ボストンのMITに滞在しながら現代美術シーンを紹介します。
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+ 池田孔介
1980年生まれ、美術家。東京藝術大学大学院修了。現在、文化庁在外研修員としてボストンのMITに滞在中。
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今年2006年、セザンヌ没後100周年を記念して
「CEZANNE2006」
という事業の関連企画が数多く開催されています。この一大事業の要として位置づけられている「プロヴァンスのセザンヌ」がワシントン・ナショナル・ギャラリーで開催され、その後、南仏はプロヴァンスに位置するグラネ美術館へと巡回予定です。6月にはセザンヌの生まれたその土地へと里帰りを果たす油彩80点、水彩30点もの作品を、それに先立ちアメリカで目にする機会に恵まれたのは何という幸運、であるとすればそのような輝かしい企画に対して何かしらの応答をするのは、もはや鑑賞者に与えられた義務だとも言えるでしょう、少なくとも私はそう考えます。
本展はそのタイトルの通り、セザンヌの生まれ故郷であり、そこで描き続けた唯一の場としてのプロヴァンス地方に焦点を当てています。ということはつまりセザンヌの全てと言うにも等しく、展覧会として何か絞られた切り口を提示する、という類いのものではありません。セクションは大きく6つ、「ジャズ・ド・ブッファン」「レスターク」「ガルダンヌとベルヴュ」「ビベニュスとシャトー・ノワール」「ローヴのアトリエ」「サント=ヴィクトワール山」と、プロヴァンスの中でセザンヌがとりわけ作品制作の拠点とした場を基に区分けされています。エクス市街のほど近く、別荘ジャズ・ド・ブッファンにて残した数々の静物・人物画、青い海と赤い屋根が穏やかに見下ろされるエスタック、ガンダルヌに近接したモントブリアンドからサント=ヴィクトワール山と共に水道橋を見下ろす、画家はそこにプッサンが描いたクラシックな景色を重ねていたに違いない…など、それらのセクション一つづつを取り上げてみても考えるべき事はいくらでもあるのですが、今回はいわば展覧会のフィナーレに位置づけられているように思われる、晩年に集中的に描いたサント=ヴィクトワール山をまとめた最終セクションに注目してみましょう。
ローヴから見たサント=ヴィクトワール山(1902−1906)
サント=ヴィクトワール山(1902−1906)
何もサント・ヴィクトワール山はセザンヌによってのみ描かれてきたわけではなく、とりわけ19世紀半ば頃から多くの画家によってその姿はカンヴァスの中に収められてきました。にもかかわらず、私にとってその山の名をセザンヌとともに想起しないという事は不可能であるし、美術に関心を持つ多くの方にとってもそれは同じ事ではないでしょうか。なぜなら、これだけ多くの、しかもほぼ同構図のサント=ヴィクトワール山を描き続けたのは、やはり間違いなくセザンヌの特異性に他ならず、それはセザンヌ晩年における異様とも思える関心、あるいは執着を感じさせるでしょう。油絵、水彩画として残された、同モチーフ・同構図の作品の数々。ここで私が考えてみたいのは、その連作性の問題です。例えばモネのルーアン大聖堂や睡蓮は一般的に連作として描かれたとされており、私もそこに疑問を感じない、であれば、セザンヌのサント・ヴィクトワール山はどうだろうか。私には少なくともモネにおけるそれと同じ意味において、これらの作品群を連作と呼ぶ事が躊躇われる。だとすれば、そこにある差異は、私の躊躇いの根拠はどこに見いだす事ができるのでしょうか。
セザンヌのこれらの作品群の多くは、ごく普通の意味で空間性を生み出しやすい構成をとっています、対してモネの場合、そこに描かれているのはあくまでも表情、あるいは表面です。ルーアン大聖堂は画面全体を埋め尽くすように配置され、観者がそこに距離を感じ取る事は容易ではない、あるいは睡蓮にしても画面全体に広がった水面に対して客観的な空間の広がりは捉え難い、むしろそこで問題になるのは、時間とともにその表面が移ろってゆくという、その表面の視覚的瞬間性、それらが連作として提示される事によって生み出される複数の異なる瞬間の断続的持続です。それらはあたかもコマ毎に断絶したフィルムを連続的に繋いでゆく映像を見ているかのようであり、その性質を仮に映画的連作とでも呼ぶことができるでしょう。
そのようなモネの表面性に対して、セザンヌの晩年のサント=ヴィクトワール山を観る者は、その作品の中に一見、極めて明快な空間構造を見いだす事になるでしょう、前景の木々、中景のオリーヴ木立と赤い屋根、そして後景の山稜というように。それらはタブローを三分割に区切ったかのように明確に領分化され、観者の視線をこちら側から向こう側へと導いてゆく非常に古典的な空間を成しているかのようにも言える。しかしながら、観者がそのタブローを目の前にする際、単純な三次元的構造として画面が現れることはない。タイトルがその絵の主要モティーフを示すとすれば,当然私たちはまずサント=ヴィクトワール山に目を向けることになるでしょう。にもかかわらず、そのような水平に開けてゆく視線を遮り、分断するもの、それは画面中、圧倒的な密度で凝集したブロック的タッチによって埋め尽くされる中景の効果に他なりません。
ローヴから見たサント=ヴィクトワール山(1902−1906)
