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井内:今日来ていただいているアーティストの皆さんは、文章になったものを目にしたことはあるかと思うのですが、選考委員の先生方の生の講評を聞かれたのは今日が初めてだと思います。今こうしてご自身がこういった基準で選ばれたと言うことをお聞きになってどのように思われますか?

高田:今選んでいただいた理由をお聞きしたんですが・・・僕の場合は今まで自分の好きなチェロを30年ほどやってきたのですが、それを少しでも聞いてもらいたいというよりは、あまりにも今まで普通に演奏活動をしてきたんです。ドイツにも行きましたが、向こうでは普通に演奏活動をさせてもらっていたのです。それで日本に帰ってきてみると、大手の音楽事務所にすり寄って、演奏の力以外にも色々な力が働いた状態で演奏活動をしなければいけないということを、外側から眺めた時に感じました。大阪AISの企画を初めて見た時に、「これは自分の力で何かが出来ることではないか」と思いました。僕のチェロの演奏ってのは死ぬまで変化し続けていくとは思いますし、体調管理などいろんな事があるので、オーディションを受ける時点では選ばれるかどうかは、その時は考えていませんでした。とりあえずは自分に出来ることしか出来ないと思っていました。オーディションの会場に行くと、みんながものすごく「取りたい」という意気込みを感じました。そういうエネルギーは僕の根っこの部分にはあるんですが、そういう意気込みを表に出すと、日本では叩かれるのではないかと思っていました。少し余談になってしまうのですが、過去に色々なオーケストラとコンチェルトを演奏してきたのですが、その中で、ある力のある人とぶつかってしまったんです。本人同士はそんなにぶつかった意識はないのかもしれないのですが・・・周りがすごく騒ぎ立ててしまったのです。人はどうしてもそんなに強くないので、指揮者などのお金が回る人の周りについて行ってしまうと思うんです。でも、私にとっては音楽とは常に感動でしかないんです。もちろんお金はあるに越したことはないのですが、それ以前に、何故自分がチェロをずっと弾いてきていて、権力に押しつぶされなければいけないのか?と感じたんです。30歳までずっとスタートだと思い続けて活動してきたのに、こんな所でつぶされてしまっては困ると。そしてたまたま31か32歳の時にこの企画を見て、これはゼロから、もしかしたらマイナスからはじまるんじゃないか、自分の演奏に全てかかってくる。といったことを感じました。もしダメだったらまた最初からやり直せばいいし、うまくいっても自分は死ぬまで一音でもいい音を出そうと努力していくだけのことです。
 今回オーディションがあって、どなたも選ばれなかったというのは、私にとってはとても残念なことです。出来れば色々な楽器の人と混ざり合って、色々なものを作っていきたいと思っていたので、次回は是非新しい人が入ってくることを願っています。

萬谷:昨年このオーディションを受けたきっかけは、父が新聞で見かけて紹介してくれたんです。実はこのオーディションの直前にたまたまコンクールがあったところだったのです。そのコンクールは残念ながらいい結果ではなかったのですが、このオーディションを見て、同じ音楽なんですが、コンクールとは違うフィールドで、次に向かえるステップの場ではないかと思って受けることを決めました。オーディションの時の演奏の事は、ずいぶん前の事なので、あまり覚えていないのですが、先ほど先生方がおっしゃっていたほど、録音や演奏の時のこだわりが出せていたのかな?と聴きながら思い返していました。オーディションの時は、自分にとって決して恵まれた環境での舞台ではなかったのですが、でも、「このピアノで自分の音楽を表現したい」とか「限られた選考時間の中で、どうしたら自分の持っているものを伝えることができるのだろうか」とかをかすかながら考えていました。でも、それだけではなくて、私はたまに知り合いに演奏を聴いてもらった時に「あなたが演奏している時にどんなものを見ているのかを知りたい」と言われることがあるのですが、それを自分で考えてみると、自分の欲しい音をイメージして聴いて、具体的なイメージではないのですがその音の絵の様なものが見えるような気がするんですね。そういう図形や色や形がうまく作れた時が、自分の演奏がよくできた時だと思うので、そういうのが表現できたので選ばれたのかなと思います。
 オーディションに通って、1月から3月の間に4回のリサイタルを開催してもらったのですが、最初はその短期間の間に、それだけの数の自分一人だけのためのリサイタルってのはちょっと無理じゃないの?と思ったこともありましたが、どこかでは「いや、出来るんじゃないの?」という、過信ではないですが、自信のようなものもありました。自分の舞台だから誰にもじゃまされることはないし、コンクールのように人と比較されることもない。聴衆の方々は、自分の演奏だけを聴きに来てくださっていて、私がどういう演奏をするか、どういう音楽をするのかに興味を持ってくださる方の前で自分の全てを出し切ることが出来る経験は、私にとってとてもいい経験だったと思います。それがまた今年も出来るって事がすごく嬉しいです。
 先ほど先生方がおっしゃってくださっていたように、こういう所がよかったから選んだと言われれば、素直に嬉しいですが、それに甘んじないようにやっていきたいです。先ほどはコンクールに失敗したと言いましたが、だからといってコンクールが嫌いだとか、もう受けたくないと言うわけではないのですが、自分の中ではコンクールとコンサートは区別しているんですね。自分はコンサートのように人前で演奏することの方が好きなのですが、でも、今回の経験を生かして今度からはコンクールでもコンサートのように演奏するように心がけながら気持ちを高めていきたいと思っています。

