そうそう、確かこの時に灰塚でのカイトフェスティバルという手法を思いつくんだ。
灰塚では2000個のカイトで龍のカタチが浮び上がるという絵を描いただけだったんだけど、それを実現する際のプロセスについて考えていました。
例えばクリスト的なやり方や川俣的な方法、アートプロジェクトとして立ち上げて、ドローイングや模型を売るなり、助成金を申請するなりして予算とってきて、カイトを発注して制作し、役場と現場に協力をもらってボランティアを募集して数千万円かけて実現するという方法もあるし、時間をかけてバイトしながら少しずつカイトを制作して現場に1年ほどいてワイヤーを取り付け実現する方法もある。 だけど、そうやって僕が個人の表現としてカイトを上げる手法に僕自体が魅力を感じなかった。 美術表現として凧を上げて何になるんだ?ってね。 そこにいろんな意味とか思いとか込めたとしても、実はたいしたこと伝わらないし、なんの影響力も持たないのではないかと。 もっと地域のシステムに絡む手法はないかって。
もっと、藤浩志的なやり方、違うやり方はないだろうかって考えた時に、フェスティバルという手法を思いつくんです。 例えばカイトフェスティバルを計画して、地元の人がみんなでカイトを制作しある時一斉にカイトを上げるとします。 その結果、カイトで風景がうまってしまうというような手法です。 同じような風景を立ち上げるのでも、僕が一人で作って無理して風景を立ち上げるのと、みんなでカイトを上げるシステムを町の中に組み込むことで風景を立ち上げるのでは意味がまったく違う。 地元の人がじぶんたちで作って、楽しむとこが大切なんじゃないか。 そういうシステムを地域に盛り込むことでその地域がかわるんじゃないかなってね。
ここで「システム」が登場するんですね。
結果的にカイトが上がって、完成図としては同じかもしれないけど、そのプロセスが重要だなと。 あるシステムを作り組み込むことで、そこの風景が変わる。 僕としては様々なアイデアを提供し技術的なアドバイスを行って、新しいツールのイメージを考え提供する。 それを地域の人々がより具体的に考え、実現させることで、みんなが地域を考えるようになるんじゃないかとね。 僕がイメージを作るんじゃなくて、あるシステムを提案することで、参加した人がイメージを作っていくといったようなそんな手法ですね。
灰塚のプロジェクトに参加した後、ラホールのワークショップがあって、こういう手法を思いついたわけだけど、これはとても重要なポイントだったね。 よくまあ思いついたよね。
つづく |