log osaka web magazine index
WHAT'S CCC
PROFILE
HOW TO
INFORMATION
公演タイトル
パフォーマー
会場
スタッフ・キャスト情報
キーワード検索

条件追加
and or
全文検索
公演日



検索条件をリセット
眠る帝国 松岡永子
 「眠る帝国」という題名に三本柱鳥居がモチーフだというから、日本古代からユダヤ伝説、宗教などを巡って壮大な偽史が語られるのかと思ったら、以外にあっさりしていて、見やすかった。壮大を求めてとっちらかったままになってしまういつもの傾向と比べてどちらがいいかは好みの問題だろう。ラストをもう少し派手に演出して押し切ってしまった方が見栄えがするとは思うが、作品としてはまとまっていてよかったと思う。
「現在は閉鎖中の掲示板の書き込みログです」というサブタイトルの方が全体の雰囲気をよく表している。ネットのその書き込みは二幕冒頭で引用される。
 宇宙は自らが存続することだけを意志している。人間はそのエネルギー発生のための装置なのであって人生には意味も救いもない。「希望」とはそんな人生を続けさせるため世界が与えた幻だ—といった内容。
 特にめずらしい考え方ではない。パンドラの箱から出てきたものの中で「希望」が最も始末の悪い災厄だ、という話は北杜夫の初期小説にもある。人間が人生の意味などということを考え始めたときからあっただろう。
 問題は、今なぜそれをあらためて取りあげたのか、だ。

 少年たけしは三本柱の鳥居がある神社境内で少女未来と出会う。いつの間にか未来を見失い、気を失っていたところを本郷、一文字という男たちに助けられる。
 神社は町興しのための祭準備の真っ最中。神主も巫女たちも急ごしらえで、途絶えていた祭復元の指揮をとっているのは緑川という怪しげな男。巫女たちは井戸の周りで舞い、剣で星を形づくる練習をしている。

 井戸は精神分析でいうイドで無意識との接点を表しているのだろう、とある人がいっていた。別にそんな風に解釈しなくても、祭の中心の場所には現実とは異質のものが立ち上がる。この芝居では、舞台という祭も物語という現実とは違うものを呼び起こすのだとしている。

 神社が舞台だがキリスト教モチーフが多い。緑川のささやきと本郷たちの励ましという悪魔と天使の戦い(善悪二元の争いはむしろゾロアスター教?)。祭の完成によって解消されるといわれた巫女たちの悩みは、いわゆる大罪(嫉妬、強欲、大食など)だ。たけしの罪をそれに当てはめれば怠惰、だろうか。
 夢の中でもう一人の未来に刺されたことに怯えて、たけしは立ちすくみ何もできない。何もしないことで緑川の思惑通りにことは進む。地震で鳥居は倒れ、祭は中止になる。

 行動することが責任を伴う選択であるのと同じく、何もしない、ということもひとつの行為であり選択である。結果は自分で引き受けなければならない。この芝居の中で少年はそんな覚悟を探している。

 立ちすくむことをやめ行動を始めたたけしは、祭を自分たちで完遂しようとし、緑川と戦おうとする。が、ものごとはそんなに簡単にうまくはいかない。たけしは緑川に傷(おそらく致命傷)を与えられる。絶体絶命に見えたとき、ふたりの未来が緑川を退ける。聖母の趣きがある彼女らは、たけしを導くのだという。それは幸せな人生に、ではないだろう。たぶん「希望」の方向に。

 今回グランドロマンは、あらためて舞台は虚構だと宣言している。
 それはたぶん現実と対峙していくためだ。現実へと帰っていくため、より「生きる」ために、現実とは違う物語を熱く生きる。現実の暗さから目を逸らすのではなく、はっきりと否定したい、越えてゆきたいという気持ち、決意したいという気持ちの表れだろう。

 今作には松本零司が明らかに引用され(諸星大二郎も使われていたらしいがそれはわたしの読書範囲外)マンガの台詞をそのまま使う。また、助けに来る男たちが懐かしのヒーローの名だ。いろいろな道具立てが昭和で、父親がおらず貧しいらしいたけしの家庭も七十年代の趣き。ネタを理解する人は年代が限られるかもしれない。作り手の年齢がしのばれる。
 長年続けているがグランドロマンは垢抜けない。それゆえの真摯さこそがこの劇団の最大の長所だろう。

キーワード
DATA

TOP > CULTURE CRITIC CLIP > 眠る帝国

Copyright (c) log All Rights Reserved.