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24 読解できないもの その2

大阪・アジア・コンテンポラリー・ダンス・フェスティバル Bプログラム レポート 
ピチェ・クランチェン作『テーパノン/Thep-pranom』

        構成:メガネ、レビュー執筆:藤田一×メガネ、インタビュー通訳:塚原悠也(dB)

第5回大阪・アジア・コンテンポラリー・ダンス・フェスティバル(2007年2月16日〜3月4日)の追跡レポートの第2弾です。2週間の滞在制作の成果である、ピチェ・クランチェン作『テーパノン/Thep-pranom』について、Art Theater dBディレクターの大谷氏のインタビュー、作品のクロス・レビュー、ピチェ・クランチェン氏のインタビューを以下にお届けします。


 
  Aプロ記念真写真/阿部綾子
 
Art Theater dBディレクター大谷氏インタビュー

+まずは、第5回大阪・アジア・コンテンポラリー・ダンス・フェスティバルの企画主旨を教えてください。

大谷(以下O):今回はタイトルに「大阪」をつけたのですが、このフェスティバルをこれまでに4回やってきた中で、アジアのダンスが少しずつ変わって来ていると感じました。日本以外のアジアのダンスは、大方が伝統舞踊をベースにしており、それに西洋のスタイルを、悪い言い方をすると表層的にミックスするという段階に留まっているものが多いように感じます。例えば韓国では「コリアン・コンテンポラリー」という動きがあって、それらは伝統舞踊を新しくするという意識でやっているんです。それが少しずつ、伝統舞踊を意識しないものが出て来ています。でもそれはそれで、日本ではよく見られるのですが、スケールの小さなものになっている。「私小説的ダンス」というのかな。こういった、善し悪しが簡単に判断できないような現状が、日本も含めてアジアにはある。それが、ある意味で、出所がわからない面白さ、多様性、多文化が混在している混沌とした面白さにつながっていると思います。それらの動きが、だんだんボーダレスになってきているんです。その一方で、今回は西アジアを呼んでいませんが、東アジアと東南アジアで異なる身体性が見えてくる面白さがあって、そういったものをお客さんにも発見してもらえればと企画しました。つまり、伝統とそれに対する対立という軸では捉えられなくなってくると、逆に、固有の身体性が見えてくるんです。そのあたりを中心に今回は企画しました。


 
  Art Theater dBディレクター大谷氏写真:Peggy Kaplan
 
+Bプロについては、なぜピチェ・クランチェンさんを招かれたのですか?

O:まず、彼のダンスは先に述べたような表層的なミックスではない。このことは2002年に初めてよんだときに「すごい!」と思いました。身体も含めて新しい舞踊の哲学を作ろうとしている。そう直感的に思いました。かつて日本の舞踏が能や歌舞伎の影響は基本的には受けずに、一つの流れを作り出した。それは日本人の身体性に着目した一つの結果なんです。ピチェの場合はコーンというタイの仮面舞踊をベースにしていますが、そのメソッドというより哲学を踏襲する事が大事。メソッドだけコピーしていくのは違う。こういった意識は後でわかってきたことですが、それが彼のやっていることなんです。そのとき、伝統、つまり体に記憶されているいろんなことと、今世界の中に生きているピチェ・クランチェンという人の独自性、それらが彼の表現の中で、身体性のレベルで整理されている。ナショナリズムは越えて、でもどこかでタイかな、アジアかなと感じられる気配やにおいが着実に伝わってくる。それが面白いんです。こういった作品、言い換えると、グローバリズムではなく「インターローカリズム」のような土地固有のものが、世界的に共通した新しいカテゴリーとして生まれて来たら面白いと思います。

+インターローカリズムとは?地域の固有性に執着するだけでなく、個々の地域間でネットワークしながら関連する部分を見つけてゆくということでしょうか。

O:造語かも知れませんね。昔は地域主義と国民国家主義が対立していた。それに対して反語なのですが、反グローバリズムになりつつ地域間で普遍的な共通項は見つけてゆける。ということを誰かが書いていて、僕はそのことをダンスにあてはめて考えているんです。

+クランチェンさんに、今回滞在型でワークショップ公演を依頼された意図は?

