芸能人が好き?
第7回野崎観音「ねはん会コンサート」に行きました。
ソプラノの日下部裕子さんが、インドの子供たちに学校を贈る運動をしているインドマイトリの会に寄付をされるため、チャリティーとして野崎観音本堂で開催されたコンサートです。開催の一週間、親しくして頂いている地域誌の女性の編集長から「そら一生懸命してはんねん。絶対ええから。」と誘われました。
しかしながら当日は急に入った仕事で1時間強の大幅遅刻。
急な傾斜の野崎観音の階段を登りきったものの、本堂の中に入る勇気もなく、木造建築から抜け出てくる美しい歌声は、境内で聴かせて頂くことにしました。
しんどい思いをしたご褒美というか、野崎観音境内から望む夜景はとても綺麗です。
その日は2月としては暖かな日でしたが、それでも空気は冷たく、でもその風は春めいて少し軽やかで、その程よいキュンとした寒さと、語るような光を放つほぼ満ちた月、人の世を遠くに見るような夜景・・・耳慣れた曲の、素敵な歌声を、誰もいない場所で1時間ほど聴いて、予測もしないスペシャルな夜でした。
クラシックには随分ウトい私ですが、その歌声は確かに芸能者。本当は芸術家とお呼びするべきなのでしょうが、鍛錬された技を持つ人には、能力・才能・技能の「能」という字を使いたい。私は、人を感動させることの出来る、本当の芸能人が大好きです。
巡り合わせの自然と必然
「野崎観音」は、僅か1カ月の間に4回行きましたが、それまでは、たったの1度も行ったことのない場所です。
3月9日、大阪市の事業「お芝居探検隊」というので、野崎観音→法妙寺→徳庵堤→大長寺→鵺塚と廻ることになり、そのコース立てやら下見やらで1月の半ば過ぎから足を運んでいたのですが、偶々今回誘われたコンサートもその野崎観音でした。
いつも不思議に思うのですが、ご縁があると何故か一挙なんです。今まで全然知らなかったモノが一辺に身近に来る。そう感じるのは私だけでしょうか?恋愛ではよくありそうな話ですよねぇ。それまで全然知らなかった人が、あるきっかけから「こんな所で」みたいに偶然に何度も何度も会う。でも、離れてしまうと、会いたくて会いたくてたまらなくても、いつも会えてた場所でさえ会えなくなって・・・みたいな。
昨年の夏、私は「山椒の会」という曽我廼家喜劇を復活させようという公演に制作として携わらせて頂きました。
曽我廼五郎、曽我廼十郎という人はもともと歌舞伎役者だった人で、「山椒の会」や、曽我廼家喜劇についてはまた改めて触れさせて頂きたいと思いますが、この会の主宰者で松竹新喜劇の演出家の米田さんもこのコンサートにいらして下さいました。
今年の年明け、米田さんをはじめとする演出、美術、制作と「山椒の会」のスタッフが居酒屋に集まり、そこで私以外の皆さんが親しい落語家さんに偶然にお会いしました。奥様は「山椒の会」に出演された美人女優さんです。
実はその数日前、夜中に何となくつけたテレビの落語にそのまま聴き入ったばかりで、それは「桂川連理柵」という文楽でも歌舞伎でも馴染みの作品がベースとなった有名なモノでした。芝居好きな私はその話の世界にグングンと引き込まれていってしまったのですが、舞台を知っていればこそ尚さら面白い、そう思います。
歌舞伎には落語からきたものも沢山あって、そうした落語はテープを聴いてみたりはしましたが、「芝居噺の落語ってどれ位あるのか?うん、落語をもっと知りたいぞ」、みたいなことを漠然と思っていた時だったので、それまでご挨拶をする位しかご縁のなかった落語家という職業の方とお話をさせて頂き、知らないことばかりだから色々伺って、本当に楽しかったです。
それからまた数日、今度は「ハートフル大阪」という桂小米朝さんが司会をされている番組で「お芝居探検隊」のことを取り上げて頂き、2度ほどお目にかかれたのですが、そんなこともあって私の中で落語がどんどん近くなる、と、勝手に盛り上がってしまいました。
太田南畝さんに賛成!
2月6日は南座で新派の「恋女房」を観て、9日は松竹座で田村正和さんの「新・乾いて候」、11日は国立文楽劇場で前進座の「天平の甍」、15日は野崎観音での「ねはん会コンサート」、その前後に映画の「壬生義士伝」「戦場のピアニスト」と相変わらずウロチョロしていましたが、それぞれの作品に考えさせられ、それぞれの作品ならではの面白さを感じました。
でも、舞台は観るのが特に疲れます。役者さんが生身で近くにいる分、ずっしりとくるというか、好きだから、自分の五感のアチコチにアレコレと響いて疲れるのかも知れません。
野崎観音から歩いて10分ほどのところにある法妙寺には、近松徳三、楳茂都扇性らのお墓と、新しく建立された近松門左衛門のお墓があり、門左衛門のお墓の横にはある漢文の碑が建っています。
谷町8丁目にあった法妙寺が、大東市のこの地に移転した時、門左衛門の墓は置いていかないといけなかったらしいのですが、そのお墓の横にあった梅園主人が建てた漢文の碑は運ばれ、新しい門左衛門のお墓の横に置かれたのだそうです。
その碑、江戸の蜀山人・太田南畝という人が書かれた漢文には、
「近松門左衛門は百日曽我の大当たりで世に忠孝を広め偉業を成し遂げたが、心中物をヒットさせ、相対死というものを流行らせたことで世間に非難をうけた。しかし、それは物語を、受け手がどう取るかによるのであって、彼が心中物の作品を書くことはそれはそれで意義があることなのだ」
みたいなことが書かれているのだそうで(自分で読めずにすみません)、私はそれに大いに納得しました。
世に悲しい事件があったとしても、それを戒めにする人もいれば、模倣してもっとえげつないことをする人もいます。
芝居は私たちに疑似体験をさせてくれます。芸能者の技・役柄の性根の捕らえ方、物語のテーマや登場人物の心の動き、道具の意味や着物の柄や、全てのものを深く掘り下げて捕らえようとするかしないか、その話を自分の心にどう響かせるかは、同じ芝居を同じ条件で観たとしても、人ぞれぞれの感性によって大きく違うものなのでしょう。
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