前回のlog
osakaの対談から約3年が経ちました。
長嶋:周りの反響を見ると、思った以上にあの座談会の記事は大勢に読まれてるよ。
柴崎:感想を言ってもらったり質問されたりすることもあるんだけど、言った方は時間が経過してるから、読み直すと「こんなこと言ってる」ってところも。若い時の化粧とかがんばりすぎの写真がずっと出てるみたいで、戸惑いもあるというか。
長嶋:うん、僕の芥川賞受賞の時の満面の笑みの笑顔の写真がいつまでもあちこちで使われちゃうみたいにね。古い感じにならないし、3年前の記事なのに、ついさっき話した対談みたいに読まれちゃう可能性があるから、ウェブは怖いというか、気をつけないと。定期的に最新の座談をするのはいいアイディアだと思ったよ。
柴崎:せっかくだしね、変化がみえるっていうのはいいことだよね。
福永:だんだん歳をとっていくし。
柴崎:見た目も変わって、だんだん弱っていくし(笑)。
長嶋:3年前の座談会の記事を読み直して見ると、携帯電話が出てくるせいで学園小説が書けないって僕が言ってたんだけど、この3年の間に書いたよ。
柴崎:ああ、そういう変化があるね。
長嶋:どういうふうに書けなさを乗りきったかと言うと、もう完全に携帯オタクたちのことを書いた。ガジェットとして「それはGショック携帯で」とかさ。ドコモの携帯の薄さは10何ミリでとか、そういうことにすごくこだわっているとか、未だにツーカーを使っている人たちとか、そうやって過剰な接近戦に持ち込んだ。10代の子らは結構そういうのを気にするだろう、と。僕も気にするところはあるし。そういうやり方で書くしかないなと思って、そうやったら書けた。そのやり方がベストかどうかは分からないけどね。でも単行本にする時に読み返したらすでにツーカーはなくなってて(笑)。最新機種の新しい機能とかいっても、あっと言うまに古い機能になっていく。でも3年経っても福永さんはまだ携帯もってないね。
福永:うん、変わらないこともある(笑)。
長嶋:あ、僕も2台持ってたのが1台になったな。
福永:同人誌も2冊できたし。
柴崎:私は3年前はまだ対談というものをほとんどしたことがなくて、小説家に会うこと自体が珍しかった。あれからトークショーに出たりとか、対談する機会がすごく増えたのね。対談に限らずなんだけど、私は人と喋りながら考えるっていうところがあって、対談で喋っていることっていうのは、自分の中では結論ではなくて、さぐっている途中の状態というのが、対談なのかなと思ってる。最近、人と喋るのは農業っぽいなと思ってて、しゃべるっていうのはタネを蒔いている状態で、しばらく経つと実がなってたり、乾いて枯れかけてることもあるんだけど、思わぬところでまた水をやれて伸びてきたり、そういう途中経過なのかなあと思う。家に帰ってから対談のことを思い出して、タネはこちらが蒔いてるだけじゃなくて蒔かれてることもあって、あ、あのタネはこの植物だったんだ、と後から分かるというようなこともある。
長嶋:じゃぁ、柴崎さんを追ってる人は、言葉が更新されていったりするのが分かるんだ。
柴崎:そんなたいしたことではなくて、誰でもそんなに首尾一貫してなくない?私はけっこう、前言撤回する人のことが昔から好きで。
福永:珍しいね(笑)。
柴崎:自分ですごく強く言ったことを、「あの時はどうかしてた」って言う人のことを面白いなって思う。ビートルズがインドにかなりの勢いで行ったのに「間違えた!」って感じで帰ってきたみたいな。前に言ったことと違うことを言うのは格好悪いかなとか、普通なら思うのに、そこをすっきり「間違えてました!」って言うのはなんか面白いなと思ってて。時間が経ったら経験もするし考えることも変わるし。一作書くことで分かることもあるし。前の対談の時はちょっと言葉足らずで、私の作品の世界が繋がっているって言ったけどそれはサーガというのではなくて、現実の時間と同じように小説の世界を設定してるから矛盾がない、ということなんだよね。以前は日付をきっちり設定して天気も調べて書いてたけど最近は別のやり方もあるかなと思って、試行錯誤してる。
長嶋:あぁ、僕も長嶋有の仮面のようにブルボン小林があってさ。どっちにも意味があるんだって、より頑に3年前は思ってた。当時も一人二役っていうつもりではなく、すぐにばれるくらいの仕掛けだったけど、今はもうね、かぶってる仮面がかなり上がってきてる(笑)。
福永:覆面レスラーなら、もう、負ける寸前っていう(笑)。
長嶋:そうそう(笑)。もう頭にちょこんと乗っかってるくらい。でもまだ名前をふたつに分けることに意味はあると思ってて。ネットでは特に名前で検索をかけたりするとしたら、名前によって検索結果が分かれるっていうことに意味があるんだけど、それを殊更言い張る必要はなくなってきてる。
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