O:一つは単純にレジデント作品を作りたいという思い。それは、日本の作家に限らなくてもよいと思っていたので、先のような理由でピチェに来てもらうことにしました。

+Aプロ、Bプロを終えての感想をお願いします。

O:AプロもBプロも質が高かったですね。それは先に言った僕の思いがある程度かたちとして見えて来たからかなと思います。ピチェの作品に関しては、まだこれからという面があります。今回は、彼が考えていることに対して、参加者が必死でついていったという地点まででしょうか。作品の最後に役者が言いますね。「大事な事は、生と自然と芸術」そういう哲学がある程度伝わって、それが方法論として伝わって、チョークで彼の方法論を幾何学的なものとして提示しました。その意味で非常にわかりやすい舞台ではあったけれど、そこからもう一歩踏み込んだ場面があと10分なり欲しかった気はしています。それは2週間という制作時間の限界ではありますが、12月にもう一回よべればと思っているんです。うまくいけば、シンガポールとバンコクでこの作品を同じメンバーでやりたいと思っていまして。その後もう一回日本に来てもらって、沖縄、福岡、札幌、東京とツアーをする交渉を始めたところです。ダンスボックスで作られた作品が、海外でも上演されるような、そういったネットワークを作っていきたいなと思っています。

+回を重ねたことにより、文化の深層、個人の層のようなものが見えてきたということを言われましたね。今回のチラシやニュースレターには、そういった部分を見てほしいという配慮を感じました。それ以外に、劇場の様々な活動において、ダンスにアクセスする際に障害となるような、既存の見方を壊すような工夫は、他にどのように考えておられますか?

O:それは、プロデューサーの力ではどうにもならないと思っているんです。アーティストを見つけていくということ。アーティストの情報を集めること、もっとお金があればアジアのダンスを見て廻りたいとも思っています。そういう新しい動きを始めているアーティストと連動してゆけるように、情報をきちっと集めてゆくということですね。アジアといっても、西アジアはまだ触っていない。イスラエルを別枠で呼ぶ事はありますが、このフェスティバルの中で西アジアが欠落していることは気になっています。それから、ダンスはどうしても社会の環境の変化と連動していますから、今急激に経済発展している中国も。美術では中国のコンテンポラリーの作家は興味深い活動をしていて、日本にも紹介されていますね。でもダンスでは見えなてこないんです。僕が見た事があるのはまだ面白くなくて、一つ面白いと思った作品があったのですが、そのダンサーが行方不明になってしまい、追えていない。このフェスティバルが続くのであれば、これらの地域を見ていきたいと思います。
このフェスティバルを続けることによって、アジア独自の価値が発見できたら面白いと思っています。それはアジア独自と言えないかもしれないし言わなくてもいいのかも知れないけれど、そこを敢えて言ってしまうことで、新しい価値観やカテゴリーが生まれたら、という意味で言っているんです。でも生まれなくてもいいかな、とも思っています。このアジアにこだわるという視点は、世界にこだわる中で必然的に出てくるだけで、別に「アジアの一派」を作ろうとしているわけではないですからね。常にスクラップアンドビルトで、新しいものを作り上げたら壊す。そういう動きとダンスボックス全体の活動が連動してゆければ理想的だと思っています。先駆的なことをやりたいという思いがある反面、組織というのはどうしても年老いてゆきますからね。そこをいかにそうならないようにするかは気をつけています。このフェスティバルに関しても同じようなことを思っています。

+新しい試みによって、さらにネットワークが広がってゆけば、参加したダンサーたちの「ホーム(帰ってくる場所)」としてのdance Boxにとっても素晴らしいことですね。ありがとうございました。



 


 
  公演後のパーティーにてAプロ(左)Bプロ(右)写真協力:お客様
 

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