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フェスティバルゲートで活動する4つのNPOの検証と未来に向けてのシンポジウム


第三回シンポジウム

 

 
佐々木 じつは私も以前、視察に来たことがあるんですよ。3年ほど前の冬で、甲斐さんたちが入居する前、改装中のときでした。僕はそのときはまだ京都の大学に籍を置いていて、当時、行政が文化芸術の支援をしている例としては、金沢の市民芸術村や京都の芸術センターがよく知られていました。使われなくなった倉庫や廃校になった校舎を市が買い取って、文化を鑑賞するためだけの施設ではなくて、創造のプロセスを応援する場として再生する。つまり、新しい芸術表現や作品を、アーティストや市民といっしょに創造していく場所が90年代、各地にできてきました。それは、立派な劇場があってイタリア製のオペラを見るような、単なる文化鑑賞や文化消費の場ではなくて、創造型の文化事業に取り組む場づくりです。そして、大阪もどうやらそういうことに目覚めたらしい、吉本のお笑いやエンタメ系が優勢だったところで、かなり実験的で創造型の事業を大阪市が始めるようだ。しかも、その場所たるやとても変わったところ、遊園地でやるらしいという噂を聞きつけてすごく興味を持ち、視察に訪れたわけです。とても大阪的というのか、私たち研究者の間でも評判でしたからね。 これまでの流れを振り返ると、前市長のときに「国際集客都市づくり」をめざしたけれどうまくいかず、その後に東京の後を追いかけるような「世界都市構想」を打ち出して、ワールドトレードセンタービル群を作りました。それから次は「文化集客」という表現を使って、ディズニーランドに象徴されるようなテーマパークを作って人を集めようとした。そういう流れのなかで作られた遊園地、つまりこのフェスティバルゲートができたけれど、運営に行き詰まってしまった。それでやっと大阪市も舵を切り直すというか、「文化創造」に目覚め、新世界アーツパーク事業が立ち上がったわけです。 でも、まだまだ過渡期ですよね。お手許に8月2日付けの日経新聞のコピーがあるかと思います。これは私の友人である都市計画家のチャールズ・ランドリー氏が書いたものです。私も創造都市に関する原稿を書いて今年の4月に掲載されたのですが、「創造都市」という考え方の一つは、文化創造を大事にする都市のことです。産業創造ということも含まれますが、「創造」を具現化させていくためにこの場所をどう活用していくのか、真剣に考え直す時期でしょう。 ただ、破産の整理がきちんとできていないので、かなり無理しているということも感じます。たとえば、先ほど読み上げた『芸術文化振興条例』を所管するのは文化振興課ですが、この施設は文化振興課が作ったわけではなく交通局、いや、そもそもは信託事業ですから最初の事業主体は銀行ですね。そこに文化振興課が入り込んで、その中で予算がついて事業をやっている。この方法ではある程度の事業継続は見込めるけれど、「大家」である交通局とは文化創造に関しての温度差があるでしょうね。文化振興課が家賃を負担する分、アート系NPOに入ってもらって事業運営を任せたのは、すごくいいアイデアだったと思いますが、危うさも孕んでいる。つまり、『芸術文化振興条例』ができて文化創造ということを高らかにうたっているけれど、文化振興課のポジションは大阪市全体の中では小さく財源も少ない。それでもともかく実績を作れば市民も変わるだろうし、行政のなかの評価も変わるだろう、という思いでがんばって先駆的な事業を手がけてこられたんだろうと思います。私は感心する一方、その行く末についてちょっと心配もしています。とてもすばらしい成果が上がっていることと、足許が非常にぐらついているという、このアンバランスな状況をどんなふうに解決できるのか、考えているところです。甲斐 その中で、僕らがいま、どう言ったらええのかな、集客施設のなかにいる店子みたいな感じなんですかね。何なんでしょうね、僕ら。その店子のなかに入り込んでいる動きとして、その大家のもういっこ手前の大家さん。小っちゃい大家さんと大きい大家さんがいる、と。小っちゃい大家さんと話するときに、これまでの流れのなかでずっと、ここにもそういうふうに書かれてないんですけど、突然クルッとイメージ的に、『支援』というかたちの言葉に変わっていったんですね。 これ、説明が長くならないようにお伝えしたいんですけども、この『条例』ができあがる前に、大阪市の『芸術文化アクションプラン』というのがありまして、それが十ヵ年計画でやるから、こうこうこうで一緒にやらないか、というお声がけいただいて僕たちはここに入ってきた。