ローヴから見たサント=ヴィクトワール山(1902−1906)
晩年のサント=ヴィクトワールにおけるこのような、水平的視線を遮る効果は同構図の水彩画によるそれと比べる事によって明快になるでしょう。手前にうっすらと見える木々、画面中央の大半を占める木立、上部三分の一以上に裾野を広げる山、それら三つの層が積み重ねられるように配されています。同一の構成を持った二つの作品の印象が全く異なる要因は、油絵具と水彩絵具というメディウムの違いのみに因るのではないと考えます。鮮やかに、そしてあっさりと仕上げられた水彩は、セザンヌの油絵の特徴の一つである緊張した硬さを持ちません。中景にて柔らかに重ね合わされる曲線的なタッチは光を含んだように輝き、そこにある光景の移ろいを示します。その軽やかなざわめきを感じながらも、観者の視線は手前から奥へと順序立てて配された三つのレイヤーからなる空間性に導かれ、奥の山へと自然に向かってゆくことになるでしょう。他方で油彩において、画家のタッチは確固たるブロックを成し、特に中景にて極端に高い密度をもって敷き詰められる。密度のみならず、その色のコントラスト、オーカーとグリーンとの対比、さらに加えられるオレンジは、前景、後景と比べ、遥かに強く観者の目を引きつける。対して、前景は黒やグレーでの鈍い色調を成し、後景において山は鮮やかなブルーではあるが背景の空に溶け込むように描かれ、空は時にキャンヴァスの地肌が現れるほど薄く描かれる。その構図に導かれて後景へと抜けてゆくように進む視線は中景によって錯乱され、その圧倒的な密度をもった色の束の中へと投げ込まれることになる。互いに譲り合うことなくその存在を主張し、キャンヴァスの表面上でさざめき立つ無数の色面。それは木々の動きを表象のレヴェルで捉えると同時に、純粋な色の緊張状態となり観者の視線を捉えて離さない。そこにある色の密度は、画家がその光景を目の前にしていた時間の厚みとなり、確固として構築的な対象を形成することとなる。
このようなセザンヌにおける対象の構築性に関して、小林秀雄はこのように評します、「瞬時も止まらず移ろい行き消えてゆく印象に、各瞬間毎に、確乎たる統一の感覚が現れるのは何故なのか。彼(セザンヌ)は、相戦い、相矛盾する感覚の群れを、悉く両手のうちに握りしめたかった(『近代絵画』)」。先述したモネと比較してみれば「瞬時も止まらず移ろい行き消えてゆく印象」、その瞬間性を捉えるのがモネであり、それが連作という形での時間的厚みを獲得するのであるとすれば、セザンヌの場合、その一枚一枚が確固たる時間的蓄積とそれに伴う「統一の感覚」を持つ。モネの連作を、瞬間毎の連なりとして時間性を獲得する映画的連作と呼んだのに対して、セザンヌの連作性は、それぞれの作品が時間的充溢性をもった一つの映像として存在する、そのような時間的集積のさらなる蓄積、すなわちアーカイヴ的連作とでも考えるべきものではないでしょうか。
あるいは、そのようなアーカイヴ性は、連作という形をとらずとも、一枚のサント=ヴィクトワールに内包されていたものかもしれない。前景・中景に現れる黒のラインはクールベやマネの影響の色濃い若かりし頃のセザンヌを想起させるし、中景に密集したオリーブ木立の緑の中に現れては消える彩度の高いオーカーはビベニュスの石切り場でのそれとそっくりだ。山の稜線を描き出す鋭く震えるブルーのラインは画家の静物画に特徴付けられるものであるし、その山の背景の空は、水浴図を描く際に好んで用いられる比較的厚みのない鮮やかなブルーそのものではないか。つまり、このサント=ヴィクトワール山の中には画家がそれまで様々な場やモティーフを経て辿ってきた展開のすべてがある、ここにおいて一枚の絵画は、セザンヌの画業における数々の要素が画面中にひしめき合うアーカイヴと化すでしょう。
1906年、今からちょうど100年前に画家は67年の生涯を閉じる。晩年、高まり続ける名声の中での死去は美術史に大きなインパクトを残すことになるだろう、それは単に偉大な巨匠の喪失という意味のみではない。セザンヌに最大の敬意を捧げたマティスはこの年に「生きる喜び」を制作、その大画面と主題、構成を通じてセザンヌの大水浴図を想起しないのは不可能であるし、ピカソは翌年に「アヴィニョンの娘達」を発表、それを契機に展開するキュビズムがセザンヌに起因するというのは、もはやモダニズム絵画における神話の最たるものの一つでしょう。そうして、美術史というアーカイブは紡がれてゆく、その反響を今ここで確かに聴き、と同時に100年後の今日、これほど豊かな特異性として際立つ作品がどれほど存在するのだろうかということをも感じざるを得ない。いや、しかしそれは言葉にしてはならない問いでしょうか。ともかくも今、私たちができることは、この機会に改めて画家の可能性、その現代性を問いなおす、その一点にかかっています。今年6月から画家の誕生の地へと巡回する本展「プロヴァンスのセザンヌ」を訪れ、南仏の暑さの中、画家が固執した震える光景と共に作品群を再考する、そのことが最も今日的かつ豊かな問題を観者に投げかけるであろうことを疑う余地はありません。
「プロヴァンスのセザンヌ」展
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
/2006年1月29日ー5月7日
グラネ美術館
/2006年6月9日ー9月17日
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