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6月1日(土)
 朝7時起き。C/Pの文楽チョキチョキ原稿書き。出来ない。なんでや。阿部先生は、いいなあ。自由で。深くて。自分の人生と共に文楽を吸収している。呼吸している。なんで、それ、書けないんだ。
 11時。いかん。KYOTO ART MAP に全然、行ってない。京都芸術センターで藤本由紀夫さんのトークショーもある。どうしよ。うーん、行っちゃえ。C/P編集、甲斐さんごめんなさい。

ART MAPは、結局、三条から四条付近だけしか行けなかった…。藤本さんのトークは、お茶室で畳の上で。満員。テーマは「展覧会の作り方」。相方は、京都市美術館の学芸課長、篠さん。内容は……展覧会は、作品だけで作られるものでなく、美術館の入口に入った時から始まっている。それをアーティストはどれだけ意識しているだろうか。学芸員は? 京都芸術センターは、あれもこれも設備はなんでもある。だから、なんでもやれるはずと言うけれど、完成されているからこそ僕(藤本さん)には何もやることはない。

神戸のC.A.P HOUSEは、最初は何にもない。「こんなのがあったらいいな」「こういうコトをしたいから」から始まって、道具や機材を貧しい予算の中からそろえていく。こちらの方が僕がやりたい、という意欲をそそる。僕はね……てな感じ。何にもないこと。動機づけのこと。いろいろ考えつつ、ま、なにわともあれ、「動機と態度」だな、と再確認。

 その後、芸術センターの喫茶室で日野あすかさんにC/Pの取材。日野さんは、障害を持っている人と作品のある場とのつながりを作っている。障害を持つ人が作る作品をどうアピールしていくかに熱心な人は多いが、作品のある会場や作品の鑑賞法を考える視点ってあんまりなかったように思う。これも「展覧会は、どこから始まるのか」につながることなんだろうな。
 日野さんは、会った時から、ちょっと変わっているなあ、と思っていた。なんというか、熱くない。クールというのでもなく、淡々としている。熱血派が多いアウトサイダー・アート界(?)の中では、不思議な存在だ。

 夜は、東京から来た小椋さん、ギャラリー16で展覧会をしている鈴木さん達と飲み会。小椋さんはうちにお泊まり。まるちゃん大歓迎。

6月2日(日)
 京都橘女子大学で「木陰にて、共有(シェア)。」という展覧会&公開セミナーのトークショーへ。中西美穂さんがコーディネーター、池田朗子さん、古厩久子さんの2人のアーティスト、そしてデザイナーの納谷衣美さん、美術ライターの私、の5人が、それぞれ個人としての役割を果たしながら、共有していくもの、共に作りあげていく場は何か、といったコンセプト(?)で始まった1日だけの展覧会。へんぴな(失礼)な場所にあるのに、展覧会に100人ほど、トークショーに80人ほど来てくれた。ありがたい。

 池田さんは大学内の全手洗い場に、石けん人形を置き、鏡に王冠シールを貼る作品。2週間ぐらい前から学生達の協力で設置していたそう。当日は、会場になった教室のひとつに、使われた石けん人形が大集合。古厩さんは、テラスのような、内部と外部の狭間のような場所の階段下、普段は掃除道具などを無造作に入れている空間にビデオ作品を投影。回文をチョークで書いて、庭の池とつなぐ。他、別教室でお茶を差し出すビデオを上映。

 大学という多くの人が行き来する機能を持った場、公共でありながら誰もが意識していない空間をはらんだ場、を意識した作品であり、展覧会だった。私もライターとして展覧会を作る側でもあるが、当日の展示が修了した後に入ったので、観客のひとりとして体験できてとても面白かった。あ、納谷さんのチラシ、カタログが秀逸! ダンサーでもある納谷さんは、とても身体感覚と展覧会の時間感覚にぴたりとフィットする印刷物を作る。すごい。

 大学、それも美術系ではない大学で、アートの展覧会が開かれる。その立ち上げから完成された展示空間に至るまで、その過程までも含めて「展覧会」である。それがワザとらしくなく現場に現れているのがよかった。

 トークショーの後、観客の2人と話し込む。2人は期待したものとは違った、と言う。[共有。共生。共鳴。]と[同化。同志。同質。]は違う。そんな話をした。伝わったのかなあ。
 観客が帰った後、アート空間として機能していた場に、机が入り、椅子が並べられ、様々な機材が配置されていく。再び“教室”になっていく。ただ石けんの匂いが残った。作品も展覧会も、目に見える物だけで出来ているわけじゃない。

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