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日々是ダンス。踊る心と体から無節操に→をのばした読み物


2008年11月号 『2001年壺中の旅』レビュー他

生きた舞踏に出会う旅

大駱駝艦 壺中公演 in 愛知 『2001年壺中の旅』
 ◎振鋳・演出・鋳態・出演:向雲太郎
 ◎鋳態・出演:村松卓矢、田村一行、松田篤史、塩谷智司、奥山ばらば、渡邉達也、湯山大一郎、若羽幸平、仲林勝司
 ◎監修・総監督:麿赤兒

鑑賞日:2008年9月25日(木)19:00− 愛知県芸術劇場小ホール

                                      text:亀田恵子
                                      撮影者:松田純一




 
 
 
歴史と思想?

 「舞踏」について何かを言う、というのは実は少しこわい仕事かもしれない。舞踏の誕生した時代を知らず、身体表現に関心を持つ中で出会った舞踏はまだまだ見知らぬ存在だ。舞踏関係の書籍を手に取ると、何やら難解な言葉が並んでいて、読了を試みるのだが最後までなかなか読み切れない。わかったことは「どうやら独自の歴史と思想があるんだなあ。」ということ。これは自分でも情けないと自省している点ではある。またある演出家に「舞踏の本は難しいですねー。」と気楽に言ってしまい、さらに傷口を広げたという経験がある。公開セミナーか何かの席上だったと記憶しているが、彼は「それは、あなたの理解力がないせいでしょう。文章を書く人間として堂々と言うことではない。」と軽はずみな発言者を叱った。

 「舞踏とは難しいものなのか?ならば、それはどうしてなのだろう?」それ以来、私はその疑問を引きずりながら舞踏と接することになった。


「今の舞踏」をすすめられて

 舞踏について知りたいと思い、いくつかの公演に出かけた。こんなことを書くと苦情の嵐を巻き起こすかもしれないが、拝見したいくつかの舞踏公演で私は眠くなっていた。大きな舞台空間の向こう、ほとんど動かない静かな時間の中でどうやって鑑賞してよいかがわからなかったのだ。能を観はじめた頃とこの感覚は非常に近いのだが、この体験はますます自分が舞踏への理解力を持たない人間だと劣等感を強める結果になった。「やっぱりもっと勉強しないと理解できないものなのかな?」ションボリと劇場を後にする日々が続いた。だが、1つだけ確信を持って言える部分が自分の中に出来ていた。それは、舞踏手の身体に魅了されている自分がいるということだった。2007年2月にびわ湖ホールで拝見したジョセフ・ナジの新作公演『遊*ASOBU』の中で踊った大駱駝艦の田村一行、捩子ぴじん、塩谷智司、奥山裕典がそれを決定づけてくれた。それぞれに高い身体能力を持ったダンサーたちの中にあって、彼らの「スゴイのにチャーミング」な動きや表情は、舞踏の魅力的な芳香を漂わせるものだった。

 2008年9月、愛知県では19年ぶりとなる舞台公演となった『2001年壺中の旅 in 愛知』が開催された。上演に際しては、大駱駝艦の制作の方からお便りを頂戴した。よく目にしていたプレスリリースと違って、それは手書きの便りだった。不思議と拝読するこちらの襟元が正されるような、心地よい緊張感を感じたのだが、その中に「今の舞踏をお楽しみ下さい。」という一文があり、とても興味を持たされた。ここに自分のモヤモヤした感覚をクリアにするヒントがあるように感じた。自分が観てきたのはいつの舞踏だったのだろうか。


こわい人たち→好青年の図式

 舞踏について書く仕事がこわい、と感じることの理由は、進まない自分の理解力だけではない。舞踏手に対しての畏れに近い気持がそうだ。全身を真っ白に塗り、ほぼ全裸で舞台に立つというのは尋常ではない覚悟が必要だろうし、よほどの思想がある人たちなのだろうと考えていたからだ。そんな人たちに向かって「よくわからない。」というひとことで片付けることなど許されるはずがないと思っていたし、そんなことを言うのは自分に理解力がないからだと、また例のループに陥るばかりだった。舞踏手の身体への魅力にとらえられ、離れられない自分ではあったが、舞踏に関わる人たちは自分にとっては異世界の人たちであり、なぜそこに立とうとするのかわからない存在に変わりはなかった。「わからない」=「こわい」という連関図が勝手に成立していた。

 そんな想いで公演当日、会場を訪れた。会場は平日の夜にも関わらずほぼ満席に近く、観客層も若者からスーツ姿の初老の男性など、コンテンポラリーダンスの会場では見られないような客層の広さ。そんな中、背筋のピンと伸びた青年たちが観客を案内している姿が目にとまった。礼儀正しく、誠実に観客に接している彼らだが、ツアーTシャツにパンツ姿という軽装の下にある身体が、きちんと鍛えられていることは明白だった。「あれ?こわくないよ。」自分が大きな勘違いをしているのではないかと、このとき感じた。「知らない人たち/わからない人たち=こわい人たち」抱えていた図式に、皮肉をこめて笑っている自分がいた。


 

 
予習なんていらない。

 決して流暢だとは言えない英語の場内アナウンスの後、舞台は幕を開けた。暗転の舞台に轟音が響く。音は振動をともなって暗闇の中、迫ってきた。ただならぬ雰囲気に心臓が高鳴る。明るくなった舞台上では10名の男性舞踏手が横一列に並び、前傾姿勢で足を踏みならしていた。過剰な量の紙吹雪が天井から降り注ぎ、大音量の洋楽が流されるシーンを前に「理解しよう」とか「劣等意識」というものはきれいに消え去ってくれた。ド派手な冒頭シーンが、暑気払いのように煩わしさを吹き飛ばしてくれたのだ。

