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後期難波宮創建時の重圏文軒瓦。輪を三重に重ねたような文様は、後期難波宮で初めて採用されたデザイン(大阪市文化財協会提供) |
難波宮の時代を偲ぶ跡は公園の周辺にもある。公園を出て東へ歩くと住宅街にあるマンション、メロディハイム法円坂だ。エントランスに続くアプローチに、円のかたちのデザインが連なっている。建築工事の時に発掘された建物柱の跡をデザイン化して表現したものだという。建物跡は難波宮の役所にあたる建物のものだった。大極殿は儀式の場。こちらは実務の場。役所があったこのあたりは今でいう官庁街だったわけだ。
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難波宮遺構図(◆:前期
◆:後期)『新修大阪市史第10巻』図3より |
上町台地北端部に難波宮が開かれるとともに、宮中の中心の延長線上に朱雀大路が建設され、南の四天王寺までの一帯も整備が進んで、スケール豊かな都が生まれた。平城京が建設された奈良時代にも難波京と呼ばれ繁栄を続ける。大阪の街を歩いて、ビルと車道の風景だけを見ているのはもったいない。歴史は知るほどに面白く、目の前の風景に魅力的な彩りを加えてくれる。天気のいい日は歴史を訪ねて、難波宮跡公園から始まる都心のもうひとつの散策に出かけよう。
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難波宮史跡公園の大極殿跡から大阪歴史博物館、大阪城を望む |
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