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<花形能舞台>の人びと〜山本哲也
うーん。どうにもならんね

山本「そや、どうにもならへん。それでも、皆、諦めんと、ずうーっと繋いでくれてはってん。‘この人、いつかやる気になるようになるかもしれへんな’と。それでや、僕、21,2くらいになって、‘このままじゃヤバいかも’って思って(笑)。そこでようやく気づいたわけや」

(笑)21,2歳でヤバイかもって気づいたの?

山本「そこからやから。…すること為すこと、わかれへんのに、わかったような顔して、ずうーっと。意地だけでっていうか、ただの負けず嫌いなだけや」

負けず嫌いなんや(笑)

山本「うん。当時、相当プライド高かったからね、わかってもいいひんくせにさ(笑)。だから、‘あそこ、鼓がこう打たれるんですよねえ’って言われて‘そうですねえ’とか答えといて、ほんまは全然わかってへんねや(笑)。ずうーっとそうやってきて。せやから、こんな反面教師みたいなんがおるのもなんやとは思うけど、今の養成会の生徒たちにも言うてんねん。‘勉強さしてもらえるうちに、さしてもうとけよ’って。‘あとからやろうと思ってもなかなか出来ることやないさかいに’って。23,4歳やったらまだ間に合うから。‘君らの目に僕がどない映ってるかしらへんけれども、僕も君らの年で初めて気がついたんや。そこからちょっと人並みにやらしてもうても、僕ぐらいにはなるねやから、諦めるなよ’って言うねんけど。ま、講師の中にも僕みたいな役割の人間がおってもええじゃない(笑)」

なんとのう、こう、もがいてる若い人たちの気持ちはわかるんや

山本「子どもの時分から英才教育されてる人ってたくさんいるけど、そら、それもものすごう大事なことなんかもしれへんけど、僕は…、こういうふうに育ててもうて、よかったんかなあと自分では思うてる。いろんな意味で。当時、一緒にやんちゃしてた仲間と、今でも月1回くらい飲みに行ったりしてんねん。社長さんがいたり、デザイナーがいたり、リストラされて無職やったり、業種も立場もバラバラやねん。でも、何がって、この仲間が僕の一番の財産やと思うわ。自分のいる業界の考え方っていうのが、世の中からみたら如何に異質なのかっていうのが、よくわかる」

でも、かといって、他の世界では生きられないでしょう?

山本「っていうか…、もう、世間的には通用しないこととか、妙なこともいっぱいあるけど、絶対大事にしないといけないことも、僕らのいる世界にはいっぱいあるのよ。でも、そういうことも、やっぱり、わからしてくれはるわけよ。でも、サラリーマンのやつがいて、平社員からいろんな苦労してっていう話を聞いてると、僕らみたいに17、8の何にも知らない子どもでも先生って言われるような世界が変やっていうことに、早いこと気づかせてもらえたんは有難いなと思う。一生大事にしたい財産やねん。あ、これ、インタビューの話から脱線してる?」

いいんです。どういうことを考えてきはった人なんかなっていうところが知りたいから。成田さんにもそういう感じでインタビューさせてもらったし

山本「うん。僕と‘たっちゃん’(=成田達志)っていうのは、育った環境が、まるで違ったんや。あの人はずーっと、いろんな意味でキツい思いをして生きてきて、僕は、バカボンで、傍から思いっきり馬鹿にされてんのに、それに気ぃつかんと、ずーっと、これでええねやって思ってて、ある意味すごく不幸な生き方をしてたんやと思うねん。パターンが全然違うねん」

でも、気づいたんでしょう?

山本「うーん…。長いことかかったけどなぁ…。有名な話やけど、うちの父親が、それを“こうちゃん”(=清水晧祐/しみずこうすけ/小鼓方大倉流)に頼んでたんや」

何を頼んではったの?

山本「養成会に入った時に、僕の5年ほど先輩で、清水晧祐という人がおったわけや。養成会の発表会でもなんでも、ことある毎に、僕に突っかかってきはるわけや。17,8の時に、いっぺん掴み合いの喧嘩してんねん」

えっ?!

山本「それもおかしな話や。5年も先輩相手にな(笑)。その頃は、養成会の発表会の時に見所の座布団を並べたり、お茶の用意をしたりするのん、生徒の仕事やってん。僕、そんなことせえへん。なんでこんなことせなあかんねん、て」

うわ…、一番手に負えんタイプや

山本「冬の寒い時にな、会が終わって、みんなが座布団を黙々と片付けてる時に、僕、座布団にすわって、ストーブにあたっててん。ほなら、こうちゃんがカチーンときたんやろな、僕の座布団をグワーッと引っこ抜いて、ふっ飛んだんや。で、もう取っ組み合いや。みんなが寄ってたかって止めてくれはったんやけどな」

そりゃ腹に据えかねたんや

山本「あの人は、内弟子というものをちゃんと勤め上げた、そういう意味では、最後の書生さんらしい書生さんやったから」

大倉長十郎先生といえば、そら厳しい先生やったって話ですもんね

山本「そや。僕にしたら、ずっと、‘あいつはヤッカミ半分なんや’と思うてるわけや。僕ら、孝先生の息子さんやからって何もわからへんのに役をもらってるけど、こうちゃんは、長十郎先生の申合(もうしあわせ=リハーサル)の代りくらいしかさしてもうてへんのやから。‘イヤやな、ええ年して妬んで’とか思うてた」

はあ。なんとまぁ、世間知らずの憎たらしい…

山本「せやけど、そのうち、僕が舞台でもちょっとマシになってきて、一緒にいたりする機会も増えて…。“こうちゃん”が奥さんの有子さんとまだつきあってる時分に、たまたま3人でお茶飲んでて、有子さんに‘てっちゃん、こうちゃんのこと、大っ嫌いやったでしょ’って言われた。で、‘こうちゃんも随分気を遣ってたと思うよ’って。僕が養成会に入る時に、父親が、こうちゃんに‘うちの子、養成会に入れるけど、どうしようもないヤツやさかいに、ワシも手に負えんから、なんとかしてやってな’って、頼まれてはったんや、って」

しんどい頼まれ事やねえ

山本「‘何がなんでも最後まで面倒見る!’って言うてたって…。僕、…いろんな人に迷惑かけててんなあ…。僕の結婚式の時、披露宴で、こうちゃんにスピーチしてもうてるけど、その日、こうちゃん、ボロボロやった(笑)」

もう、親みたいな心境やね

山本「うん。…なあんにも知らんかった…。ヤッカミ半分やと思ってた自分が今度はカッコ悪いよなぁ。…あの人、キラキラしてたし、それを、ある時から僕も羨ましいと思うようになったし。せやけど、そこまで頼まれてるとも知らんやったし、それを言いはれへんのも、あの人らしいし…。ずうーっと辛抱してはったんやと思う。…それを聞いた時は、ほんまに‘すんません’と思たわな…」
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