舞台上には複数の黒板が立てられ、中央の椅子にはアブラモビッチが鎮座する。顔は金箔で覆われ、左腕には死んだウサギが抱えられています。右腕は頭のあたりに掲げられ、人差し指を上に延ばした姿はイコン(聖画)のようにも見え、時に、椅子をおり手元のウサギにささやきかけながら舞台上を歩き回り、その際、靴底につけられた大きな金属片が硬い音を響かせます。“How to Explain Pictures to a Dead Hare(死んだウサギに絵を説明する方法)”というタイトルの通り、それはウサギに、しかも死んだウサギに何かを伝えようとする、半ば絶望的な試みの繰り返しです。私は円形の舞台から1、2mほど離れたあたり、中央に腰掛ける彼女のちょうど正面の位置に座り、やや見上げるようにそれを見ていました。この日配布されたリーフレットの片隅に私が記したスケッチがあります。これを見て分かって頂けるように、観者は舞台の背後に見える螺旋系のスロープから多くの人が中央を見つめている光景を視野に入れずにはいられません。そして、そのような状況は何も私が観ていた位置に限られるものではなく上階から見下ろす者もまた、中央を見つめる私たちをその視野の中に入れざるを得ないでしょう。
あるいはStephan Oettermann, The Panorama: History of a Mass Medium, trans. Deborah Schneider (New York: Zone Books, 1997)では、パノラマ装置とバロック演劇との関係について触れられています。このような繋がりを、例えばベンヤミンのアイロニー論を経由して理論的に読み解くことは近代的視覚について考える上で重要だと思いますが、それはまたの機会を待ちたいと思います。