フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏略歴
Friedensreich・Hundertwasser


1928年、オーストリア、ウィーンに生まれる。1948年、ウィーンの美術アカデミーに入学するが、3ヵ月で退学。翌年、ウィーンを離れ、放浪を開始。
1958年「建物の合理主義に反対するカビ宣言」を発表、近代建築に対する根本的な不信の念を表明し生態学的な建築を主張する。
1961年、個展のため初来日。東京、奈良、北海道で絵画を制作する。また以前から広重や北斎に関心があり、日本の版画作家とともに木版画の制作にも取り組む。
地球環境問題へも積極的な発言を行い、切手、ポスターなどの宣伝物を制作する。また、自然と共生する住宅モデルを数多く発表。“エコロジカル・アート”の第一人者として広く認知される。
2000年2月、ニュージーランドから欧州に向かう客船上で心臓麻痺により死去。

ほかにもあるフンデルトヴァッサー氏デザインの施設

キッズプラザ大阪
1995年、大阪市扇町の児童遊戯施設キッズプラザ大阪のフロアを手がける。
舞洲スラッジセンター
舞洲工場そばの下水汚泥処理施設、ただいま建設中。


主な建築物

フンデルトヴァッサーハウス
(市営住宅)/ウィーン
Hundertwasser Haus

クンストハウス・ウィーン(美術館)/ウィーン
KunstHaus Wien

シュピッテラウ地域熱供給会社(ごみ焼却工場)/ウィーン
District Heating Company Spittelau

グラーツ大学付属病院/グラーツ
Clinical Oncology atMedical University Hospital, Graaz

ブルーマウ温泉保養村/シュタイヤーマルク
Blumau Hot Spring Village

ウェルツェン駅舎/ウェルツェン
Station at Uelzen

イン・デン・ヴィーゼン(集合住宅)/バートゾーデン
Housing complex "In the Meadows"(Bad Soden)