ヤノベケンジ
1965年大阪生まれ/美術家、彫刻師
京都市立芸術大学大学院美術研究科了。
 '90年アートスペース虹にて「タンキングマシーン」(中に入り体温程度に暖められた生理的食塩水にぷかぷか浮く事が出来る。外界と遮断されていてまるで母胎内に浮いているような感覚を味わえる)を発表。その作品で第一回キリンコンテンアワードで最優秀賞受賞。'91年大阪キリンプラザにて「ヤノべケンジの奇妙な生活」、'92「妄想砦のヤノベケンジ」(水戸芸術館)などで核戦争後のサヴァイバルや妄想をテーマに制作、発表。'94'年から98年にかけてベルリン(ドイツ)で過ごす。
  大阪万博の会場近くで育った彼は、万博終了後の取り壊し現場を見ながら敷地内で遊びながら「未来の廃虚」を体験した。その原体験はもの創りの出発点になっていると言う。'97年ベルリン滞在中、ガイガーカウンターが取り付けられた放射線感知服「アトムスーツ」をつくり、それを着てチェルノブイリを訪問したのは、「もう一度、「未来の廃虚」を体験したい」、「それによって自分が変われるかもしれない」という個人的な欲望からであった。実際、想像していたものとは全く違う現実に直面し強烈なパンチを食らう。
  '98年帰国後、個展「至上最後の遊園地」を発表。会場ではガイガーカウンターが仕込まれた5台のアトムカーには、実際お金を払って乗ることが出来た。(キリンアートスペース原宿、キリンプラザ大阪、三菱地所アルティウム)
 グループ展では99年「日本ゼロ展」(水戸芸術館)'00年「ギフト・オブ・ホープ」(東京都現代美術館)'01年、資生堂ギャラリーにて「ビバ・リヴァイバル・プロジェクト」を発表。実際に立ち上がる「スタンダ」(3メートルもある鉄の巨大ベイビー)を創る。他、ヨーロッパをはじめアメリカ、オーストラリアなど海外でも発表多数。'99年にはNTTコミュニケーションセンターでは1週間誰にも会わないで人工知能を持つロボットと生活するという実験も試みる。
 '02三宅一生の新ブランド ISSEY MIYAKE F_TEの店鋪を三宅氏とのコラボレーションで「再生」「復活」「新たなる創造」をテーマに制作。新作の「Queen Mamma」は店の中央に位置し、フィッティングルームとして機能している他、店のシンボルキャラクターにもなっている。
http://www.nhk.or.jp/dig/feature/yanobe/index.html

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