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animation soupができるまで
animation soupの始まりっていつなんだろう?と考えたら、
随分前までさかのぼってしまいました。
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学生の頃に同級生が集まって、初めて上映会を企画。
今や、目印としても扱われるカフェ・アンデパンダンや
アートコンプレックス1928のビルにて。
当時、店鋪は1店も入っておらず、毎日新聞京都支社として機能しており、
場所説明にあたっては
「三条のアーケード突き当たり、カニ道楽の近く」と答えたのでした。
私がいた学校は、特にアニメーションの授業もなく、
アニメーションを作っている先生もおらず、ただあったのは
今まで見た事のない海外アニメーション作品のLDやビデオテープ。
それを先生に見せてもらう程度でしたが、皆、海外の不思議な作品に魅了され、
その年は特にアナログなアニメーションを作る人口がやたら多く、
仲間内でのアニメーション実験を共有をしつつ作り続け、
そのうちアニメーション上映会をやろう!という話が持ち上がったのです。
現在のanimation soupスタッフである日野馨とヨシムラエリがその中の一員でした。
ただの上映会ではつまらないから...と会議の結果、決定したのが
「宮沢賢治」をレスペクトするということ。
そして「宮沢賢治」だったら絶対あの場所!と浮かび上がったのが元毎日新聞京都支社。どうしてもあの場所を使いたく、企画書を持ってドッキドキの殴り込み...のつもりが、あっさりOK。
場所代無料、しかも新聞の取材付き。
その時の恥ずかしい新聞記事はどこにいったのかなぁ。
白い円形ステージにプロジェクタで投影、カーテンは所々破れ光が点々と漏れ、
まるで星空の様。
なんとも「宮沢賢治」的で私達はそれだけで大満足、酔いしれたのでした。
しかし今思えば、私の作品は「宮沢賢治」とはかけ離れた作品だったなぁ...と
今さら後悔していたりして。
結局その上映会については情報誌では、はみだし記事でしか掲載されなかったものの、
イメージフォーラム誌の巻頭ページに掲載されました。
それだけでも、かなり興奮したなぁ。
動員数は土日の2日間で100人弱だった気がします。
右も左もわからず、超手作り上映会が終了。
そして学校も卒業。
それぞれがバラバラになっていしまい、私と日野馨の2人で
「アニメーションの上映会やりたいよねー」「でも2人だけじゃ...ね...」といった
会話を会う度に繰り返していたのです。 |
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