なんだか、あっちこっちにぶつかりまくって、生傷の絶えない人やなあ。
赤ん坊がなんでも口に入れて、味覚で物を捉えようとするのに似ているような。
痛い思いをしないとダメで、だから、その痛みが絵空事ではなく身に沁みている。
頭で考えるのではなく、疑問を持ったら実際にやってみないと気がすまない。
やってみて納得しないと先に進めない。
そんな彼の芸に対する姿勢を現わすエピソードがある。
彼のプロフィールには、師匠として、亀井忠雄(かめい・ただお/大鼓方葛野流/人間国宝)という人の名前があげられている。
父の山本孝が、やはり、亀井忠雄の父の亀井俊雄(かめい・としお/大鼓方葛野流/人間国宝)に師事しているから、私は、てっきり、父親に言われて稽古に行ったのだろうと思っていたが、違っていた。
「大阪にいてたら、ある意味、父は大先生や。僕も、父だけ見てたらいいと思ってたから、他のもんに対して興味も湧かなかった。そういう僕に、大槻文蔵先生が、ことある毎に、亡くなった亀井俊雄先生の話をなんべんもしてくれはった。僕は、父が習うてた先生くらいしか知らへん。あんまりなんべんも言わはるから、文蔵先生は何が言いたいんやろう、そや、いっぺん東京に見にいかな、と思ったんや。東京に行って何人かの先生のお舞台を拝見して、一番わからへんかったんが、亀井忠雄先生やった。最初はどこがええんか全然わからへんかった。不思議やった。」
自分で行ってみたいと思った。
他のところで、もっといろいろなことを見たり聞いたりしてみたくなった。
彼に、ちょっといじわるな質問をしてみた。
山本哲也は、見上げるほどの長身でリーチも長い。
それは大鼓方にとってハンデではないのか?と…。
「そりゃ、これは永遠に喧嘩せなあかんことや(笑)。人間の反射神経なんて、腕の長さが違うても一緒や。同じように反応しても、腕が長いほうが、皮を打つまでの距離が長い分、不利や。かと言うて、腕を伸ばさへんかったら、なんやショボショボ打ってるように見えるし」
東京に稽古に通って、大槻文蔵が自分に言いたかったことがいくつか見えるようになった。
その中のひとつに、<調子>(=音色や音量など、大鼓の響き方)に関することがあった。
「羨ましかった。亀井先生の、ああいう<調子>が出したくて…、何年頑張ったかなあ。5年も6年も頑張ったけど、どうしても出せない。まだ、その(=頑張ってる)中にいるけど。」
それは、手のひらの大きさ。
「僕がやると、皮の中心に近いところに当たって、拡声器で物を言うてるような音になるねん。でも、亀井先生のは、絶対音量としては小さいのに、音の広がり方がまるで違うねん。音が大きいほうがインパクトはあるけど、あとから耳に、しゅぅ〜っと残る心地好さみたいなもんは、亀井先生でないと出せへん。間はメチャメチャ重たいのに、もたれてるように聞こえへん。それを<調子>で作ってはる。僕はそれに気がついたんや」
どうしても真似したくなった。
その技術を自分のものにしたくて、いろいろやってみた。
「皮のここに当てたらいい、ただそれだけのことがなかなか出来へん。皮に当たらんと空振りするかと思うくらい。そしたら、今までなんとも思わんと出来てたこともわからんようになって…」
フォームを改造するというのはたいへんな覚悟だ。
ひょっとしたら却ってスランプから抜けられなくなる。
自分の身体に合ったスタイルが別にあるのかもしれない、と迷うこともある。
それでも、彼は、敢えて、理想に近づくために模索しつづける。
時々、その理想の<調子>を掴めそうな時があると言う。
去年の何の舞台だったか…、その日の彼の大皮を、しみじみ「ええ響きになったなぁ」と思って聴いたことがあった。
しかし、彼の大鼓が進化すればするほど、その理想も進化しつづけ、その探求は止まるところを知らない。
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