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                            | <けったいな縁>で大阪に居ついてしまった<ぶち>が、心に映ったつれづれを独り言。 |  |  |  
               
                | text + 石淵文榮
 
                     
                      |  | ライター 筑波大学芸術専門学群美術専攻彫塑コース卒。大槻文藏事務所、(財)大槻清韻会能楽堂企画室を経て、現在、新聞・雑誌等に、主に能楽に関する記事を執筆。文化庁インターンシップ・アートマネジメント平成12年度研修生。
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| ご無沙汰してごめんなさい、石淵文榮です。 
 昨年の秋にCoco de Noh、12月には、なんとBRIDGEで能の『善知鳥』を上演することができました。
 まだまだ消化しきれていないこともございますが、いずれも、ともかくやっておいてよかった、と思っております。
 
 さて、まず、Coco de Noh。
 
 インタビュー&パフォーマンスなのでございます。
 秋の一回めは、皆様にお聴きいただきたいと思っておりました竹市学(たけいち・まなぶ)さんの笛をメインにしました。
 タイトルの「メロディじゃない?能の笛を聴く」は、よく、「笛は能囃子の中で唯一のメロディ楽器」と紹介されるのですが、ほんまはメロディを聴かせているのではない、ということを「そこはかとなく」感じていただきたいという意味です。
 何をやったか、は、相変わらず、ナイショなんでございます。
 ほんと、ごめんなさい、お越しいただいた方だけにしかわからないのです。
 これは、もったいぶっているわけではなく、まぁ、実験的と思われることもいたしますので、プログラムだけで判断されてしまうと誤解を受けかねないと思うからです。
 
 企画意図の一番重要な部分は、「cocoroom(ココルーム)という小さな空間だからこそ出来る能の催し」です。
 コンパクトでも能の面白さをしっかり伝えられるプログラム。
 演者は実力のある若手精鋭。
 舞台を見るだけではわからない役者の生の声で、舞台への情熱を語ってもらう。
 能楽堂で能全部を見るのではなく、そのエッセンスを抽出することによって、能の魅力をより鮮明にする。
 などなど。
 
 cocoroomは、フェスティバルゲート内にありますから、当然、ジェットコースターの轟音に晒されることになります。
 開演前の前説で「ジェットコースターの音がしますが、“雷鳴”とでも思っていただければ、そんなに気にならないと思います」と申し上げましたが、アンケートを拝見する限り、お客様は、地響きのような音もすんなり受け入れてくださったと思います。
 ただ、この前説をお聞きいただいていたかどうかで、反応はかなり違っていて、案の定、遅れてお越しになったお客様は、ジェットコースターの音が邪魔で仕方がなかったと残念がっておられました。
 ジェットコースターの音を仕掛けとして、意識にインプットできるかどうかなんですよね。
 おもしろいことです。
 
 
 が、ほとんどのお客様は、そのまま環境として受け入れてくださいました。
 
 第1回のメインゲストは名古屋在住の笛方藤田流の竹市学さん。
 能の家に生まれた人ではありませんが、子どもの頃から笛方藤田流宗家・藤田六郎兵衛さんに付いて研鑽してこられた人です。
 彼の笛を初めて聴いたのは、17,8年前でしょうか。
 彼はまだ10代でした。
 年齢を重ねるごとに、深みを増してゆく音色と表現力はこれからも楽しみでなりません。
 彼だからこそ、笛をメインにしたという企画でした。
 ゲストは、ほかに、シテ方観世流・味方玄さんと小鼓方幸流・成田達志さん。
 これは、この人数でしかご覧いただけないのが勿体ない面白い催しになったと思います。
 
 第2回は「謡と大鼓の面白さって、なに!?」と題して、シテ方観世流・片山清司さんと大倉流・大鼓方・山本哲也さんのお二人の登場。
 「大鼓」は一見、地味ですから、短時間で、その面白さを感じていただけるか、実はちょっと心配していたのですが、さすが清司&哲也のお二人。
 これまた、濃い〜内容で、お客様にも楽しくお過ごしいただけたと存じます。
 この日の感想をライターの沢田眉香子さんがブログで「ココデノウで脳内タイムマシンについて考えた」というコメントを書いてくださっています。
 私もここにコメントを書いておりますので、覗いてみてくださいね。
 