そのときの感覚では、大阪がおこなう文化施策の、あるパートナーとして、末端として動くという意識だったんですね。だから、共通のテーブルにアクションプランがちゃんとあって、それに照らし合わせて活動をやっていくっていうふうに動いていってた。それがなぜか、最近の文化振興課さんとのお話の中で「支援」という形に僕らの立場が変わってきていて。知らん間に。何でしょうね、これ。「支援」ていう形と「パートナー」っていう形は、かなり意識が変わってきているっていう感じがするんですけども。つまり、そうなると僕たちは「助けてもらっている人」っていう立場にスライドしてしまっているというように感じているんです。 しかも、『芸術文化アクションプラン』っていうのが、ある時期から集約される形で、『文化集客アクションプラン』にもスライドしてた。えと、僕らが見ていたのは『芸術文化アクションプラン』。その後にできた『文化集客アクションプラン』っていうのにプチュッと組み込まれていってたらしくて。「いやぁ、ここにちゃんとここのことを書いてあるよ」って示されたページ数が、1ページなんですね。こっち側(『芸術文化アクションプラン』)にはこんな(厚さ1.5cmくらい)ページを使って事業のいろんな説明や報告が書いてあって、そこに僕らは「パートナー」として仕事をいっしょにしているんだ、ということで話が進んできたと思ってたんですけど。とにかくこの二つの『アクションプラン』のことについて、どことどこをどう整理していけば、ボタンの掛け違えを直していけば、大阪市が考えていることと、僕らがやっていることと、ちゃんと評価っていう軸があって評価委員がいて、ダメだったらダメで僕らは何かを改善しなくちゃいけない、という風に考えてる。 それについても考えたいんだけど、それと同時にもっと大きな問題があって、大きい大家さんがいてて、大きい大家さんの問題で小っちゃい大家さんが困っている。その二つの問題があって、僕らはどこに向かうのかがわからない、というのがいまの現状です。 ごめんなさいね、1回目、2回目のシンポジウムの経緯っていうのは、やっぱりご存じでない方もおられるので、説明兼ねてコメント入れさせていただきました。そこで、一回ここ(『芸術文化振興条例』)に戻ってみて、活動が合ってるのか合ってへんのか、皆さんの前で簡単にご説明させていただければ、と思ってこの機会を作らせてもらったんです。えと、他のNPOのなかで、これをうちはやってるぜっていうの、皆に知っておいてもらいたいみたいなことがあれば、今のうちに是非。上田 はい、大谷さんが詳しく説明を話してくださいましたので、ほとんど、以下同文という感じなんですけれども。条文の最初のほうですね。定義のところがございますが、この第2条のところ。芸術って何やろうっていうのをこのところ本当によく考えるのです。私は、芸術というのは術ですから、生きる術だととらえています。生きる術、これだととっても幅広くなるんですけれど、人が生きてゆくときに、誰かと何かを話したり、作用を起こしたり、反応しあったりしていることっていうのは、もう表現じゃないかと思ってますすべての人が、生きている人はみんな表現しているわけで、表現者だと思うんですね。ただ、それを意識的に、継続性ということを考えて、そして、社会的な役割として表現を取り扱う人が芸術家なのかな、と思うわけです。この芸術家は、生きる術を広めていく人たちかなと思うんです。私たちは、NPOという法人ですから、組織としてこの術をどう活かしたら社会とつなげていけるかなーとか、役にたてるのかなというのを考えて活動をしています。ので、この条例のなかで、文化芸術っていう、かなり定義をわかりやすくされているんですけど、その骨子のところで、そういう深い、表現と生きることというのが押さえられているようにも読み取れ、読み取れないようにも読み取れ(笑)、ちょっとね、そこが心配なんですけど、汲まれていたらいいなあと思うのですが。佐々木先生、これは汲まれていると思っていいんですかね、いま私が話したようなこと。佐々木 善意に立って解釈すれば、含まれています。ただ、うがった見方をすると、当然だけど国のほうに上位の法律があるわけで、そっちのほうは「芸術文化」と言わずに、「文化芸術」振興基本法と言います。どういうわけか文化が前に出て、芸術が後にくっついています。おそらくそれは文化庁が所管してるから、文化を先にというぐらいのことでしょうか。法律の世界はこういうふうに、解釈が多様にありますので、やっぱり必要なのは紙に書いてある法律を血肉化することです。そしてそれを担うのは、先ほど言われたけど、市民なんですよ。やっぱり市民が、たとえばこの浪速区民の方が「ここで行なわれている様々な実験的アートは一見、自分たちには無関係のように見えるけど、けっこう面白いじゃないの」と感じてくれて、たとえば上田さんのcocoroomにやってきていろいろおしゃべりする。