log osaka web magazine index
曖昧な社会人になるための働き方思案
執筆
+ 岩淵拓郎
美術家・執筆家・編集者。
メディアピクニック
'73年、兵庫県生まれ。関西を拠点に、主に文字を使ったマルチプルピースやインスタレーションを制作。また98年にオフィス「メディアピクニック」を設立、雑誌や新聞での執筆、編集、各種コンテンツプランニングなどメディアにまつわる業務を行う。'04より北区南森町で住居用マンションを使ったクリエイティヴワークスペース「208」主催。
10月には天王寺区應典院で個展。くわしくはこちら


第2回 プロの仕事とプロでないシゴト(前半)

■「もうちょっと勉強してきて」

高校を卒業し、なんとなく雑誌の仕事でもしたいと考えながら、とりあえず金を稼ぐために百貨店やゴルフ場などのアルバイトを掛け持ちしてやっていた頃。とある知人の紹介で、某L誌で長年ライターをしているという人物を通して仕事をもらったことがある。仕事といっても北新地のバーの小さな紹介記事で、確かギャラも3000円程度だったと思う。それでも自分にとっては記念すべきライター初仕事だったから、ずいぶんと緊張しながら取材をし、何度も何度も書き直した。そしてようやく出来上がった手書きの原稿をファックスで送ると、ほとんど間を空けずにそのライターから電話がかかってきて一言こう言われた。

「もうちょっと勉強してきて」

結局何度も書き直した原稿はボツになり、かわりに彼の原稿が誌面に掲載されたけれど、自分にはその理由がどうしても理解できなかった。なぜなら実際に掲載された彼の文章は、何の面白みもない、ただ「情報誌らしい」だけの体のいい内容だったからだ。あれから十数年以上が経って、私はいまだに文章に携わる仕事をしているけれど、いまだになぜあの原稿がボツになったのかはよく分からない。少なくともあのライターが書いたものより、ずいぶんとマシな文章だったのに!



■現実感から生まれる「プロとしての社会性」

初仕事がボツになった理由が分からなくても、この十数年で文章について学んだことはずいぶんと多い。それからしばらくして私は小さな雑誌の編集室に潜り込み、そのあとフリーで執筆の仕事をするようになった。最近では他人の文章を編集することもあるし、たまにはメディア全体のディレクションをすることもある。かつて「もうちょっと勉強してきて」と言われたズブの素人は、そのささやかなキャリアによっていつの間にかプロになっていた。いや、正確にはいくつかのクライアントから「プロ」だと思われるようになったと言った方がいいだろうか。私の暮らしぶりはあいかわらず、文章を書いたり編集したりしながら、美術をやったり、派遣でバイトをやったり、パッチワークのようであるからだ。

それはともかく、曲がりなりにも「プロ」になった自分がこの十数年でずいぶん学んだと思うのは、ひとえに「社会性」についてである。いまさらこんなところで書く話でもないけれど、一般的に銭金の動く仕事において求められるのは結果としての質だけではない。いくら書き直したくたって締め切りは守らなくてはならないし、取材する相手にはそれなりにいい顔もしなければならない。編集者との人間関係も大切だし、いくらいい文章であっても媒体的にNGならそれはただのゴミである。そういったことは全て仕事をする自分と社会的な何かとの関わりの中で生まれてくることであり、そのまま「社会性」と言い換えて差し支えないだろう。もちろんプロの仕事が世知辛いなどと言いたいわけではない。ただ質うんぬん以前に、社会的な意味で忘れるとまずい仕事の目的があるのだ。それはつまり、まわってきた仕事をスムーズに終わらして、その報酬であるギャラを機嫌良くもらう、もしくは払ってもらう、ということである。

このような「プロとしての社会性」を、高校を出たての自分は当然ながら持ち合わせてはいなかった。それどころか私はただ読者が読んで面白いと感じる文章を書けばそれでいいと考えていたのだ。しかしながら、そのことがはたして原稿がボツになる理由になり得るだろうか。もしくはボツになったのはすると原稿ではなく、社会性を持ち合わせていなかった僕という人間だったのではないだろうか。締め切りを守らなかったわけでもなく、かといって誰かに礼儀を欠いた態度をとった覚えもないが、もしそういうことが原因ならばそれはそれで納得できなくもない。

page 1 2 next >>
TOP > 仕事とシゴト > > 第2回 プロの仕事とプロでないシゴト(前半)
Copyright (c) log All Rights Reserved.