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映像作品では、舞台で他のダンサーと一緒に踊るときと違って意識することなどはありますか。

ACHTERLAND
photo:Herman Sorgeloos

映画を撮るということは出来るだけ作る側に、私達の最高のマテリエルを渡すという立場を忘れないこと。とにかく舞台で踊っているようには踊れないのだから、そのしくみや何をどのように撮ろうとしているかわかること。
それを確認のうえで、自分なりにカメラに向かう、カメラやカメラマンとの相性もあるけれど、私がどのようにカメラの前に立つかは、そうですね、その映像のカードル(枠)から脱け出られたらいいなぁて思っています。
作る側は映像やそのコマ送りばかりに気が入っているから、演じる方はその空間から、はみ出られたらいいな、とかその場に取れなかった前後のシーンも考えてやっています。

ドゥ・ケースマイケルさんのように厳密に計算された振付と、インプロヴィゼーションとで、踊る心構えなどは違っているのでしょうか。

インプロのときは普段以上にオープンになること、何も間違いなど存在しなく、すべてポッシブルなんだということ、周りを見る、聞く、急がない。とにかく自分をオープンに保つ事。
今でもまだまだ勉強中です。

ドゥ・ケースマイケルさんは、あるインタヴューで、自分が踊ることを基準に、振付方法や作品との距離の変化によって、ローザスの活動を三つの時期に分けています。池田さんの立場からは、ローザス作品はどのように変化していると見られますか。

簡単に言ってアンヌ・テレサが踊らなくなった頃はすごく演出というか、外から見た構成の仕方を学んでいた時期かしら。
その間は私達が随分振りを提供しました。今はアンヌ・テレサ自身が踊りたくて仕方がないのです。作品は常に色々変化しています。これは彼女の才能です。

ドゥ・ケースマイケルが自ら踊るソロ 『ワンス ONCE』
photo:Herman Sorgeloos

どのように変化してきたかとかはその手の専門家に任せて調べてもらう事にして、私は余り興味がないです。
すごく変化(成長?)しているようで核心的なところは余り変わってない気がします。

10月に公演される『レイン』は、ローザス作品の中でどのような位置づけにあるのでしょうか。

RAIN
photo:Herman Sorgeloos

『レイン』は、Rosasが良くやる形式の大きい作品(テキストや生演奏付)ではなく、ツアーに適した、つまり多くの劇場で上演できる作品です。
さらに、この作品は彼女のオブセッションであるスパイラルと黄金比率の大決算でしょうか。
もちろん『ドラミング』よりも構成的には複雑で、ほぼ完全に黄金比率の後ろからレトログラード(逆回し、逆戻り)で創られています。あと、演出的に一息で音楽とともに最後までいける何かがある気がします。

DRUMMING
photo:Herman Sorgeloos

それはどのようなプロセスを経てできあがったのでしょうか。

この作品の素は『イン・リアル・タイム』です。

IN REAL TIME
photo:Herman Sorgeloos

アカ・ムーンAKA Moonによるジャズから18人のミュージシャンによるライヒの音楽に全て書きかえたわけだし、『イン・リアル・タイム』の踊りの部分のベストな所の抜粋です。
3時間あった作品が70分になったわけだから、私達にとってはテキストを全く使ってなくても圧縮されています。頭のどこかにその思い出があるし、だからいろいろな感情が入り混じっていて、これだというメッセージは言い切れない、その日その時の自分達、お客さんの体調や気分や色々なものが混じって何かメッセージらしきものを感じる気がします。

 

舞台空間の中で複雑な軌跡を描くダンサーたちが持っている「ベース」とは?

同じ言葉を喋るある種のコミュニケーションかしら。
とにかく、コミュニケーション!!!

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