芳村:こうやって話すのは得意ではなくて、実は演奏する時よりも手が震えているんですが・・・先ほどの北野先生のお話を聞いて、すごく納得したのですが、例えばコンサート行って1000円のコンサートに行っても高いと感じることもあるし、「10000円出してもすごくよかった、一生心に残るわ」といった、コンサートの質は私も感じることがあります。「私たちは芸術家だ、だから私のやりたいように音楽をするんだ」という部分も少しは必要だと思うのですが、それが自己満足に終わるのではなくて、買い物をした時に、買った人が商品に満足をするかどうかってのはとても大事だと思うのです。それは、大衆に迎合するという意味ではないのです。その観点で、私がいつも思うのは、先ほど選考委員の先生方がおっしゃっていたように、技術ってのはその人の音楽を出す手段であって、本当のところはその人がどんな人なのかとか、どんな音楽がしたいのか、どんなことを伝えたいのかの魅力だと思うのです。言い訳ではないですが、私は多少間違ってもその人の音楽が素敵だったら別にかまわないと思うのですが、それは、割と日本的ではなくって、日本ではアカンとされている様に思うのです。これは私が今ドイツにいるから言うわけではなくて、私がコンサートを聴きにいって、「いいなぁ」と思う演奏ってのは、その人が100%出ている演奏なんですね。多少間違えていても、素敵なことには変わりがなくて、大事な所は完璧に弾かないといけないということではないと思うのです。私は今までギターをやってきて、一時期コンクールをよく受けていたのですが、コンクールを受ける上では、完璧に弾かなくては、とその方向で頑張ってみたのですが、やはりそれはコンクール向けの姿勢であって、本当のところはそうではないな、自分はその方向にはいかない、と感じたのです。それで、最近になって自分を100%出す、私のままを100%舞台の上で出すという目標が出来たのです。前回のオーディションの舞台の上の非常に短い時間で、先ほど先生方がおっしゃったように、「この人はどんな人だろう?」「この人のコンサートはどんなだろう?」「この人が話したらどんな感じだろう?」とそこまで見ていただいていたということを、今日初めてお聞きしたのですが、すごく嬉しかったです。そして、その評価をいただいたことを裏切らないように今後も頑張っていきたいと思います。
 先ほど萬谷さんがオーディションを受けたきっかけをお話になりましたけれども、私は8年ぐらい前からドイツに住んでいるのですが、日本の新聞をインターネットで見ていて見つけたのです。最初この記事を見た時に、「これは私のためにある企画だ」と思ったのです。それで、応募したのです。オーディションの会場に来て、ギターって他の楽器の方に比べるとボリュームも小さいし、地味な楽器なので、演奏順によっては見劣りするだろうなぁと思っていました。自分の演奏が終わって、それは時間が終わった合図だったのですが、選考委員のどなたかが、手で×を作ったので、ダメだったのかとその日はがっかりして帰りました。それでも、結局評価を頂いて、今こうやってAISの助けを借りて、非常に恵まれた環境で演奏が出来るようになったので、非常にありがたいですし、とても光栄です。


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