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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


31「愛音」寺田みさこreview/DB issue

世代をこえて記憶に残る劇場へ −Art Theater dB@フェスティバルゲートの記憶-

                                Text:メガネ

■ 大人200人以上+赤ちゃん5人

 レポートにもあったように、DANCE BOX(以下DB)@フェスゲのお別れ会には、劇場に思い入れを持つ人々が、長〜く濃〜い時間をともにした。その数、名前が分かっているだけで200名以上。それも関西圏を越えて地方からも。「ちゃんと広報もしていないのに、こんなにたくさん集まっていただいて感謝しています」と、大谷氏。昼間の時間帯には、ベビーカーが5台結集という、DB始まって以来の光景も見られた。この「赤ちゃんまつり」は、ここ1年くらい子どもを産んだダンサーたちが足を運んだことによる。いずれも始まった当初からDBで踊っていたダンサーばかりで、大谷氏は、「11年目というDBの時間の流れを感じもしました」と言う。
 こんな風にDBが立場と世代を越えた(?)人々を惹きつける理由は何だろうか。お別れ会に集まった人や、最後のダンスサーカスを50人のパフォーマーで飾った『ノリコボレル』参加者へ行ったアンケート、そしてDANCE BOXディレクター大谷澳氏のお話に、この劇場が受けとめる人々の想いを切り取ってみたい。


 
 
 
■ 人と人の距離が近い、ダンスコミュニティーの集会場

 「ここでダンスコミュニティーが育ったことがとても意義深いことであったと感じます。」
「観客、スタッフ、出演者が一体となって一つの空気をつくっている。R40という企画で40代のダンサーが即興で踊り合う。人と人との交流の場でした。」
 これらの回答が示すように、DANCE BOXはまず何より人が集まる場である。そしてここでは、その狭さが幸いしてか、人と人の距離が近い。アーティストの一人は印象深かった思い出として、「100連発のとき、1mの近さで伊藤キムのダンスを見れたこと」を挙げる。「あの時の僕は少年のまなざしでした」。
 さらに人々の距離は、終演後のカフェでぐーんと縮まる。いい公演の後は、何となく誰かと話をしてその体験を分かち合いたくなるもの。この劇場では、そんな人々がちょっと残って、ビールを片手に、他の観客やアーティストに話しかける光景がいつも見られる。復活にあたっては、「舞台を見終えた後にゆっくりと感想を言いあえるカフェと必ずセットで」という要望があるが、おそらくそこには「お酒にとことんつきあってくれる」スタッフの○ち代さんも、もれなくついてくることだろう。

■ 空間を“場”に変えるスタッフ力

 おそらくDBが最も誇るべきは、「「仕事」という枠を超えるまっすぐなエネルギーをそそぐ情熱的なスタッフ」なのではないだろうか。お別れ会で大谷氏がいちばん嬉しかったのは、「最後に一言」で、多くの人がスタッフを褒めてくれたことだという。確かに、DBのスタッフ力を認める意見は、アンケートの答えでも多数を占めた。特にアーティストたちは、「とにかくいつも自由にやらせていただき感謝」。この、アーティストがやりたいことを最優先という姿勢は、アーティストのキャリアや年齢によってブレたりはしない。「こんなに大勢いたらスタッフの方もさぞかし邪魔に思ってらっしゃるだろうと小さくなっていましたが、そんなそぶりは微塵もみえなくて楽しく過ごさせてもらいました」とは、『ノリコボレル』参加者のコメントだ。このようなDBの推進力やサポートとなってきた人々の力については、次の機会に迫ってみたい。