 今回も「拍手はしないで、この時間をお過ごしください」とお願いしました。
 「拍手」については、賛否両論あって、これに触れるのは地雷を踏むようなもので、できれば避けたい問題なのですが、悩みに悩んだ末、やはりお願いすることにしました。
 やはり、これについても、終演後のアフタートークで反対のご意見を伺いました。
 それについては、その場でご説明させていただきました。
 本当は、事前に説明することは最小限にしたい、ということもあって、いつも「今日は拍手はしないでみてください」だけしか言っていません。
 でも、拍手についての意識が「感動感激のままに拍手したい」という方にはご納得いただけていなかったようで、休憩時間に書いていただいたアンケートでお叱りを受けたわけですが、図らずも、そのおかげで、皆様に、なぜ「今日は拍手をしないでみてください」とお願いしたのか、私からお話しさせていただくことができました。
 ココデノウは、能楽レクチャーの会ではないですし、 催しとして、「拍手をしない」ということも含めて、何かを感じてもらいたいと思ってやっている会です。
 それがココデノウの「色」だと思っています。
 小さな会ですし、「企画者たる石淵が」能楽の面白さを抽出する催しなので、それでいいと思っていましたが、そういうわけにもいかないのかもしれません。
 ですから、理由をお話ししました。
 理想としては、黙って、粛々とパフォーマンスがあって、それぞれの想いを胸にお帰りいただきたいのですが…。
 ココデノウでも、休憩の前に客席を明るくするのは「演者が退場してから10秒後、徐々に上げてください」と係の人にお願いしています。
 でも、こんなこと、なぜそうするのか、一々お客様に説明しません。
 「そこはかとなく」感じてほしいのです。
 携帯のことも常識の範囲ですから、言いたくはないですけど、うっかりして鳴ってしまったら、それでお終いです。
 どうしたらスマートに、でも、「拍手をしない」ということが大切なコンセプトの一つなのだと伝えられるか、今後の課題だと思います。
 
 でも、拍手のことを考えることは、能楽の本質を考えることに繋がると、私は思っています。
 お叱りのアンケートを書かれた方は、「拍手をしない」ということを「だから伝統芸能はむずかしいと受け取られるのですよ!」と書いておられましたが、私には、なぜそう思われるのか、よくわかりません。
 むしろ、「どこで拍手をしたらよいかわからない」ままにしておくほうが、むずかしい印象、違和感に繋がると、私は思っています。
 「音のある部分だけが演奏ではない」のです。
 それが能の本質の重要な要素です。
 もっともっと説明しなければならないかもしれませんが、それには、例えば、能のことを何日もお話しせねばなりませんし、実際に舞台もご覧戴かなくてはなりません。
 だから、ココデノウは「拍手をしない」場として、何かを感じていただきたかったのです。
 ですが、誰かが拍手をしてしまったら、そういう意図は伝わりません。
 だから、野暮でも仕方なく最初に「拍手はしないでみてください」とお願いするしかないのです。
 
 さて、Coco de Nohについて、役者さんたちは「マニアックな催しや」とおっしゃいます。
 でも、何がマニアックなのかわかっていらっしゃらないビギナーの方にも大好評なのです。そして、コアな能楽ファンの方も楽しいのです。
 能のええとこ抽出してるわけやから、面白くないわけないと私は思います。
 いつも申し上げていることですが、私は、能の敷居を低くすることとレベルを下げることは、全く違う、というより、むしろ相反するものだと思っています。
 わかりやすくすることは、ものすごいテクニックが必要です。
 それに、私は、個人個人の「感じる力」を信じています。
 
 Bridge Noh…。
 
 拍手の問題は、ここでも紛糾。
 私の今の心境は、それでも「プロデューサーは私や!」ってことになりますか(笑)。
 ただ、チラシなどで事前に「この催しでは拍手をしないでみてください」と書いておけばよかったかな、と反省しております。
 なんでもかんでも拍手禁止というふうに誤解されたくなかったので、掲載しなかったのですが、拍手できないのなら観に行かない、という人がいらっしゃったら、事前に告知したほうがいいのかもしれません。
 
 アンケートでも、その辺を批判的に書いておられた方がいらっしゃいましたし、演者のほうでもまた意見の分かれるところです。
 確かに、ジェットコースターの轟音と地響きが聞こえてくる環境では、拍手のない静寂は求めようもありません。
 ですが、あの日の『善知鳥』は、その轟音をものともせず、伝わったと思っています。
 環境としてある轟音と、拍手は違いますし、静寂だけが欲しくて「拍手はしないでみてください」とお願いしているわけではないのです。
 このへんのところは、これから時間をかけて、説明してゆかなければならないと思いますから、ここではとても書ききれませんが、少しだけ。
 拍手の習慣は、明治時代以降、次第に定着してしまったものです。
 それ以前、歌舞伎でもなんでも、日本人は拍手をしていなかったということです。
 「拍手」に信仰的に特別な意味があるからということもあるでしょう。
 でも、現代に生きているのだから、拍手は受け入れていいのではないか、という意見もあるでしょう。
 でも、無意識に、惰性で拍手していることがありませんか?
 客席で音をたてるのはよくない、とわかっているのに、拍手は別なのですか?
 自分の感動を伝える手段は拍手だけだと思い込んでいませんか?
 拍手の破裂音で夢が醒めてしまうということは考えたことがありませんか?
 
