「…非常に混乱しています。こんなに時代も、状況も、性別も違う人が、私が今表現していることと、同じようなことを考えていたのを、表現していたのを見て…。今はまだ言葉にできませんが、これから自分のなかでこのことをどのように捉えていくか、時間をかけて考えていきたいと思います。」
予測不能な状態にいる、未知の自分を見る機会を探してそこに身を置くこと。そしてその時間を公開の場で共有すること。それは、アーティストとして、自己に固有の表現、ある完成したかたちを世に出す行為とは、あきらかに逆の、創作者以前の姿をさらけだすことともいえるかもしれない。そして観衆として、アーティストの創造への思考をうながすその場に居合わすことの幸せ。
ここにいるメンバー達は、展覧会や公演、執筆等、発表の機会を持つことは貴重であるが、それは一方で自己を放出していく行為で、ややもすれば消費されていくこともある、これとは逆に、はっきりとした目的がなく、何か分からないものについて思考し、創っていく時間をもつことによって、自己の内部に蓄積するものをもつことが、次への糧となると考えているのだという。
アポリアのこのような取り組み方は、例えば、アーティストへの展覧会スペースの提供、マネージメントを指向する人々のためのプログラムといった、明確な目的=需要に対する供給をもつ場としてのいわゆる「プラットフォーム」的な存在とは異なる、まさに「倉庫」すなわち、「寝かせ置く場」の特質を、偶然にもつかんだものといえるかもしれない。むろん、複雑な要素を含むアートの要求に対して、公的文化機関が十分にその機能を活かして応えきれない現在の状況において、実際に潜在するニーズに柔軟に対応するプラットフォームとしての役割は、多くの人の望むところであるし、アポリア自身もそれに応えられるように態勢を整えていきたいという。実際、アトリエを必要とするアーティストに清掃等の労働の対価として赤レンガ倉庫内のスペースを提供するという「赤レンガ倉庫・クリーン・アーティスツ・プロジェクト」は、その一つとみることができるだろう。
とはいえ、アポリアの活動の動力となっているのは、まずは表現者自身、アートに関わるもの自身が、なにかしらの力を付けたいという内的欲求といえよう。たとえやっていることが何か、見えにくいものであっても、それが現代美術は難しいといわれる所以であっても、見えにくさを分かり易く見せることよりも、分からないことに対して全力で取り組むことの方が、最も誠実な態度であると彼らは信じているのだ。
|