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+ 山下里加
+ 小山田徹(こやまだとおる)

1961年生まれ。京都府在住。1984年、京都市立芸術大学在学中にパフォーマンス集団、ダムタイプを立ち上げる。
主に企画構成、舞台美術を担当。国内外での公演多数。
1992年、コミュニティセンター“Art-Scape”を運営。
1994〜96年、“Weekend Cafe”を運営。
1998年、コミュニティカフェ“Bazaar Cafe”の立ち上げに参加。
2000年、ダムタイプでの活動を休止。個人活動を開始。
2001年、共有アトリエ T-Room の立ち上げに参加。山口情報芸術センターのプレイベントとして、市民との協働プロジェクトを開始(現在も継続中)。
2002年、『Beautiful Life』展(水戸芸術館)出品。
2003年、『ガーデン/山荘の時間』展(アサヒビール大山崎山荘美術館)にて、連続ワークショップを開催。

4月7日(水)0:46PM from小山田 猫先生は白いブラウス

山下里加さま。
小山田徹です。

猫道最終回ですか・・・早いですね。
メールでのやりとりに慣れていない自分を再確認しました。

さて、先生の事。
今回は私の甘美な、秘密の記憶を初公開!

私が中学一年生のクリクリ坊主だった時の頃の話しです。鹿児島の吉野町吉野中学に通っていました。当時まだ、木造平家の校舎が残っていて校内に林があったりする一面畑の中にある中学でした。学校には美術部がなく私はしかたなく軟式テニス部に入っていました。学校の敷地の一番はしっこの林の中にぼろぼろの木造校舎があり、そこに、小さな図書室と美術室がひっそりとありました。もっとも生徒密度の低いエリアで、いつも薄暗く、さみしい風情のただよう場所でした。ある日、私は朝のそうじ当番で林の落ち葉集めをしている時に、美術の先生Kさん(女性、当時27歳ぐらい)と運命の出合いをしてしまったのです。K先生はテンペラを描いておられる画家で、長い髪の毛の色白の美しい方で、いつも授業以外の時間は美術室の奥にある教務室でテンペラを描いていました。そこは、林の木漏れ日が美しく差し込み、木造校舎特有の床オイルのにおいとテンペラのオイルのにおいと、先生の微かな香水の香り、花瓶の花の香り、コーヒーの香り、隣の図書室のカビ臭いにおいなどが印象的な場所でした。私は、その香りと先生の美しさに一発でやられてしまったのです。次の日から、軟式テニスを上手にさぼりながら、放課後美術室に出入りして、先生と話したり、色々絵を描いてみたり、彫刻を作ったりする様になり、何となく先生と二人だけの秘密の美術部を始めたのです。三年間ずっとつづきました。先生はあれこれと教えるわけではなく、教務室にある本や資料を自由にみせてくれ、私が興味を持ったものをやらせてくれる、といった形で、色んな技法を体験させてもらいました。秘密の共有を大人としている感じが、私を背伸びさせてくれたのか、隣の図書室にも入り浸り、様々な難しい本を気取って読んだり、クレーの造形理論をノートに全部写本したりして、ひたっていました。先生と同じ大人になりたくて必死だったのでしょうね。その頃のノートを見ると赤面、冷や汗モノです。幼きロマンティスト。こわいもの知らず。今考えると、先生はよく付き合って下さったもんだと感心、感謝します。でも、おかげで、今も美術の世界に身を置いているし、本もコーヒーも好きだし、木造のぼろぼろも好きで、あの頃の体験は深く私の人生に影響を与えています。先生は私の事を覚えているのかな?中学以来会っていないので、多分忘れていると思いますが・・・。私は、今でも時々、コーヒーを飲む時、白いブラウスからスッと出た先生の白い二の腕を思い出して妙にドキドキする事があります。完全にファンタジーですね。

さて、私が先生に見い出したモノ、それは生活の選択、ライフスタイルでした。先生がどんな本を読み、どんな洋服を着、どんな料理を食べ、どんな旅行をし、どんな出会いをし、どんな親、兄弟、友人との関係をおくっているのか。それを通じてどんな価値観を持っているのか。別に教わるわけではなく、先生と話したり、作業をしたりする中でにじみ出るモノでした。

私も様々な場所で、先生的立場でやる事も多いのですが、出来るだけ自分の生活のサイクルの中で派生した事象を持ち込むようにしています。散歩や喫茶、空間造りなどは、私の生活の一部です。そこで見い出した喜びや痛さは正直な私の体験的価値観です。作業や行為を通じて状況会話としてその価値観が伝わるよう気を付けています。

状況会話が生まれやすい環境はなにか、を常に考えています。現場と呼ばれるものは状況が次々に変化して現われ、主体的にその状況に対応せざるおえない。建築現場、喫茶の営業、農作業などの職業の現場には状況会話が不可欠です。又、散歩やたき火、屋台などの場には状況会話が派生しやすい雰囲気があります。残念ながら教育の場には、状況会話が生まれる状況が乏しいと思います。先生は先生であり、生徒は生徒で、決して、隣で機嫌よくたき火をしているオッさんや喫茶のマスターではないのです。教え、教わる関係をベースに何かを伝えるのは難しいと思っています。

世の中から曖昧な関係や場、時間がどんどんなくなっているように感じます。たき火も出来ない、屋台も出せない、散歩もしない、個人と公共の区別、サービスをする側される側、売る側、買う側の権利の強化、状況の予測とマニュアルの浸透、カタログ的情報の氾濫、あらゆる管理の強化、責任回避のシステム、そして教育の迷走。曖昧さのない生活では、自分で考えるという事が衰えていく気がしてなりません。

私は、ゆとりの時間もワークショップも本来嫌いです。生活の中で様々なモノに出会う機会をなくした大人達の生活形態が様々な問題を派生させていると思うのです。ですから、現在の私の四苦八苦は、自分が、やわらかい大人になって柔らかい生活をおくり柔らかい社会を産み出す一員になれるかという事にたいしての苦闘です。アートはそこの辺りの事に深くかかわっている何かであると思いながらかかわっている今日この頃です。いつまでもニコニコしたオッさんでいれたらいいのですけど...。

とにかく、中学のK先生の白いブラウスの二の腕は現在の社会問題まで繋がっているのでした。

写真は義父の共同農園の始めての苗植えです。皆で楽しみました。今度は休憩小屋の建設です。

小山田徹

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