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時には厳しい顔も
二代目「中村亀鶴」
河内「最近、立役が多い様ですが・・」
亀鶴「もともと立役の方が僕はやりたかったですね。女形というのは、これは僕の感覚ですが、男から見て“かっこいいなぁー”という感じのものとは違っていたし、そして、やはり女形というのはとても難しいですね(笑)。特に僕なんかは、肩幅が太いし、それを何とかするのが精一杯で、それだけで他に頭が回んなくなっちゃうことが多くて・・」
河内「身長は?」
亀鶴「170センチ位ですね。鴈治郎の叔父さんと並ぶとやはり大きいので、襲名の時(H13年11月歌舞伎座「戻駕色相肩」禿たより)は苦労しました」
河内「女形で襲名されたのですね」
亀鶴「そうです。僕というのは、富十郎の血と鴈治郎の家の血をひいてる訳ですから、富十郎の叔父、鴈治郎の叔父さんが襲名のご披露をして下さるのがよいのではないかということで、役のバランスを考え、ご一緒して頂ける演目としてこれが選ばれたのです」

河内「屋号も変わられた?」
亀鶴「はい。天王寺屋から八幡屋(やわたや)です」
河内「それはどこからですか?余り今まで聞いたことがないのですが・・・」
亀鶴「昔、三代目までの富十郎さんが八幡屋だったそうです。うちのお爺ちゃん、四代目富十郎から、天王寺屋という屋号になったそうです」
河内「そのお爺ちゃん、四代目富十郎さんは記憶にありますか?」
亀鶴「いやあ、ないです。うちの父が小学生のころに亡くなっているそうですから・・・天国のお爺ちゃんとしか覚えていません」
河内「そうですか。(会場を見渡して)あの、お客様の中で、四代目富十郎さんをご存知の方、少し手を挙げて頂けませんか?・・・けっこう、いらっしゃいますね」
亀鶴「そうですねえ。いらっしゃるものですね」
河内「まあ、これは決して若くない方・・・とは思いますけどね(笑)。昭和30年代前半までのことですから・・」
亀鶴「(笑)そうですか」
河内「なかなか、お酒が強く、勝気な方だったらしいですね」
亀鶴「僕も話には聞いているんですけどね。とにかく四代目富十郎という人は陰気な人だったらしいですね(笑)。お酒をずっーと一人でモクモク、モクモクと飲んでたらしいです(笑)」
河内「そのご兄弟が尾上菊次郎さん。割合、最近までいらっしゃいましたけど・・」
亀鶴「菊次郎の叔父さんも、僕は知らないのですよ」
河内「あの方はずっと関西で、女形さんで、柄のいいねえ」

河内「お婆さま、中村芳子さん、初代鴈治郎さんの娘さんの想い出は?」
亀鶴「あります。本当に華やかな人でしたね。ハートのバック持ったり(笑)、ものすごくお嬢様だったらしいですね」
河内「初代鴈治郎の話はなさいましたか?」
亀鶴「いえ、全然しませんでした。残念ながら父もおばあちゃんも歌舞伎の話は余りしてくれませんでしたね。僕が歌舞伎をやってなかったこともあるんでしょうけどね・・・」
河内「もったいないですね」
亀鶴「ホントに僕は、いて欲しい時に、いて欲しい人がいてくれないんで・・・駄目なんですねえ」

河内「そうすると、亀鶴さんが役者になろうと思われたのはどのあたり、どういう役者さんが活躍しておられたのですか?」
亀鶴「そうですね。やっぱり今の富十郎の叔父くらいの年齢の方ですね。松緑の叔父さんとかは、殆ど覚えていません。前の鴈治郎の叔父さんは、楽屋の中を子供時代からチョロチョロしてましたんで、よく遊んで頂いたりしました」
河内「あの方も芸域の広い方でしたね」
亀鶴「そうですね。大体、上方の役者は始めに女形も立役も両方やるもんですからね。その頃は、今みたいに江戸の方と上方の方と一緒に演るというよりは、上方は上方で一座が開いているみたいな感じでしたしね」
河内「二代目鴈治郎さんはどんな印象でしたか?」
亀鶴「とにかく優しい叔父さんでしたね。なんて言うんでしょ。人柄が溢れているみたいなね・・・。うちの父は、今の僕みたいな状態で二代目鴈治郎の叔父さんのところに入ったのです。うちの叔父は今も“普段を気をつけなさい”ってよく言います。うちの父が言ってたのは“悪い役、仇役なら誰でも出来る。でも、優しい人柄の役っていうのは本当に優しい人でないと出来ないんだよ”って、そう言ってましたね」

中村亀鶴関連HP
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/5735/nakamura.kikaku_profile.html
源甲斐智栄子
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