<けったいな縁>で大阪に居ついてしまった<ぶち>が、心に映ったつれづれを独り言。
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+ 石淵文榮
ライター
筑波大学芸術専門学群美術専攻彫塑コース卒。大槻文藏事務所、(財)大槻清韻会能楽堂企画室を経て、現在、新聞・雑誌等に、主に能楽に関する記事を執筆。文化庁インターンシップ・アートマネジメント平成12年度研修生。
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ごあいさつがわりに
失われゆくものvol.1
失われゆくものvol.2
失われゆくものvol.3“聖域”(1)
失われゆくものvol.4“聖域”(2)
失われゆくものvol.5“聖域”(3)
ちょっとお休み『安宅』
高野山と能と私vol.1
高野山と能と私vol.2
ぶちの独り言へようこそ...
穀雨
うまいもんはうまい
ぶちの独り言をのぞい...
花形能舞台〜宴のあと〜
秋に想うつれづれ
いまだに深まらない秋に想うつれづれ
さぶっ
『道成寺』、あれやこれや その1
ところで、Coco de Nohって。
なんで<料理人>なん?
『道成寺』…のつづきのつもりが
食べてみるべし!されば道は拓かれん…
取材された側の言い分
基本は「愛」でしょ
桂米朝×竹内駒香vol.1 憧れの人と会う嬉しさ
桂米朝×竹内駒香vol.2百歳の人間国宝の話
桂米朝×竹内駒香vol.3 やっぱりお酒
役者の幕引き
年頭のごあいさつ
Coco de NohとBridge Noh
桂米朝×竹内駒香vol.1 憧れの人と会う嬉しさ
桂 米朝 かつら・べいちょう落語家。大正14(1925)年満州大連生まれ。昭和22年7月四代目桂米団治に入門。大阪北新地にて『高津の富』で初舞台。昭和36年大阪府民劇場奨励賞受賞。昭和38年芸術祭文部大臣奨励賞受賞。以来、多数受賞。昭和62年紫綬褒章受章。平成8年重要無形文化財各個指定保持者(人間国宝)。平成14年文化功労者表彰。著書多数。
竹内 駒香 たけうち・こまか地唄・上方唄演奏家。北新地芸妓。大正2(1913)年大阪生まれ。「永年にわたり地唄・上方唄演奏家として、数少ない舞地(上方舞のための演奏)唄方の分野で活躍すると共に、後進の育成に尽力するなど舞踊界、邦楽界の振興・発展に貢献している」として平成9年「伝統文化ポーラ賞」受賞。日本芸術文化振興会一級音響技術者の八板賢二郎さんは、気張らず、それでいて観客の心に強く訴えてくるものを持っている名人、小さな声でも言葉が明瞭に聞える演奏家として、文楽の故・竹本越路大夫(人間国宝)さんとともに、竹内駒香さんの名前を挙げている。
ひとつ、夢が叶った。
<縁>という、目に見えない糸が、長い時をかけてつながった。
なにをそんな大層な、と人は言うかもしれない。
でも、けっして偶然ではない<縁>が、ゆっくりと縒り合わさって、この対談に結びついたのだと私は思っている。
そして、その<縁>の中に自分がいたということの幸せを心から感謝している。
私が巡り合ったすべての人に。
これからもずっと…。
桂米朝さんと竹内駒香さん。
お二人の組み合せは、私がまだ学生だった頃から頭の中にはあった。
いつ、どこで、どういう形で、という具体的な構想があったわけではない。
ただ、憧れの人が、私の脳内フレームの中に、ごく自然に一緒におさまっていただけだ。
米朝師匠の落語は、中学生のあたりからラジオをエアチェックしていたように思う。
受験の時はもちろん、大学生になり親元を離れてからは特に、録音し貯めていた落語のテープを聴きながら寝るのが日課だった。
小学校から高等学校までの間、岡山県の倉敷市にある実家の寺で過ごした私は、ナマの落語を聴いたことがなかったし、大学は、一足飛びに筑波に行ってしまったから、どこへ行けば米朝師匠の落語を聴けるのかも知らず、たまたま京都で独演会があるという情報が入ったので、筑波から京都まで出かけて行ったこともある。
師匠の芸については「ぶちの独り言」の
‘失われゆくものvol.3“聖域”(2)’
を読んでいただきたい。
駒香姐さん(<おっしょさん>と申し上げるべきかもしれないが、敢えて、<お姐さん>と呼ばせていただこう。)の唄は、大学に入った年であったか、東京・国立劇場の『京阪の座敷舞』で、はじめて聴いた。
20年前のことだ。
今も毎年催されている『京阪の座敷舞』は、四世井上八千代、故・武原はん、故・吉村雄輝といった方々をはじめ、上方舞の名手たちが一堂に会した催しだった。
はじめて目の前で観た上方舞は、粋で軽妙洒脱、あるいは、静かで奥深い味わいのある世界を私に教えてくれた。
その折、地方(ぢかた=伴奏の音楽を演奏する人)さんで、いっぺんに私の心を虜にしてしまった人がいた。
その人が竹内駒香さんだった。
当時は相三味線の藤田小道さんもご健在で、それから、舞の会の時には、お二人の名前を探すようになった。
以来、上方唄*『ぐち』は駒香姐さんでしか聴いたことがない。
『ぐち』と言えば“竹内駒香”と言われるくらい、この人でなければ醸し出すことのできない<艶>と<しなやかさ>、そして、<強さ>がある。
細い路地から見上げた、明け方の空の色が目に浮かぶ。
何度聴いても涙が溢れてしまうのはなぜなのだろう。
*『ぐち』…芝居唄に出来たものらしく、特に初世中村鴈治朗が『恋飛脚大和往来』(通称『梅川忠兵衛』)の井筒屋の場面で使ったので有名。遊女が好きな人にやっと会えた嬉しさ、でも、路地を人が通る音を聞こえ、明けの鐘が鳴って、もう別れの時分かと胸を轟かせるという千万無量の情調が聴きどころ 。
上方唄『ぐち』
愚痴じゃなけれど
これまあきかしゃんせ
たまに逢う夜の楽しさは
逢うて嬉しさ別れのつらさ
ええなんの烏が
ええ意地悪な
おまえの袖とわしが袖
合わせて歌の四つの袖
路地の細道駒げたの
胸驚かす明けの鐘
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