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人口1005万人のヨーロッパの小さな国、ベルギーが世界に誇るもの。そのひとつがコンテンポラリー・ダンスである。国際的に活躍するベルギーのダンス・カンパニーの筆頭、ローザスRosasの創立時からのメンバー、池田扶美代さんにメールで質問に答えていただいた。

資料協力:カンバセーション

ローザスの振付家、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルさんに出会うまでのダンスとのかかわりについて教えてください。
ダンスにまつわる一番はじめの記憶は何か、覚えていらっしゃいますか?


残念ですが何も覚えていないです。
私は10歳の時からダンスを始めました。17歳でムードラに入学するまでの私は、ダンスを続けたくともあまり選択はなく高校から東京に出て、なれるかどうかもわからないダンサーとしてやっていけるか、地方都市のダンスの先生で収まるか迷っていました。とにかく踊っていたかった。だからあとの事も考えずムードラのオーディションを受けてしまいました。
アンヌ・テレサとはムードラで出会いました。

ムードラに通われて、踊ることはどのように変わったのでしょうか。

ムードラでの経験は今でも私にとってとても大切なものです。
毎日毎日、朝から晩まで踊り、消化不良になるくらいの授業の内容をこなし、好きなダンスや嫌いなタイプのダンスもすべて習い、それでもって多感な年頃の一番馬鹿をやっている年頃のクラスメートに囲まれて、毎日何かしらハプニングがありました。
何が変わったか一言で言えません。滅茶苦茶にこねられた感じかしら...。
あと、私もアンヌ・テレサもフェルナン・シレーヌという、リズムの先生にすごく影響を受けました。今でも仕事中に彼の言葉が何かの説明に出てきたりします。

ドゥ・ケースマイケルさんと出会われてから、ローザス結成までのいきさつを教えてください。

彼女はすごくインパクトの強い人で、色々なムードラでのエピソードを思い出します。
私が3年生のときニューヨークから帰ってきた彼女は、私にすぐに会いに来て、一緒に作品を作ろうと誘ってくれました。
彼女とはムードラの時に、すでに彼女の作品の中で仕事をした事がありました。
返事をした時点ではまだ『ファーズ』を創っていなかったので、ただ彼女の事が好きという理由で引き受けてしまい、私の人生はここまで来ているのです。

FASE
photo:Herman Sorgeloos
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