映画を撮るということは出来るだけ作る側に、私達の最高のマテリエルを渡すという立場を忘れないこと。とにかく舞台で踊っているようには踊れないのだから、そのしくみや何をどのように撮ろうとしているかわかること。
それを確認のうえで、自分なりにカメラに向かう、カメラやカメラマンとの相性もあるけれど、私がどのようにカメラの前に立つかは、そうですね、その映像のカードル(枠)から脱け出られたらいいなぁて思っています。
作る側は映像やそのコマ送りばかりに気が入っているから、演じる方はその空間から、はみ出られたらいいな、とかその場に取れなかった前後のシーンも考えてやっています。
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