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「人は何のために戦うのか」 平加屋吉右ヱ門
石油が輸入できなくなった少し未来の日本では、炭鉱から堀出される石炭がエネルギーの重要な部分を担っている。一日の仕事を終えた炭鉱労働者の疲れを癒す心和むひと時を監督官達が撮影している。つい最近も大きな坑内火災が発生し、何人もの仲間が亡くなっている。そんな危険な仕事から解放され、ほっとした気持ちもあり労働者たちの宴は盛り上がる。
しかし、撮影が終わるや否や労働者たちは、監督官たちに小突き回され、一切の歌や踊りが禁止される。社会が階級制になり、労働者と支配階級の間には歴然とした地位の違いが存在する。更に同じ労働者階級にも、監視する側とされる側とで、身分に差があることがわかってくる。そして炭鉱労働者への扱いは囚人や奴隷に対するように過酷さを極め、暴力と恐怖によって支配されていく。

今まで観たマシンガンデニーロの舞台は、「トルク」「クロスプレイ」。それに続く3作目である。第二次大戦後戦争を続けながら家族が暮らす地下壕、秘密の治療を行う病院。登場人物たちは一様にその空間から出ることが出来ないという制限条件の中で、物語が進む。またもう一つ奇病や難病、医療に関わるものが横糸となって話が進む。
中でも今回ははっきりとその閉ざされた世界からの脱出がモチーフとなっている。希望をなくし暴力に耐えるだけの毎日を送っている労働者の中で、ミケだけはかつて脱走した仲間が外の世界で生きていると信じて、炭鉱の中に残された秘密の脱出口を探す。当然監督官たちの暴力はミケに集中するが、全く怯むところがない。しかしそれにはわけがあった。ここでもう一つのテーマである難病が描かれる。ミケは痛みを感じない病を背負っていた。仲間に代わって監督官の暴力を受けても何の痛みを感じないどころか、さらには快感を感じるようになっていく。
マシンガンデニーロの舞台を観るときに他にも重要な鍵がある。題名とチラシのイラストがこの芝居でも鍵である。スピンオフを辞書で引くと「派生した話」と出てくる。このお芝居では、先に行われた脱出も、今回のミケが実行した脱出も失敗で終わる。全て工場長(炭鉱長)や監督官の計画にはめられていたという結末になっている。しかしそのような中、それまで脱出に消極的だった仲間たちが、他の炭鉱へ移されて行くが、そこで新たな脱出作戦へと立ち上がっていく所で話が終わる。また、チラシの中に描かれている赤く先の曲がったトビクチのような、むしろ鎌のように見えるツルハシ。このツルハシは舞台にも登場し、何本もが組み合わせられてトンネルや坑道の迷路のような状態を表すのにも効果的に使われる。

舞台の設定が、特殊な世界や近未来の世界を描く場合には、すんなりと抵抗無くその世界に入れるかどうかで、観客がその物語を楽しめるかどうかが、決まるように思う。前回のクロスプレイでは、クローン人間という近未来の題材を実に上手く料理し、観客が抱く疑問を自然に解答に導くことで、大変上手くそのお芝居の世界に取り込んでしまった。しかし今回用意されていた観客の疑問に対する解答は、受けとる側の問題かもしれないが、私には十分に説得力のあるものではなかった。例えば炭鉱労働者、戦時中に外国人に対して強制労働が行われていたのかどうかの十分な知識は私には無いが、少なくとも戦後の炭鉱労働者の生活は、現在の労働条件と比較して言うわけではないが、当時かなりの高給だったのではないだろうか。少なくとも、背中に刺青を彫り、男の職場として誇りを持って働いていたと思う。
とは言え、物語はしっかりとした構成で進み、ぶれる所がない。一歩一歩終盤へと進んでいく。確実にお芝居の中で描きたいことを、表現していく。五言絶句の漢詩を読んでいるようだった。ミケ役の松崎映子、ジロウ役の菊池豪は魅力たっぷりに演技し、常連の客演たちとの呼吸も合っている。公演回数を回を重ねるたびに急速に進化している。こういうのを勢いがあるというのだろう。

キーワード
■大脱走 ■ 医療 SF
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