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映画館という“ハコ”

かつてあった映画館=“コヤ”の思い出を語り始めるときりがなくなるだろう。

“コヤ”を商業的スペースとして考えた場合、シネマコンプレックスの出現による
従来の映画館の不振を言っても始まらない。

小さいながらも同じく“コヤ”での仕事を経験してみての視点にならざるをえないのだが
かつていた東京もそうだったし、全国各地の映画館事情は
この5年間を振りかえるだけでも激変している。

関西でも、今年春にパラダイスシネマ、年末に扇町ミュージアムスクエアが
年明けに京都朝日シネマ、と馴染みのあったミニシアターがなくなる。

よく通っていた映画館がどんどん姿を消していく。
或いは、様変わりする。

統計をとったわけではないので大体の印象なのだが、
どうも自分が好むようなミニシアター/単館系といわれる映画を
映画館で観る人数が確実に減ったと思う。
逆にそういった映画を扱う配給会社はこの10年間でかなり増えている。
映画は溢れているのに、映画館に足を運ぶ人数が減った。

ビデオやDVD、そしてCSや衛星など放送の多チャンネル、インターネット…。
巷に氾濫している映像や映画というソフトを観る“ハコ”は
今や映画館だけではなく、テレビやパソコンなどのモニターという“ハコ”
プロジェクター投影などによるホームシアターなどへとどんどん多様化している。

今の20代以下の世代は、小さい頃から当たり前のようにビデオがあり
生まれたときから映像のシャワーを浴びている。
よっぽどのこだわりや、映画通でなければ
ビデオで映画を観ることに何ら抵抗はないようである。

当初はビデオやテレビで映画をたくさんみていて、ある時ふと映画館へ行き
その魅力に気づき、足を運ぶようになったりする人がいるだろう。
逆転だ、
と思う自分の考えはもうすでに古くさいのだろうか。

否、もうすでに“映画館”というものはレトロの範疇になっているのかもしれない。

ここ数年まで、仕事で必要最低限に迫られるまでビデオを持たなかったこともあって
モニター(テレビやパソコン)で映画を観るという習慣がない。
今どき、と言われそうだが、実際今まで、仕事以外で観る映画で
その映画が自分にとって初めてならば、フィルム作品はフィルム=映画館で観たい
という頑なな思いがある。

自分にとって映画は、“映画館”=その場の雰囲気やスクリーンや観客や
これらをひっくるめて映画を観ることだと思っている。

人がいると気が散るので、映画館は嫌いで専ら家で独りで観たい
と言いきった方に会った時は驚いた。

今自分が居る状況では、観たいものが近くでかかることはほとんどないので
なかなか映画が観れなくなってしまっている。
どうしても!というものに関しては意を決して足を運ぶしかない。
もちろん、みたいものをガンガン観に行くには物理的に限界があって
もうそそろそろ、そうはいってられないねえ、と思っているこのごろ…

[ 10/10 ]