安藤広重の描いた「八軒家船着場の図」浪花名所図会より。
八軒家跡に隣接の石垣
天満橋駅へ戻り、そのまま西へ歩くと、八軒家の船着場跡の碑がある。ここから北側の大川べりは江戸時代、淀川を上り下りする三十石船の発着場だった。かつては船宿や飛脚屋で賑わったかいわいに、江戸時代の大坂城の石垣が昔をしのばせてくれる。
八軒家跡の隣にある駐車場に入ってみよう。突き当たりに、どっしりとそびえるのが徳川時代の大坂城石垣の可能性がある。ネットをかぶせられているのが残念だが、現存する石垣ではここが最も面積が広い。その高さ、石積みの見事さを実感してほしい。
古くは「渡辺津」と呼ばれ、四天王寺や熊野詣の人々の上陸地だった。江戸時代には、8軒の旅宿があったらしく八軒家と呼ばれるようになった。
八軒家船着場の跡の西隣、松坂屋駐車場内に残る石垣。二層に分かれているが、下部が徳川時代の石垣で、明治時代以降、その上部に新たに石垣が築かれたと思われる。
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