夏:コダック社はさらに安価な商品として、1932年に「撮影する時は16mmカメラで、映写する時は8mmフィルム映写機を使用する」というダブルエイト=レギュラーエイトを製造しました。なぜダブルなのかと言うと、撮影する時は16mmカメラでフィルムの片側ずつフィルムを収めているマガジンを入れ替えて2回(ダブル)撮り、コダックのラボで縦半分に割いて8mmフィルムにしたからです。そしてさらに8mmフィルム独自のカメラと映写機用の、片方にのみパーフォレーションを空けたスーパーエイト(1964年)と呼ばれるものを世に送りだし、戦後になると産業として爆発的に家庭に普及していくのでした。ちなみにその翌年の1965年には、富士フィルムからシングルエイトも発売されます。 篤:爆発的に? 夏:その1つの理由にアメリカ軍などのGIがゲイシャ・フジヤマを撮影する8mmフィルムと8mmカメラが大量に日本に入って来たからです。それの払い下げを日本人が安価で手にいれることができたんです。 それに加えて、映像と人間の欲望・欲求の結びつきです。映像メディアが劇的に変化する時は、必ずと言っていいほど人間の下半身が関わってきます。ブルーフィルムが8mmフィルムの普及に大きく貢献したことは紛れもない事実です。 篤:人間の根源の衝動ですね。 夏:そうですね。ブルーフィルムというものは、地方の温泉街、行楽地と密接に関係しています。昭和の朝鮮特需<1950年(昭和25)〜の朝鮮戦争による日本産業の景気回復>以後の高度成長期の慰安旅行などで地方に行くと、ストリップ劇場や売買春と並んでブルーフィルム(露骨な性行為の場面を写した猥褻な映画)を密かに上映しているところがあったんです。当然、配給ルートや本番女優の人身売買などで日本の裏社会も暗躍したわけで、日本の映像史を振り返る際に下半身の問題や、裏社会との関係は避けて通れません。 現在の映画産業の成り立ちも、映画は本来見世物興業でしたから、そこには必ず裏社会が絡んできますし、映画監督やそのクルーをまとめて○○組と呼ぶのも、それを示唆するのかもしれません。 篤:大衆化する映像産業と裏社会の関係性。むむむ、すごくディープな話になりましたね。 夏:8mmフィルムから次のメディア(磁気テープ)であるVHSとβ(ベータ) のシェア競争時も、品質ではβ(ベータ)が圧倒的にすぐれていたにも拘わらず、アダルトビデオをおまけにつけたVHSが覇権を握ったという事実があります。 篤:世のお父さん方の下半身に審判を請うた結果ですね。確かにVHSからDVDへの乗り換えに際しても、アダルトコンテンツが積極的に利用されました。おそらくDVDに替わるメディアの台頭にも利用されるのでしょうね。 夏:間違いないでしょう。 篤:流通するメディアの変遷や、映像器具の進歩、さらには置かれている社会環境の諸条件によって今日に至る映像文化・映像産業。その起源をものすごい駆け足でおさらいさせていただきました。ありがとうございました。
(インタビュー後半に続く)
於 松本夏樹氏自宅
夏樹さんの先導のもと、今日の映像文化の起源をさかのぼることができたのは非常によい機会でした。そしてそこで気づいたことは、映像文化がそのもの単体として社会に存在しているわけではなく、その当時の社会環境や社会情勢の「写し」として存在するということ。日本の前時代、近代化、電力拡充などの技術革新、政治、公権力、芸術と社会、著作権の問題、裏社会、大衆化と欲望の関係など、その当時の映像文化から照射されたのは様々な生活文化の歴史。 「1日前のことすらよく覚えていないのに、生まれる前のことは克明に眼前に甦ってくるんですね(笑)」とは夏樹氏の言葉。その時代にタイムスリップしたかのような心地よい感覚を伴った松本夏樹的映像史観に、私もすっかり酔いしれてしまいました。
さて後半は、夏樹氏が主宰する『カイロプテッィク商會』の活動を基に、その活動をはじめたきっかけや醍醐味、また日本最古のアニメーションフィルム発見の時のエピソードや、映像メディアを収集・保存しその情報を次世代に継承することの意義などをじっくり伺います。そして「もう1つの映像の系譜」を現代に受け継ぐ映像コミュニケーションに目を向け、その可能性を探ります。乞うご期待!