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<花形能舞台>の人びと〜山本哲也
自分から、やりたいって?

山本「いや、母親がずーっと言うてて。父は、…その時分は大鼓方になる若い人も何人かいてたから、何にも言わへんかった。で、高2になる時に、父が、‘おまえ…、(大鼓方を)やるつもりあんのんか’って初めて言うてん。ぼそっと(笑)。僕は学校でキレイに落ちこぼれてたし(笑)、無気力、無関心で、毎日だらだら過ごしてたし」

何かやりたい職業とか、大学に行くとかっていうのはなかったの?

山本「心のどこかで、思っててん。‘俺は商売決まってんねんから’みたいなとこあるやん(笑)。父の生活見てると、僕らが学校行く時分に家を出て、夕方ぐらいに帰ってきて、実際にやってること言うたら、どんなことやってるかようわかれへんかったし、週末になったらポーンと出て行ってポーンと帰ってきて、結構なお給金持って帰ってくるわけ(笑)。こりゃええなぁと思うてね(笑)。で、父に、どうすんねんって聞かれて、‘やるやる’って(笑)」

軽ぅ〜く(笑)

山本「そ。軽ぅ〜く返事して(笑)。ほんなら、4月に、‘養成会へ入れるで’って。‘なんやそれ’って聞いたら、‘学校みたいなんがあるから’って。謡、仕舞、笛、鼓、大皮。結局全部ダーンとやらされて。そりゃもう、びっくりした」

全部やったの。

山本「うん。全部ダーンと。その頃のこと、よう憶えてるわ。その頃、朝陽会館に行けば、3つ4つ(稽古を)必ずやってて、僕ら養成会の生徒は順番に行くわけ。全部や、僕は。他の人は1つ2つしかやってはれへん。」

それはお父さんに全部やれって言われたの?

山本「僕、父に、‘大皮やる’って言うた時点では、お能に太鼓物があるとか、舞っちゅうもんがあるとか、それすら知らんかったんやで」

ええ?!

山本「そのくせ、楽屋はウロウロしてるし、2年にいっぺんぐらい舞台に出てるしな。最初、謡の稽古の時、何を持って行ったらええかわかれへんから、うちの母親が‘これ持って行きなさい’言うて、初心の本(=初級者用の謡本)を持たせてくれて。上野朝太郎(うえの・あさたろう/シテ方観世流)先生や。‘ああ、君かぁ’って仰って。‘君ら、やってたやろけど、まぁ『鶴亀』(つるかめ)から一応、謡てみるか〜’言わはって。‘ほな、謡てみ〜’って、そんなん言われても、‘なんやこれ?!’っていう感じや」

謡本見たことなかったんや

山本「朝太郎先生が‘君、ひょっとして謡習うてきてへんのか〜’って、‘はい’。‘子方はしてたやろ〜’、‘はい…覚えてません’…ぼぉー(笑)」

あちゃ〜(笑)

山本「一番鮮烈やったんは鼓の稽古や。大倉長十郎(おおくら・ちょうじゅうろう/小鼓方大倉流15世宗家)先生やってん。今から考えたら、顔から火ぃ出るような話やけどな、その頃、血気盛んな時分やったから、白の布のツナギって、わかる?それに裸足に雪駄履きで単車に乗って朝陽会館に行ってんねん」

うわぁ…、まるまま不良や(笑)

山本「で、その頃、父の内弟子をしてた守家さん(守家由訓/もりや・よしのり/大鼓方観世流)に紹介されて、‘よろしくお願いしまぁす’って。長十郎先生、僕の恰好見るなり、ものすごい怪訝な顔しはったけど、それでも、‘帰れ’とは言わはれへんかったよ」

帰れって言わはりそうやけど

山本「ううん、ちゃんと稽古してくれはったよ。しょっぱなの稽古の時に、‘はい、じゃあ『竹生島』(ちくぶしま)から始めますから’て言われて、このおっさん何言うてんのかなぁって(笑)。で、‘<お調べ>しなさい’って。ほら、あの、どこ見てはんのかわからん顔で(笑)」

ぷっ(笑)

山本「‘<お調べ>しなさい’って、<お調べ>ってなんやろうって(笑)。‘はい、道具持って’って、道具持ってって言われたかて、これ、紐がぎょうさんあるでぇ?って(笑)」

小鼓も持ったことなかったんや

山本「悩んでたら、長十郎先生が‘君、ひょっとして何も習ってないのか’って言わはって、‘はい、何も習てません’て言うたら、一から教えてくださってん。で、こんなとこ2度と来たらあかん!と思て、ひと月もせんうちに、養成会でも落ちこぼれたんや(笑)」

あららぁ

山本「せやから、万事がその調子やから、赤井藤男(あかい・ふじお/笛方森田流)先生のとこに行ってもな、僕、祖母が笛の稽古してたから、その笛くれてな、それ持ってったら、‘ええ笛持ってるやないか、早ぅそれで<お調べ>吹いてみー’って。ほら、また<お調べ>やがな、どゆこっちゃこれ、<お調べ>て…って思いながら。ホーもフーわかれへん。また一からや(笑)。赤井先生って面白い先生やから、‘おまえ、何にも準備出来てへんねやな。おまえの祖母ちゃんは半分プロみたいなもんやったから、ちゃんと習て来い’って言わはって。そんなんやから、落ちこぼれるのに、ひと月かかれへんかったね」

でも、通ったんでしょ?

山本
「いや(笑)。毎週水曜日になったら、学校から帰って家に荷物置いて、‘養成会の稽古に行ってきまぁす’言うて、梅田のゲームセンターで7時まで時間つぶして、で、帰ってくる」

そんなん、すぐバレるでしょう?

山本「うちの父も何にも言わへんし、‘養成会の稽古行ってきたんか〜?’って訊かれたら、‘はい、行ってきました’言うて。時々、守家さんに‘行かなあかんで’て無理やり連れて行かれて。でも、行っても何もわかれへん。くちゃくちゃや。僕、養成会に5年ほどいてたけど、まぁ、皆、よう諦めはれへんかったわ(笑)。それでも、僕、4年か5年で養成会卒業さしてもらってんねん(笑)」

えええ?

山本「養成会は完全に落ちこぼれてたけど、父親の名前のお蔭で可愛がってもうて、舞台もそこそこ出してもうてたよ。せやけど、何にもわかってへんわけ。それこそ、二十歳過ぎぐらいまでずっとそんな調子やったから。で、相変わらず高校時分の仲間と遊び呆けてたし。せやけど、二十歳過ぎぐらいになったら、仲間も仕事したり大学に行ったりして、誰も遊んでくれへんようになるわけよ。しょうがないからさ、近所のパチンコ屋に1日中、毎日そこにいたもん」
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