 拍手という習慣が染みついているために、 拍手をするのが当然で、それを敢えて禁じてしまう、ということに 疎外感があるように思われるのかもしれませんが、 そういうことではありませんし、お願いするからには、ちゃんと理由があります。
 ほんとうは、「拍手はしないでください」などと、 お客様にお願いしたくはありません。
 ですが、「拍手をしない」ということが、「能を楽しむ」ことについて考える大きな要素であると考えているので 敢えて、お願いしました。
 なんとなく「拍手はしないでほしいなぁ」と思っているだけでは、いつまでたっても伝わらないからです。
 ココデノウもブリッジ・ノウも「拍手をしない」ということも含めて企画意図なのです。
 拍手については、私のブログ「日々是《能》三昧」で、もう少し詳しく書いておりますし、これからも書き続けます。
 
 それはさておき、今回、特筆させていただきたいのは、舞台制作をしてくださったスタッフが頑張ってくださったことです。
 シンプルな舞台ですが、非常にしっかりとした舞台を作ってくださいました。
 その材料のほとんどは、BRIDGEにあったものと、階下のDANCE BOXさんからお借りしたもので、座布団は精華小劇場から運んでいただきました。
 新しく買ったものは、パンチカーペットと大量の黒い布と橋掛りの欄干がわりに取り付けた角材くらいです。
 正直申しまして、あれほどしっかりした、しかも見た目もよい舞台を作ってくださるとは想いませんでした。
 それを実に3人だけで、半日かかって作ってくださいました。
 もちろん、解体も3人です。
 実質的に舞台監督をしてくださった鏡敏彦さん、それから3人の仕事人の皆様、ほんと、お蔭様です。
 
 照明の具合については、最初に下見をした時には、蝋燭風の灯りを使おうかという話が出ておりまして、予算もないことですし、ご協力いただけそうなところを当たってみたりしていたのですが、なんとなく、「蝋燭って感じじゃないんよね…」と思い出し、ふと、ものすごくシンプルに、例えば、森の中で月光が木の間から射しているような、あるいは、天井の隙間から射す月光のイメージがいいと思ったので、鏡さんにお話しして、作っていただきました。
 でも、何度も申し上げて恐縮ながら、予算がないので、BRIDGEにあるものしか使えませんから、光の色がちょっと暖かい色になってしまいました。
 脳内構想としては、『善知鳥』の場合、もっとクールな、白っぽい薄明かりが一条射している感じがほしかったのですけど。
 それでも、この点については、「見えにくくて不満だ」というご意見はなく、むしろ気に入っていただいたご感想をたくさんいただきました。
 
 アンケートでもお叱りを受けましたが、最初のころ、空調の音がうるさかったのです。
 これについては、実は、私は一番気にしていたことで、ずっと「空調、空調」といい続けていたのですが、二つある暖房の片方しか切れていなかったのでした。
 開演して、空調の音がしているのに気がついて、BRIDGEのスタッフの方に走っていただきましたが、舞台のうしろの一角に調節器があって、階下まで下りてグルリと大回りをしなければならなかったので、時間がかかってしまいました…痛恨。
 それから、客席の照明が点滅してしまうというアクシデント…これは、ほんとうにアクシデントなのでどうしようもありません…調節器の具合です、辛い。
 
 ところがですね、舞台上では、それよりもっと驚愕すべきこと(私にとっては、です)が起こっておりまして、このことを書くべきか否か、この二ヶ月半の間、ずいぶん悩みました。
 なぜ、躊躇しているかと言いますと、一番大きな理由は、いらっしゃったお客様が、たいへん感動してくださったことをアンケートに書いてくださったり、直接おっしゃってくださって、それはお世辞ではなく、真実そう思ってくださったのだと感じましたから、そこに水をさすようなことを敢えて書く必要があるのか、ということでした。
 よかったと思っていただけたのなら、それがすべてではないか、と。
 ここで今書かないと、なんとも歯切れの悪い、というか、嘘くさいご報告になるような気もします…と言いながら、書くのを悩むほどのことか、と思ったりもします。
 
 実は、『善知鳥』の前場から間狂言にかけて、予期せず短くなってしまったのです。
 ツレがミスをしてしまった、ということだけ書いておきます。
 それがために、アイはお仕事できずに引っ込まねばならず、間狂言がほとんどなくなってしまったということは、後シテの装束を付ける時間がなくなってしまった、ということです。
 この件については、公演終了以来、ご本人ともお話しさせていただいておりませんから、どのように思っておられるかわかりません。
 ですが、少なくとも、企画者である石淵やスタッフに対して、終演後、ご本人から何もお話はありませんでした…。
 お客様から、この件についてご指摘がなかったのは、お気づきにならなかった方が大半ということもあるでしょう。
 気づいていた方もおありでしょうが、そんなことどうでもよくなるぐらい、圧倒的な舞台だったので、敢えて苦情が出なかったのかもしれません。
 私は、あれだけの失態をプラスマイナス0にしたばかりか、プラスに持っていった役者たちの底力には、心底に感服しました。
 だから、敢えて、ここに書くことにいたしました。
 
 そんなこんなで、Bridge Noh…今年できれば、この曲!絶対!この曲いいからっ!という演目があったのですが、実現は極めて難しそうです。
 というか、無理みたい…。
 一発逆転はあるのでしょうか…続けてやることにも意義があると思うのですけど。
 
 本当に皆様、ありがとうございました。
 
 
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