日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物 |
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《方法論》
まき 松山大学ダンス部の学生を見てると、成長ぶりがすごいんですよね。ちょっと数ヶ月見てないだけで、——たぶん精神性の問題だと思うんだけどーー人間が変わると、やってることは同じなのに、すっごい良くなってたりするんですよ。まあダンスだからより分かりやすい。同じピースを時間をおいて見ると、同じはずなのに「うわ、なんかものすごい良くなってる!」っていうのが、テクニカルな部分じゃないところで起きているから、精神性の問題なんやろうなと思っていて、そういうのが高嶺さんが接している学生たちからも出てくるもんかなと思って。
高嶺 打ち上げの時に、泣きながら「なにかが変わったんだ」と訴える子がいて、まあ僕も泣いてたし、相当気持ち悪い風景だったと思うんだけど(笑)、それが本当なら嬉しいですね。でも、それは目には見えにくいから、たしかにここが変わったっていうのはわかりにくい。例えば裸になりたいっていうのも、いったいなんでそんなことになったのか、言い出しっぺの子らにきいても、「いやーなんでかなあ、それは言葉にはできないです」と。
僕の代わりにチラシのことを喋っていた児玉君は、僕からテキストを渡されて練習してる時点ではあまりピンとこなかったけれども、ゲネではじめて脱いで目をつぶって歩いてみたときに、「うわーこういうことやったんや!」と全体がつながった気がした、と言ってた。身体でわかった、という感じがしたのは生まれてはじめてでした、と。全体的にそんな感じで、だから、なにか共有されたものはある感じなんだけど、それがなんなのか、みんなもわからないし僕もわからないから、なんか別れづらいというか。僕はアイホールの公演が終わってすぐにオーストラリアに1ヶ月いってたんやけど、かなり引きずってて、ずっとみんなに会いたかった。全然すっきりしてなかった。
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高嶺 僕は、舞台の演出ーーいや舞台じゃなくてもいいんだけどーー大人数が関わるものの演出をちゃんとやったことがなくって、だから、この授業を通じて自分なりの方法論を見つけたいというのがあったんです。で、共に時間を過ごしたことで何かが変わった、ということがもしあるのなら、それは自分で把握しておきたい。それはすごく知りたい。でも、なんか分かったっていうけど、なにが分かったのか、それが何によってもたらされたかがわからない、その回路が見えないから、毎年試行錯誤を繰り返してるって感じかな。ま、まだ2年ですけどね。あ、だから大変なのか(笑)。
アリ そうやって方法論は今のところあんまり出来てないんだったら、来年は一般公募で、授業じゃない分もっと試されるよね。授業だったら単位もとらなあかんし、半ば義務的に来ることもあるけど、自主的にしか来ない場になるわけやんな。関係性がはっきりしているよね。この人から得るものがあるから来る。
高嶺 お金払わなあかんしな。あ、大学でもお金払ってるから一緒か。
アリ 時間もあるの?
高嶺 30回だか50回だかワークショップをするの。
アリ そんなにあるんだ。なんや、素晴らしいな。対象は何人くらい?
高嶺 オーディションに来た人数によるんちゃう。たぶん落としたりはしないと思う。すごいコワい人とか来たら落とすやろうけど(笑)。
まき 応募してみよっかな(笑)。
高嶺 「自分を変えたいんです」(笑)。
《ハダカ1》
高嶺 アイホール公演の小屋入り前日に学生からメールが来て、「今びっくりドンキーでハンバーグを食べてんねんけど、私たち、脱ぎたいです」って。
アリ 学生から出てたんや。おもしろ。
高嶺 そやで。で、「えー?」って、「今そこに誰がいるの」って言ったら、「今3人でいて、3人ともその話で盛り上がってる」って。で、「それ本気か」って言ったら、「もうめっちゃ本気です」って(笑)。で、次の日にみんなを集めて、「ちょっと話がある」と。僕は嬉しかったからさ。ここまで来たんやって思ったから。話を聞いて、もしいいって言うんだったら、裸のシーンを作ろうと思う、と。
そんな感じだったけど、「でも別にイヤだったらイヤって言ってもらってもいいから」って言って、一人一人聞いていったら、いろんな意見が出てきたんだけど、「脱ぐこと自体は別に構わないけども、それがどんなふうに見られるのかが気になる」と。イヤな裸もあるから、そんなふうにはなりたくないと。
「どんな照明になるんですか」とか、具体的に質問も出るやん。で、僕はけっこう丁寧に話をしたんよ、裸になるということについて。いや、僕は絶対やった方がいいと思ったから。作品的なことじゃなくって、学生がこの時期、この年齢でやるっていうことが。絶対変わるしね。絶対によくなる。学校だって変わるかもしれない。でも正直まさか、全員がやるとは思ってなかった。おとなしい子もいるしさ。それが、じゃあ分かりましたと。全員脱ぐことになって、イエーイ(笑)。それでだいぶ皆のテンションがあがったんよね。「うわ、脱ぐんや」みたいな(笑)。なんかすごい嬉しかったなあ。
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アリ ボリス・シャルマッツってフランス人ダンサーがアイホールで公演した時があって、それは裸になるってことがえらい前評判の作品で、日本では検閲がかかってパンツつけなあかんかって、裸で売っている感があってさ。それよりずっとずっと、ああ、ああ、なんか感慨深かった。裸もえらい自然な裸だったんよね。一緒に観に行った友達はさ、「あれどうなん?」って言ってたよね。パフォーマーの身体がたぷたぷで、ダンサーっぽい鍛えられた身体じゃない、みたいなことを言ってたんやけど、僕にはそれが美しかったんやわ。
高嶺 僕がだまして脱がしたみたいに思われてると思うけど(笑)。そうじゃないねん。ただの共犯(笑)。言い出しっぺの子には感謝してるわ。
でも実際、裸って、見るのとやるのとではぜんぜん違うからね。批判するもされるも、やってない人にはわからないの、これだけはね。これも暴力に関係することかな。つまり、完全な丸腰を体験した人とそうでない人は違う。ものの見え方が全然違う。あと、あのシーンってラストやから、それまでにイラクだとかチラシだとかいろいろ言ってるやん、それらが全部、この裸のシーンに係ってくる、ということになった。そういう構造になった、そんな裸なんだ、それを考えてやってくれ、とみんなには話した。
アリ 「裸になりたいです」っていう関係にまでなるんやったら成功してる。ま、分かり合うのは不可能やからね。信用、信頼になってくるよね。それが大きいんよね。
高嶺 大きいと思う。大きいと思う。なんかヘンな関係よ。授業では一応「先生と生徒」っていう関係だけど、学外に出ればその冠がとれてフラットになる。その方が自然だしね。僕はもともと、学生だとか思ってやってないから。
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