンタクトのそういったコミュニケーション全般に通じる楽しさに対して、コンタクトならではの面白さみたいなものは?
坂本:ダンス的には、ある程度の習熟も必要なのかもしれないけども、1人では可能にならない動きがたくさん成立していくので、その感覚を味わえるという醍醐味があります。それは、床だけでなく動く人間が支えになることもあるので、空間に対して360°自由にエネルギーが展開し得るとか、オフバランスの感覚っていうものをリアルに味わえるとか。
で、その固有の感覚となると、なんていうかな、それ自体が言葉にならない言語の一種だから…。視覚とか聴覚とか味覚とか臭覚っていうのは、明確にあるものだと思われているものだけど、触覚といった、わりと不明確に分節されている感覚が、実は踊っていると、相手の身体の総体がどんな風に成り立っているかをリアルに浮かびあがらせるようになりますね。重心の在処とか、足下が今どこにあるかなんてのも含めて、相手の人の像を目をつぶっていてもホログラフィ並みに感じるようになってきます。触覚と呼ばれているものともちょっと違うのかも知れないけれど。
森:触覚、臭覚、視覚、聴覚……、全ての感覚を総動員しての対話というふうに思うといいんじゃない? 一般的な社会で行われているコミュニケーションにも通じるし。
坂本:でも僕がこだわっているのは、動きの中で導かれる特殊な感覚。例えば目をつぶってもコンタクトっていうのは可能なわけです。そういう意味では明らかに視覚・聴覚から切り離されたところで成立するものだと思う。それは触った時に、触ったところだけ感じるんじゃなくて、延長されるわけだよね。自分の身体が相手の身体の方に。で、相手も僕の身体の方に入ってくるし。お互いのセンサーが鋭敏だったら、単に触れるだけでそういう知覚が可能で、それを使って踊るっていうことでしょ。で、そこにあるものって何なんやろうって。運動感覚ともまたちょっと違うし。身体を像にする力みたいなもの…。言葉を捜さなければならないとは思うのだけど。
古後:そういう意味では、言葉の与えられていない領域を探ることでもありますね。
森:確かにコンタクトの先生は言葉が豊かですね。海外から呼んでくる先生たちの中には、言葉の使い方にこだわりがあって、「ちゃんと通訳してもらわないと困る!」という人もいたり、詩的な言葉やら理論やら、みんな工夫しています。
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