 作品構成はオープニングと7つのシーンから成る舞台。家族というにはあまりに奇妙な人々が過ごす居間で物語は展開する。横一列に並んだ配置で、ひとりひとりが奇妙な声をあげ、クセのある仕草を見せていく。はじめは奇異な点でしかない仕草たち。しかし、それらが何度か繰り返されることである規則性をもった動き=振付であることがわかってくる。独唱、輪唱、合唱…動きがまるで音楽のように編集されていく様子が楽しかった。

 舞踏には、他のダンスにはない独自な動きや表情がある。真っ白に全身を塗ることや全裸に近い姿もそうだが、苦悶の表情や口をポカンと開けた阿呆な表情、カッと見開かれた目など、日常生活では見ない/見せない姿が舞踏の中には頻発する。舞踏に初めて触れたとき、その表情の理由がわからず悩んでしまったのだが、今回の作品ではこの疑問への回答がとても楽しい形で提示されていたように思う。

 天秤測りを持った舞踏手と、大きな鉈(ナタ)を持った舞踏手が登場するシーン。鉈のぎらりとした輝きは不気味な空気を醸し出すが、そんな空気の中、舞台上手から数人の舞踏手たちがひょこひょこと登場する…のだが、観客はここで思わずぎょっとさせられる。彼らのいでたちは「ツン」というビキニに似た衣装で股間が覆われているのだが、そこに魚肉ソーセージがにょきりと挿しこまれていたのだ(思わず吹き出す観客、下を向いてしまう観客、このシーンでは舞台上もそうだが客席を見ているのも案外楽しいかもしれないと思った)。一瞬、魚肉ソーセージがそのままの局所に見えたことと、その後の勘違いに気付くというプロセスが笑いを誘うのだろう。彼らの動きを見ていると、幼い男児が自分の身体と戯れる姿が想起されてくる。それは自らへの不思議の探求と、閉ざされた甘美さを伴っているようにもみえる。「卓袱台の下に壺中へ通ずる穴があった」と、この作品のストーリーははじまるが、そもそも「壺中」とは何か。作品タイトルだけを見ればアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックらによるSF小説および映画の『2001年宇宙の旅』のパロディかと思わされるが、そうではないようだ。彼らが本拠地としている東京・吉祥寺の「壺中天」の定義は
1.別天地。別世界。
2.後漢の費長房が市場職人をしていたとき、市場にいる薬売りの老人が、商売が済むと、店頭に掛けていたつぼの中にいつも飛び込んで姿を消した。費長房がその老人に頼んで一緒に壺の中に入れてもらうと、壺の中には、宮殿があり、酒や肴のたくさんある別天地であったと言う。(後漢・費長房伝)
3.日本では中国の故事に習い茶室の空間を壺の中に喩えた。
4.自らをうつす壷の中の世界。
5.酒を飲んで俗世間を忘れる愉しみ。
6.東京吉祥寺にある舞踏集団、大駱駝艦の本拠地の名称。
(以上、大駱駝艦のホームページより引用)
となっていることから、かなり強引に言ってしまえば「壺中」とは「戯れの世界」をいうのだろう。戯れる舞踏手たちは愛らしさを喚起するが、同時にその異様な姿が不気味さを、鍛えられた身体が圧倒的な迫力を与えるという一種の葛藤を生む。その葛藤が鑑賞者の中でスパークしたとき、舞踏に魅入られた状態となるのだ。

 

 
 

 
 話を天秤測りと鉈のシーンに戻そう。その後、魚肉ソーセージの舞踏手たちがどうなったかを話そうと思う。彼らはまな板にソレを置き、鉈でちょん切らせるということをする。ちょん切りに至る経緯はそれぞれに違い、それも楽しく笑いを誘うのだが、ちょん切られたときの表情に、これまでの舞踏の表情への謎がふと解けるように思った。「ちょん切れた身体の一部」→「痛い」→「苦悶の表情/見開かれた目/ポカンと開いた口」自分の中で図式が成立し、妙に納得してしまったのだ。もちろん、これは文脈違いな感覚だと思う。舞踏の表情の由来は違うところにあるのだろうと思う。ただ、アプローチとしてこのシーンでのやり取りは非常にユニークではないだろうか。予習しなくても、今のままの自分が見たままに楽しめる舞踏がそこにはあるのだ。


生きた舞踏

 舞踏はまだまだ自分には謎が多いものかもしれない。ただ、あまりに構えて接することにはそろそろ疲れてきている。目の前でくりひろげられているシーンをそのままに受け止めて楽しいと思う存在に舞踏をしたいと願いはじめている。歴史や思想を疎かにし、蔑にしたいと思っているのではない。ただ、今を生きる自分たちに必要なのは「今の舞踏」ではないかと思うだけだ。「今」というのは、過去の形式や様式に囚われず、伸びやかな試みを行うことだろうと思う。それは「生きる」ことと言えるのではないだろうか。カテゴリーの中で理解をしようともがくのではなく、「今」を感じさせてくれる舞踏の前で「生きていること」を感じたいと思う。『2001年壺中の旅』は、そのきっかけをくれた作品なのだ。

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