そして、そういったおしゃべりが上田さんの創作のエネルギーになって新しい詩が生まれ、それがまた市民に受けとめられていくというような、そういう交流が生まれてきたときには、まさに芸術が生きる術、生活の技になりますよね。それが、この地に根付いた文化が生まれたということですし、文化創造の意味だと思うんですね。 大阪にいま欠けているのは、文化創造のスポットです。創造の場をたくさん作っていった結果として、文化集客が実現できたというのならいいんですが、今は「まず文化集客ありき」になってしまっているように感じます。財政難で苦しいのはよくわかりますが、何とかして活性化しなきゃいけないと焦って、非常に近視眼になってしまっている。近視眼になってるから、文化創造の本来の意味がわからなくなってしまっているのではないでしょうか。 新世界アーツパークで行なわれている営み、たとえばホームレスの人たちがアートや自己表現に興味を示して、自分たちも何かやってみようじゃないかと思ったり、障害者の方がやってきてワークショップに参加して身体を動かすことで、自分の可能性に気づいてエンパワーされるなど、すでに起こっている変化を見てほしいですね。また、地元の商店街の方にとっても、商売には直接役立たないかも知れないけど、このわけのわからん人たちは地域に根付いてくれて、まちを面白くしてくれてるんじゃないかと感じ始めているでしょう? 行政側はそういったプロセスをもう少し長い目で見て応援していかないと、やっぱり文化創造都市にはならないですね。 大阪が元気になるために、もう少しじっくりと、ここで生まれてくるものに期待したほうがいいと思います。もうひとつかふたつ、アート系NPOも増やしましょうと、そういう意識になってほしいですね。でも、実際はまだ夢物語でしょう。いまのままじゃ簡単にいかないので、私たち一人ひとりが当事者意識をもって、いろんな人にも集まってもらって、輪を広げていくというか、文化創造の渦を巻き起こす必要があるでしょう。先ほど紹介したランドリー氏がいろいろ書いていることのひとつは、「これまで解決できないと思われていたような問題を、アートの力を利用して創造的に問題解決することができる、そういった都市が創造都市だ」と言っています。ここの問題を創造的に解決してみるというのも、非常に面白い実験ですね。このプロセスそのものも芸術かもしれませんし、私たちの知恵を寄せ集め、技を磨いていく。そんなつもりで取り組んでみたらどうかなと、ちょっと傍観者的かもしれませんが、そんなふうに思っています。甲斐 そのつもりで取り組んでいきます(笑)。えと、そしたら、何か。大丈夫、西川さん?一言だけでも、ブスッと。西川 はい。えーっと、まあ、大谷さんがおっしゃったのでそのままなんですけども。いまさっき佐々木さんがおっしゃってくれたんで、ちょっと胸がホッとしたって感じで。ビヨンドイノセンスは基本的にミュージシャンばかりの集団、集団でもないな、ミュージシャンが集まって好きなことやってるっていう意識しか、あ、こんなん言うたらあかんのかな(会場笑)、えっとですね、やってるんですよ、好き勝手なことをやりたいやつやってきてやれって。それは文化振興の自主性が十分に尊重されるべきであることに当てはまっているので(会場笑)、僕はいいと思いました。ま、何となく見ていくと、だいたい。だいたい、だから僕らは、これがあってこれを実現するためにここをやってるわけではない…、ないん…、言っていいんですかこれ?甲斐 どうぞ。西川 ないんです。ほんで、結果的にある程度、ある程度というか、この内容に入ってるなっていうのと、あと、僕とかミュージシャンなんであんまり人間的に、その、ちゃんとした人は少ないので(会場笑)。甲斐 ちゃんとしてるやん(笑)。西川 や、そんなことないですよ。何か、たぶんあんまりその、いっぱいいろんなことができる人はいないと思っていて。そうそう、ほんで佐々木さんがさっきおっしゃったようなこと、僕とかそういうの意識とかあんまりできないんです。もう音楽しかわかんないっていう人、正味ほんまそうなんで。でも開き直ってるわけじゃなくて。でも何か自分が、BRIDGEもそうですけど音楽とか、やってていいんだなっていう感じがして、よかったような気がします。甲斐 はい、ありがとうございます。すいません、ちょっと時間も押してきたので、一部を終わりたいと思うんですが、会場の方から今の話の中で突っ込みであるとか質問であるとかありましたら、どうぞ。

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