■ 外と、まちとの関係の中に存在する劇場
 
 DBのユニークな点は、壁の内部で作品世界をきちんと成立させようと励む「劇場」でありながら、外の世界とのつながりを忘れさせないところにもある。それは、いつ「ジェットコースターの地鳴り」が襲ってくるかもわからないという物理的な条件だけではなく、数々の屋外企画や、新世界の路上で行われる隔月刊の「db freak」の表紙の撮影といった、積極的に外へ、地域へと出る試みにも負っている。例えば、伊藤キムの『階段主義』は、フェスゲの大階段から新世界へとつながってゆく広場で行われたし、Art Theater dBでの思い出として複数挙げられた「コンテンポラリーダンスin新世界」では、パフォーマーと観客が新世界をツアーして廻った。その感想は、「町の空気が変わった」ことを実感したというものから、「まちの風景と通りがかりの人たちの視線とともに皮膚に記憶が刻まれていて印象深かった」というものまで。このように、通常は劇場という日常から切り離された空間で制作を行うアーティストを、まちへ、地域へと送り出す姿勢は、実はDANCE BOXがここに来てからのものである。Art Theater dBは、「フェスティバルゲートにあること」、「新世界にあること」と積極的に向き合ってきた結果、「ダンス専門の劇場」であることを越えて、「地域に密着した劇場」となったのだ。


 
 
 
■ 再開に寄せられる期待

 そんな地域の劇場がフェスゲを去ることについては、「悲しい」、「困ります」、「くやしい」といった気持ちはもちろん聞かれた。だが全体として「なんとかなる」、「なんとかやって行きましょう」、といった楽観が雰囲気が場を占めていたという。DANCE BOXの今後に期待する事は? という問いに対して、最も多かった答えはもちろん、「一日も早い再開」である。
「最後のクロージングパーティーに多くの踊り手やお客さんが集まっていたのを見るとそういう場が求められているんだなと思い、切望されてるかぎりは完全になくなることはないだろうと楽観しています」。
「経営難とかでつぶれるわけじゃなくて、行政の方針により退去せざるを得ないという感じなんですよね? だとすると、さびしいという感じはしません。いや、もちろん今まであったものが無くなるということはさびしいのですが、DBの必要性がなくなったわけではないという意味でさびしくはないです。むしろ一つの波を乗り越えて、新しい土地で新たなDBの展開が見られることを楽しみにしています」。
「どんな人にも眠っている“おどりたい”という気持ちをもっともっと揺り動かしてほしい。そしてそのおどりたいとおどりを見たい、感じたいという気持ち渦巻く劇場が、大阪からなくならないように、タフな交渉を気長にぜひ!」

■ 今後のDB、年内にも始動?

 以上のようなDBフリーク達の声を、ディレクターの大谷氏は次のように受けとめている。「皆さんの声を聞かせていただいて、僕がいつも思っていることが、アーティストや関係者に浸透していると感じました。アーティストはここで育ったと思ってくれているようだし、ここがただの箱ではなくて、インキュベーター的な役割を果たしているとの評価、また、今後大阪市が創造都市という構想を進めてゆく上で、是非中心的な役割を担って欲しいという意見もいただきました。」
 では、誰もが気にかける今後のDBの行方は? 大阪市との関係は? 
 まず3つのNPOは、大阪市と交渉をすすめてゆくにあたり、改めて、アートNPOが活動してゆくことを大阪市の施策として押さえて欲しいという要望を出した。今回フェスティバルゲートで終了したアーツパーク事業は、当初施策として進められ、最初の2年は評価委員会も設置して高い評価を得ていたにもかかわらず、このような結果となった経緯を踏まえてのことである。 
 具体的な移転先については、創造都市戦略をすすめる課、「都市創造プロモーション本部」が先の市長コメントを受け、暫定的ではあるが活動場所となる施設を斡旋する方向で話が進んでいるという。お別れ会の時点では、可能性のある物件が一つあることが伝えられた。ただ、その場所は、当初提出していた要望(3NPOがご近所関係を保てる距離にあること。これまで築いて来た地域との関係を継続できるような地区に位置すること。劇場施設を備えられること。)のすべてを満たしているわけではなく、仮にその場所に移るとしても、クリアしなければならない問題がまだまだある。が、今抱えている事業を展開してゆくためにも、11月にはオープンするつもりで前向きに検討している最中とのことだ。
 人々の記憶に残る劇場へと、DBはまた新たなスタートに向けて動き出した。

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